通りすがりのぷりちーガールじゃ

夜の帳が下りた商業都市タヴロッサは昼間とはまた違う熱気に包まれていた。


特に野外ライブ会場となっている広場周辺は色とりどりのサイリウムの光と、ファンの地鳴りのような歓声で、一種の祝祭空間と化している。




その喧騒を背に一人の少女が楽屋口へと悠然と歩みを進めていた。


クーネルである。


彼女の頭の中にあるのはただ一つ。


「ティアラ、いただく」


それだけである。




楽屋口の前には屈強そうな体格の警備員が二人、仁王立ちで目を光らせていた。


常人ならば、その威圧感に気圧され、すごすごと引き返すだろう。


だがクーネルは違った。


彼女は何一つ臆することなく、堂々と、その警備員の前へと歩み寄った。




「……ん? 嬢ちゃん、ここは関係者以外、立ち入り禁止だぜ」




警備員の一人が面倒くさそうに声をかける。


しかし、クーネルの姿をまじまじと見た瞬間、その表情がわずかに変わった。




陽光を溶かしたかのような金色の髪。褐色の滑らかな肌と、人形のように整った顔立ち。そして、何より、その身に纏う、尋常ならざるオーラ。


それは場末の警備員ですら、「こいつはただ者ではない」と感じさせる、圧倒的な存在感だった。




「なんじゃ。妾を止めるつもりか? おぬしら、何様のつもりじゃ」




帰ってきたのはあまりにも横柄な態度だった。


警備員たちは顔を見合わせた。


この業界、コネや家柄で、とんでもない新人がいきなり現れることは珍しくない。


下手に追い返して、大物プロデューサーの逆鱗にでも触れたら、自分たちのクビが飛ぶ。


それにこんな可愛い少女が悪事を働くとも思えない。


たぶん、どこかのアイドルだろう。


彼らは即座に最も無難な結論に達した。




「……どうぞ」




やる気のない声で、道を譲る警備員。


軽く会釈までしている。




「うむ。ご苦労じゃ」




クーネルはそれがあたかも当然であるかのように片手をひらりと上げて応えると、悠々と楽屋口を通り抜けた。


警備員たちのあまりにもあっさりとした対応に彼女自身、少し拍子抜けしていた。




クーネルはご満悦な表情で、楽屋の廊下を進んでいく。


彼女にはティアラの放つ、あの禍々しいオーラが道標のようにはっきりと感じられた。


まるで、極上のチーズの匂いを嗅ぎつけたネズミのようにそのオーラを辿っていく。




「こっちじゃな」




一番奥、ひときわ豪華な扉の前で、クーネルは足を止めた。


『LULU』と、金色のプレートが輝いている。


トップアイドル、ルルの個人楽屋だ。


中から漏れ聞こえてくる、甘い香水の匂いと、微かだがあの魂の澱の芳香。




クーネルは扉に手をかけようとして――ふと、気づく。


鍵がかかっていない。


それどころか、扉が少しだけ開いている。




「……不用心な小娘め」




彼女は音もなく扉を開け、中へと滑り込んだ。


部屋の中は無人だった。


ステージ衣装や、ファンからのプレゼントであろう花束、ぬいぐるみなどが所狭しと置かれている。


その中心、鏡台の上にそれはあった。




『奇跡のティアラ』。




照明を浴びて、ダイヤモンドがきらきらと輝いている。


だがクーネルの目にはそれがじゅわじゅわと、最高級の肉汁を滴らせる、極上のステーキのように見えていた。




「見つけたぞ、妾のティアラ!」




よだれが出そうになるのを必死でこらえる。


クーネルは吸い寄せられるようにティアラへと手を伸ばした。


その冷たくて硬い感触が指先に伝わった、まさにその時。




「――そこで何をしている!」




背後から、鋭い声が飛んだ。


しまった、と振り返る間もなく、部屋の扉が勢いよく開け放たれ、数人の大人たちがなだれ込んできた。


事務所のスタッフだろう。




「き、君は……! ルルちゃんのティアラに何を……!」




スタッフの一人がクーネルの手元を見て、顔を青ざめさせた。


そうして慌ててティアラをひったくり、その身の後ろに隠してしまった。


