第1章 父の声と、山の相続

 「お前に譲るものがある」


 父がそう言ったのは、久しぶりに会った晩だった。

 直人が数年ぶりに実家を訪れた夜、二人は仏壇に線香をあげたあと、古びた木の机を挟んで向かい合っていた。

 母はもういない。屋敷は広いのに、どこか空気が詰まっていて、静かすぎた。


 「譲る? 何を?」


 「“山”だ。あの山だよ」


 父が指し示した地図の上に、赤ペンで囲まれたエリアがあった。

 よく見れば、それは直人が学生の頃から耳にしていた、ある地名を含んでいた。


 ──禁足地。


 「……まさか、ここ、うちの土地なのか」


 「そうだ。代々、我が家が管理している。地元では“禁足地”と呼ばれているが、正式には○○山林という登記名だ」


 直人は息を飲んだ。

 あの場所は、ただの都市伝説じゃなかった。

 本当に、我が家の土地だったのだ。


 「……あそこは、昔から帰ってこられないって噂がある。肝試しに入ったまま、行方不明になるとか」


 父は頷くでもなく、静かに目を伏せた。

 そして、言葉を選ぶように口を開く。


 「我が家はな、その“入ってはいけない者”を片づけてきた。

 何百年もな。……誰にも悟られずに」


 その声は、まるで歴史を語るようだった。

 感情は薄く、けれど確かな重みがあった。


 「方法もある。準備も道具も、全部、現地にある」


 「現地……って、屋敷じゃなくて?」


 「ああ。祠の奥、小道を抜けた先にある小屋がある。

 昔は山仕事に使っていたが、今は誰も近づかない。

 その床下に、二重に隠してある。」


 父は、懐から小さな鍵束を取り出した。

 年季の入った真鍮の鍵と、ひびの入ったプラスチックタグがついていた。


 「渡しておく。行けばわかるようになっている。

 説明はいらん。……お前なら、すぐに慣れる」


 直人は黙ったまま、その鍵束を受け取った。

 手にした瞬間、金属の冷たさとともに、何かしらの重みが心の奥に沈んでいくのを感じた。


 「まずは昼間に行け。足場も覚えておいたほうがいい。

 夜は……慣れてからでいい」


 それだけを言い残し、父はまた静かに視線を逸らした。

 それ以上、語ることはなかった。


 その夜、直人は屋敷の客間でひとり眠った。

 窓の外で風が唸るように吹いていた。

 胸の内に芽生えたざらついた違和感は、夢の中にも入り込んできた。

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