帰れない森

紡識かなめ

序章 都市伝説の場所

 地元の若者たちは、その山を「禁足地」と呼んでいた。

 本来の地名はあったはずだが、今ではもう誰も口にしない。

 古い登山地図にはうっすらと記されているが、道は途中で消えており、そこへ続く林道も、すでにアスファルトの端がひび割れ、雑草に飲まれていた。


 「行ったら戻ってこれないらしいぞ」

 「マジであそこだけはやばい、女の子と行ったやつ、帰ってきてねぇんだって」


 夏の夜、コンビニの駐車場。

 改造バイクのエンジン音が遠ざかった後、残された数人の若者たちが缶コーヒーを片手に笑いながら話していた。

 それは笑い話のようで、目の奥にはどこか、信じている気配があった。


 誰かが本当に消えたのか。

 それとも、自分だけは戻ってこられると信じたいだけなのか。


 ──その山が、本当に“消える場所”であることを知る者は、ほんの一握りしかいなかった。


   *


 真木直人は、その都市伝説をずっと前から知っていた。

 学生時代に通っていた高校でも、「あそこに行ったら戻ってこられない」と何度も聞いた。

 名前も、地図も、正確な道も知らないまま、“帰ってこられない場所”という記号だけが、地域に根を張っていた。


 だが彼だけは知っている──いや、正確には「教えられている」。

 その山の名を、境界を、そして“役目”を。


 それは決して伝説ではない。

 実在する“場所”であり、“使われている”場所なのだ。


 彼の父が、毎月欠かさず通っていた場所。

 そして今、その“鍵”が、自分の手元にある。


 夏の夕暮れ、直人は地方都市の自宅から車で一時間。

 西の空が山並みに沈んでいく頃、カーナビを切り、林道へとハンドルを切った。

 車の窓の外には、田んぼと杉林しか見えない。


 ──禁足地へ向かう者の足取りに、迷いはない。

 そこが都市伝説のまま終わらぬことを、彼は誰よりも知っている。

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