その目はクーネルを完全に「ティアラを盗みに来た、不届き者」として捉えている。




「おい! 誰か、警備を呼べ!」


「いや、待て!」




混乱する現場を一番年嵩のハゲでデブで髭の男が野太い声で制した。


彼はこの会場の総合プロデューサーである。


彼はクーネルを頭のてっぺんからつま先まで、値踏みするようにじろじろと眺めている。


その目は他のスタッフとは違っていた。


困惑や怒りではなく、むしろ、面白いものを見つけたかのような、好奇の色を浮かべていた。




「……君、名前は?」


「クーネルじゃ」


「クーネル……。聞いたことがないな。どこの事務所の子だ?」


「どこにも所属しておらん。通りすがりのぷりちーガールじゃ、覚えておかぬとも良いぞ」




クーネルのあまりにもふてぶてしい態度にスタッフたちは逆に面食らっていた。


プロデューサーの男は顎に手をやり、ふむ、と唸る。




「……面白い」




プロデューサーの頭の中で、ある閃きが電光のように走った。




「この子、見ろ。この物怖じしない態度、謎の自信、そして何より、この圧倒的なルックス……! お前もそう思うだろ?」


「はっ、確かに!(またこいつ、面倒な事をおもいついたな…)」


「ただ者じゃない。ルルの相手として、これ以上の逸材はいないんじゃないか……?」




盗みに入った?


そんな些細なことはどうでもいい。


この業界、目立って、話題になって、なんぼの世界だ。




プロデューサーはにやりと口の端を吊り上げた。


そして周りのスタッフたちに聞こえるようにこう言った。




「なるほどな……。ティアラが欲しかった、か。――つまり、こういうことだな?」




彼は芝居がかった仕草で、クーネルを指さした。




「君はトップアイドルである、このルル・メルティハートに挑戦状を叩きつけに来た! 『そのティアラは私こそがふさわしい』と! そうなんだな!?」




「……は?」




クーネルはぽかんとした。


この男は一体、何を言っているのだ。




だが周りのスタッフたちはプロデューサーの意図を即座に理解した。




「な、なるほど! そういうことでしたか!」


「いやあ、最近の若い子は度胸がありますねえ!」


「面白い! これは面白くなってきましたよ!」




話はクーネルのあずかり知らぬところで、勝手にとんでもない方向へと、猛スピードで転がり始めていた。




「よし、決まった!」




プロデューサーがパン、と手を打つ。




実は彼らはある問題に頭を悩ませていた。


明日、このフェスの特別企画として、アイドルたちによる「コーディネート審査」と「食レポ対決」が予定されていた。


協賛スポンサーの衣装屋、飲食店、彼らが喜ぶものをださねばならるまい。


そこでトップアイドルであるルルをさらに引き立てるためのいわば「かませ犬」役が必要なのだが、エントリーしているのがいまいちパッとしない、二流、三流のアイドルばかり。


このままでは対決が盛り上がりに欠けるのは火を見るより明らかだった。




「明日の対決企画、急遽、この謎の新人『クーネル』を特別ゲストとして招待する! トップアイドル『ルル』に真っ向から挑む、シンデレラガール! いいじゃないか、この筋書きは!」




「おおー!」と、なぜか盛り上がるスタッフたち。


クーネルは一人、状況が飲み込めず、目を白黒させている。




……挑戦? しんでれらがーる? なんじゃ、それは。妾はただ、この美味そうなティアラをちょっと、味見したかっただけなのじゃが。




だが盗みに入ったとは今さら言えない。


言えば問答無用で、衛兵に突き出されるだろう。


衛兵をなぎ倒してもいいが、ティアラは手に入らないだろう。


ただただ他人を殴って終わるだけだ。




こうして、食い意地の張った元四天王は本人の意図とは全く無関係にトップアイドルへの挑戦者として、華々しい(そして、不本意な)デビューを飾ることが強制的に決定してしまったのであった。

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