契約の聖剣

「だから言うたであろうが」




クーネルの、どこまでも尊大で、そして妙に落ち着き払った声が、絶望に満ちた地下通路に響き渡った。


彼女は迫りくるアンデッド盗賊団にも逆さ吊りでわめいているラクレスにももはや興味がないとでも言うようにふいっと顔を背けた。


どこから取り出したのか、先ほど城内で見つけた年代物のワインを、ラッパ飲みし始めたではないか。




ゴクッ、ゴクッ……ぷはーっ!




「……んまいっ!」




「お、おい。何、酒飲んで…、え、この状況で!?」




ラクレスの悲鳴じみたツッコミもどこ吹く風。


クーネルはすっかり頬を上気させ、いい気分になっている。




「ふぅ……。ブローチを見たときから思とったわ。あの禍々しい魔力。我らが迷い込んだのではない、我らが呼ばれたのだと」




ボトルを片手に彼女は再びラクレスへと向き直った。


その目は既にとろんと据わっている。




「この役立たず。いつまでそんな無様な格好でぶら下がっておるのじゃ。さっさとその剣を出して振るえ。もう姿が見えれば妾が使うまでもない」




クーネルは酔いの回った頭で、再び同じ要求を繰り返した。


その剣をよこせ、と。




「む、無理だ! この状態じゃ……!」


「出すだけで良い。今、この聖女クーネル様が、直々に奇跡というものを見せてやるからのう」




その根拠のない自信と、あまりの剣幕にラクレスはもはや抵抗する気力すら失っていた。


どうせこのままでは、二人まとめてアンデッドの餌食になる。


ならばせめて、この訳の分からないわがままに最後の願いを託すしかない。




「……わかった。わかったから……、どうすればいいんだ」




諦めと、観念。


ラクレスは力なくそう呟くと、逆さ吊りのまま、なんとか背中を大きく揺らし、剣を落とした。


足に棘が食い込む。痛みに耐えつつ、落ちゆく剣の柄を空中で握った。




「うむ。よろしい」




クーネルは満足げに頷くと、差し出された剣の柄を、下から両手で恭しく支えた。


ラクレスの手と、クーネルの手。


二人の手が、一つの剣の柄の上で、重なり合った。




その瞬間だった。




「ひっく……。のう、小僧、この酒、なかなかいけるぞ。後で、一緒に……」




酔いが回り、すっかり上機嫌になったクーネルの体から、抑えきれない魔力が、じわりと漏れ出した。


それは呪いによって制限されてはいるものの、紛れもなく元四天王の黄金の蛇の魔力。


その質の良い濃密な魔力が、二人の手を介して『誓約の聖剣』へと流れ込んでいく。




ゴオオオオオオオオッ!!




剣が哭いた。


これまでラクレスが使っていた時とは比べ物にならないほどの、禍々しいオーラを放ちながら。


剣身に刻まれた、ただの装飾だと思われていた紋様が、一斉にまばゆい光を放ち始める。


神々しさを感じる光。


神が「光あれ」と唱えた時に出てきたと思えるような完ぺきな光。


どこまでもまっすぐ届く、コヒーレント光が無数に散らばる。


しかしそれはまるで、無数の飢えた亡者の叫び声が形になったような光だった。




「な……なんだ、これは……!?」




ラクレスは自分の手の中にある剣が、まるで生き物のように脈動しているのを感じ、恐怖に目を見開いた。


聖なる剣が目の前いるアンデットより不気味である。




「ふぅん。ようやく目を覚ましたか、この食いしん坊め」




クーネルは酔眼で、しかし全てを知っているかのように勝ち誇って言い放った。




「やはりな小僧、よく見ておけ。この『誓約の聖剣』とかいうなまっちょろいものではない。その実態は命を吸いとる、魂喰らいの魔剣じゃ」


「ま、魔剣……!?」


「おぬしもうすうす気づいておったじゃろう。やけに妾をこの剣から遠ざけておったし」


「それは…。俺だけは平気なんだ…。他の人はこの剣を握ると、まるで魂が抜けたかのように倒れて……」


「そりゃおぬしはこの鎧(自動回復機能付き)があるからじゃな」




クーネルは鎧をコンコンと叩いた。




「そして血肉を持たぬ魂むき出しの亡者なぞ、こやつにとっては目の前にぶら下げられた馳走に他ならんのよ」




クーネルの言葉を証明するかのように聖剣(魔剣)はアンデッド盗賊団の魂に呼応し、さらに激しく、飢えたように脈動を始めた。


その切っ先はもはやラクレスの意思とは無関係に最も近くにいたアンデッドへと、ぴたりと向けられていた。




ラクレスは宙づりで頭に血が上りながら、さらに錯乱した。


教会から授かった聖なる剣。人々を救うための希望の象徴。


かつて勇者が使い、仲間の窮地を幾度となく救った聖剣と聞いた。


その正体が、魂を喰らう忌まわしき魔剣?


