魔族の長として

苛立ちと焦燥感で煮詰まった頭を冷やすため、クーネルはメロを宿に残し、一人で街の喧騒の中へと繰り出した。


当てもなくぶらぶらと歩いていると、広場の方がやけに騒がしいのに気づく。


何事かと人垣をかき分けてみると、そこでは仮設の舞台が組まれ、何やら催し物の準備が進められていた。




「下らん見世物でも始めるのか? まあ、気晴らしにはなるかのう」




クーネルが壁に寄りかかり、腕を組んで様子を眺めていると、不意に背後から声をかけられた。




「あ……く、クーネル……?」




振り返ると、そこにいたのはラクレスだった。


いつもの地味な冒険者服ではなく、なぜか、見たこともない奇妙な格好をしている。


胸にデカデカと、フリフリの衣装を着た少女たちの顔がプリントされた、黒いTシャツ。腰には色とりどりのガラスの棒のようなものを武器のように何本も差し込んでいる。


その出で立ちは控えめに言って、不審者そのものであった。




「……なんじゃ、その格好は。罰ゲームか? それともついに頭がおかしくなったか、小僧」


「ち、違う! これは……その……これから、ここで、ライブフェスがあるんだ……」




ラクレスはもごもごと口ごもりながら答える。その目はクーネルと合わず、あらぬ方向を泳いでいた。




「らいぶ? なんじゃ、それは。新しい魔物の名前か?」


「いや……えっと……歌って、踊る、人たちの……その公演、みたいな……、それが1週間ぐらい……」




クーネルの問いにラクレスは必死に言葉を探しているようだった。


だがその目は舞台の方をちらちらと見て、どこかそわそわしている。


やがて、彼は意を決したように一度、こほん、と咳払いをした。


そして――。




「今日、ここで公演するのは『メルティ・キス・メロディ』っていう、今、大陸で一番人気のある国民的アイドルグループなんだ。メンバーは五人。センターのルルちゃんを筆頭にクールビューティーなレイラさん、妹キャラのミミ、元気印のアヤ、そして最年長でみんなをまとめるリーダーのエリナさん。それぞれのメンバーにイメージカラーがあって、ファンはその色のサイリウムを振って応援するんだ。ちなみに俺の推しはレイラさん。普段はクールだけど、時折見せる笑顔が最高に尊くて、そのギャップにやられるファンが後を絶たない。今日のライブは彼女たちの新曲『純情☆レボリューション』の初披露も兼ねていて、ファンの間では伝説のライブになるって言われてる。新曲の振り付けはかの有名な振付師、マダム・ロザリーが担当したっていうし、衣装も王宮御用達のデザイナー、ジャン・ピエール・ド・モリアンの新作だ。特にセンターのルルちゃんが着けると言われている『奇跡のティアラ』は歴代のトップアイドルにしか許されない伝説のアイテムで、その輝きは夜空の星々を束ねたようだと謳われているんだ。今日のセットリストはまだ発表されてないけど、ファンの予想では一曲目はアップテンポな代表曲『恋のテレポート』で始まって、中盤で各メンバーのソロ曲を挟みつつ、アンコールで新曲を披露するんじゃないかって……」