そんな馬鹿な話があるか。


だがこの手の中で暴れ狂う禍々しい脈動は、紛れもない現実だ。




アンデッドたちが、じりじりと距離を詰めてくる。


奴らの兜の奥で燃える魂の光が、ラクレスを、そしてクーネルを、まるで極上の獲物のように見つめていた。




(……ああ、そうか)




この絶望的な状況で、ラクレスの思考は逆に妙にクリアになっていた。




(最初からおかしかったんだ)




彼女はいつだって常識外れで、突拍子もなかった。


だがその言動は結果として、常に自分たちを良い方向へと導いてきた。


ロックボアの時もそうだ。


今回も。




(今は信じるしか、ない)




この得体の知れない少女を。


この忌まわしい力を解放した、手の中の剣を。




何より――




チラリ、とラクレスは自分の横で、まだワインをちびちびやっている呑気な少女を見下ろした。


自分を庇って、不用心に罠にかかった、どうしようもない少女。


だが彼女が本当に聖女ならば、自らの目的を達成できるかもしれない。


あの、故郷が滅びた時に誓った、呪いに等しい復讐心――。




「……やるしかないのかっ!」




ラクレスは奥歯を噛み締めた。


ならばこの少女を信じ、守るのが今の役目。


逆さ吊りのまま、ありったけの力を込めて、魔剣の柄を握りしめる。




「――いけるのか、クーネル!」


「フン、誰に言うておる。お主は妾にすべてを任せればいい」




その、根拠のない、しかし絶対的な自信に満ちた言葉が、ラクレスの最後の迷いを吹き飛ばした。




「……わかった」




ラクレスの覚悟に応えるかのように魔剣は咆哮した。




ゴオオオオオオオオオオオオオッ!!




光のオーラが、奔流となって溢れ出し、薄暗い地下通路全体を染め上げる。


剣先から白くまばゆい、巨大な天使のような羽が生えてきた。


純白で神々しく、まさに聖なる剣と呼ぶにふさわしい見た目である。




「さあ、晩餐の時間じゃ、腹ペコ魔剣よ。存分に喰らうがよい!」




クーネルの酔っぱらった号令が引き金だった。




最初に動いたのは一番近くにいた斧持ちのアンデッドだった。


その錆びついた斧が、無防備なラクレスの脳天めがけて振り下ろされる。




「――遅い」




だがそれよりも早く、魔剣が動いた。


ラクレスが振るったのではない。剣が自らの意思で獲物を捉えたのだ。




天使の羽がアンデットを撫でる。


優しく包み込むような、地合いにあふれるような動きで。


あの羽に触れたら心地よく、いつまでも寝てしまえるような。




「ギ……!?」




アンデッドの動きが、ピタリと止まる。


次の瞬間、その鎧の隙間から、青白い魂がずるりと引きずり出された。




「ギシャアアアアアアアアアアアアアアア!!」




魂は悲鳴を上げながら、羽箒にからみとられたチリのように吸い込まれていく。


ジュウウウッ、と。


肉を焼くような音を立てて、魂が喰われる。


魂を失った鎧はただのガラクタとなって、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。




「……すごい」




ラクレスはその圧倒的な光景に呆然と呟いた。


物理攻撃が一切効かない不死身のアンデッドがたったひと撫でで。




「何を呆けておる、次が来るぞ」




クーネルの檄が飛ぶ。


仲間を喰われたことに気づいたのか、残りの四体のアンデッドが、一斉に襲いかかってきた。


四方八方からの、逃げ場のない攻撃。




「うおおおおおっ!」




ラクレスはもはや無我夢中だった。


逆さ吊りのまま、ただひたすらに魔剣を振り回す。


剣は彼の意思に応え、まるで嵐のように光の斬撃を撒き散らした。




ドッ! ギャッ! ズバァァン!




神々しい光の翼が、縦横無尽に空間を駆け巡る。


一体を捕縛し、魂を喰らう。


その隙に迫ったもう一体の剣。


しかし翼はそれをすり抜け、防御しようにもさせぬまま喰らう。


まるで熟練の釣り師が、入れ食い状態の魚を次々と釣り上げるかのような、一方的な展開。




「ギィィィィィ!」


「アアアアア……!」




アンデッドたちの断末魔が、地下通路に木霊する。


それは恐怖の叫びであり、同時に魔剣にとっては心地よい食事のBGMでしかなかった。




一体、また一体と、魂を喰われ、崩れ落ちていく鎧の山。


ものの数十秒で、あれほど絶望的だった状況は完全に終わりを告げた。




後には静寂と、崩れ落ちた五領の鎧だけが残されていた。


魔剣は満足げに輝きを収め、まるで満腹後のように静かになっていた。




「……終わった……のか……?」




ラクレスはぜえぜえと息を切らしながら、呆然と呟いた。


その時、彼を吊るしていた縄が、ぷつり、と切れた。




ドサッ。




地面に叩きつけられたラクレスは痛みよりも目の前で起こった出来事への混乱で、しばらく起き上がることができなかった。


そんな彼の元にクーネルが、千鳥足で歩み寄ってくる。




「ふぅむ。なかなか、良い食いっぷりであったな」




彼女は満足げ剣にそう言うと、勝利の祝杯とばかりにまたワインを一口呷った。


その姿は世界の危機を救った聖女というよりはただ、厄介事を片付けてご機嫌なだけの、酔っぱらいの少女にしか見えなかった。



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【用語解説】

光あれ:聖書『創世記』の冒頭部「神は「光あれ」と言われた。すると光があった。—創世記 1章3節」

コヒーレント光:光束が完全に重なった分散しない光。この世に存在しない光。レーザーポインターがそれに近い。

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