「…………」




クーネルは唖然としていた。


目の前の男は本当にあの陰気で無口なラクレスなのだろうか。


普段は「……あぁ」「……わかった」しか言わないこの小僧が今、息継ぎも忘れたかのようなマシンガントークをキラキラとした瞳で繰り広げている。


そのあまりの豹変ぶりにクーネルは生理的な嫌悪感に近いものを感じていた。




「好きな事になると早口になるんじゃな」


「え、まぁ……」


「きっしょいのう、おぬし……」




クーネルが内心でドン引きしていると、ラクレスの言葉はさらに熱を帯びていく。


もはや、それは説明ではなく、愛の告白に近い領域に達していた。




「あっ、見て、クーネル! ルルちゃんだ! あれがメルティ・キス・メロディの不動のセンター、ルルちゃんだよ!」




ラクレスが興奮気味に指さす方へ、クーネルは渋々、視線を向けた。


舞台袖から、リハーサルのためだろうか、一人の少女が姿を現す。


ふわふわのピンク色の髪に大きな瞳。愛らしい笑顔はなるほど、男どもが熱狂するのも分からんでもない。




だがクーネルの目はそんな少女の顔など見ていなかった。


彼女の視線はその少女の頭に輝く、一つの装飾品に釘付けになっていた。




ティアラ。


白金とダイヤモンドで出来た、豪奢なティアラ。


それはただ美しいだけの宝飾品ではなかった。




「ほう?」




クーネルの金色の瞳が獲物を見つけた蛇のようにすうっと細められる。


彼女の目には常人には見えぬものがはっきりと見えていた。




ティアラから立ち上る、黒く、禍々しいオーラ。


それは歴代のトップアイドルたちが流した、血の滲むような努力の結晶。


ライバルへの殺意にも似た憎悪。


ファンからの歪んで粘着質な愛情。


トップに立てず、夢破れていった無数の少女たちの嫉妬と怨念。


それら全てが長年にわたって凝縮され、絡み合い、熟成された、極上の「魂の澱(おり)」の塊。




ごくり、と。


クーネルの喉が鳴った。




(なんという……なんという、美味そうな気配じゃ……!)




それは廃城で口にしたブローチなど、比較にもならないほどの複雑で、濃厚で、深く、そして甘美な魂の味を彼女に予感させた。


アンデッドの魂がただの塩味のスープだとしたら、あれは何十年も熟成させた最高級の葡萄酒に世界中の珍味を漬け込んで煮詰めた、究極のフォアグラソースのようなものだ。




(……あれは妾がいただく)




クーネルの中で、何かがカチリと音を立てて決まった。


魔王軍の現状も復讐計画の行き詰まりもこの瞬間、彼女の頭から吹き飛んでいた。


目の前の「ご馳走」への抗いがたい欲求。


それだけが彼女の全てを支配していた。




◇◇◇




その夜。


クーネルはラクレスが買ってきた夕食のパンを無言で平らげると、早々に寝床(と言っても床に毛布を敷いただけだが)にもぐりこんだ。




「……クーネル様? どうかなさいましたか? なんだか、昼間からずっと、上の空で……」




湯船――と言っても部屋に備え付けの大きな木桶だが――に気持ちよさそうに浸かっていたメロが心配そうに声をかけてくる。セイレーンである彼女は風呂場をすっかり自分の縄張りとしていた。




「黙れ、メロ。妾は今、重要な作戦を練っておるのじゃ」




クーネルは毛布の中で、にやりと笑った。


彼女が練っていた作戦とはもちろん、あのティアラをどうやって盗み出すか、である。




「ふむ。あの小僧の話ではライブとやらは夜まで続く。ならば、その間に楽屋に忍び込むのが定石じゃな。シュっといって、サッと奪う、妾の敵ではないわ」




完璧な計画のつもり。


クーネルはそう確信すると、やおら毛布から飛び起きた。




「メロ、妾は少し、夜の散歩に出かけてくる」


「え? こ、こんな夜更けにどちらへ……?」


「決まっておる。ティアラを盗みに行くのじゃ」




さらりと言い放つクーネル。


その言葉にメロは湯船の中で、ぱしゃん、と大きく水音を立てた。




「盗む!? だ、だめです、クーネル様! 絶対にいけません!」




メロは慌てて湯船から身を乗り出した。




「だいたいそういう時、無計画にやって結局ダメになって、皆に怒られると力推しで解決しようとするんですから。でも今のクーネル様はかよわい乙女。無理です、どうか、お考え直しを」




必死に諫めるメロ。


彼女のセイレーンとしての鋭い勘があのティアラに秘められた、尋常ならざる魂の呪いを感じ取っていたのだ。




だが今のクーネルにそんな忠告が届くはずもなかった。


なにせ、彼女の頭の中は「美味そう」でいっぱいなのだから。




「黙れ、メロ! 貴様に妾の深遠な考えが分かってたまるか!」




クーネルはびしっと、メロを指さして言い放った。




「よいか、魔族の長たるもの時にはッ! メルティ・キス・メロディのティアラを盗み出さねばならぬ時があるのじゃッ!」




それはあまりにも意味不明な、しかし、絶対的な自信に満ちた宣言だった。


メロはぽかん、と口を開けたまま、何も言い返せない。




(……わたくしの知っているクーネル様だわ。理屈が通じない時のこの感じ……)




メロは諦めの境地で、悟った。


こうなった主を止められる者はこの世にいない、と。




「では留守は任せたぞ」




クーネルはそう言い残すと、夜の闇に紛れるように軽やかな足取りで、宿の部屋を飛び出していった。


その顔には極上の獲物を前にした、捕食者の笑みが浮かんでいた。

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