アンデットスライムマッシュルームあんかけソテーを食べる現役最強2階建て住宅
アンデッド盗賊団との死闘(という名の一方的な魂の捕食ショー)が終わり、地下通路には静寂が戻っていた。
後にはガラクタと化した鎧の残骸と、言いようのない疲労感だけが残されている。
「……終わった……のか……」
ラクレスはまだ禍々しいオーラの名残を放つ魔剣を杖代わりに、なんとか立ち上がった。
全身が自分のものとは思えないほど重い。
「なかなかの働きであったぞ、褒めてつかわす」
一方、クーネルはというと。
先ほどまで飲んでいたワインボトルを片手に、壁という壁を、まるで宝探しでもするかのように、キョロキョロと見回していた。
「何をしてるんだ。早くここから出よう」
「何を言うておる。これからが、本番じゃろうが」
「本番?」
「うむ。饗宴の第二幕じゃ」
そう言うと、クーネルは通路の壁の一点を指さした。
アンデッドたちが集団で闊歩していた場所。
緑色をした半透明の粘液のようなものが、べったりとへばりついている。
それはまるで巨大なナメクジが這った後のような、お世辞にも美しいとは言えない光景だった。
「あれを集めよ。新鮮なうちに、な」
「……は? あれを?」
ラクレスは眉をひそめた。
あれは霊的存在がこの世に強い干渉を行った際に残すとされる、魔力の残滓――心霊物質、『エクトプラズム』だ。
要するに幽霊のヨダレみたいなものである。
常識的に考えて、触るのも躊躇われる代物だ。
「当たり前じゃ。アンデット狩りのあとの醍醐味といえばこれじゃ。ゴーストをバスターした直後でしか味わえぬ、最高の食材じゃぞ」
「しょ、食材……!?」
「うむ。この新鮮な『ゴースト・スライム』を調理して食すことで、我ら生者は一時的に冥界との扉を開き、死者の声を聞くことができるようになるのじゃ。さあ、早くせい。時間が経つと、味が落ちるぞ」
クーネルは目をキラキラさせながら、とんでもないことを言い放った。
死者の声を聞く?
冗談じゃない。そんなオカルトめいた話、信じられるわけがない。
それにどう見たってあれは食べ物じゃない。
「い、嫌だ! 絶対に嫌だ! あんな、得体のしれないものを料理なんか…っ」
ラクレスは全力で首を横に振った。
「……まあ、よい。おぬしが食わぬのであれば、それでも構わん。だが妾は食う」
「あぁ、そう…」
「そして妾が食うための料理を、おぬしが作るのは当然の務めであろう?」
自分が食わないのであれば、調理するだけなら、まあ、ギリギリ……。
ラクレスは錯乱した末に、よくわからない妥協点を見出した。
クーネルの食への執念には、もはや何を言っても無駄なのだ。
しぶしぶといった体で、ラクレスは壁にへばりついた緑のスライムをナイフで慎重にこそげ落とし、鍋へと集めていった。新鮮だというのに既にどこか腐敗臭がしていて、鼻がひん曲がる。
ひんやりとして、ぬるりとして、なんとも言えない不快な感触だった。
「よし。では、調理を始めるぞ、小僧」
クーネルの号令一下、再び、廃城の地下で、奇妙な料理が始まった。
まずラクレスは、鍋に入れた緑のスライムを弱火にかける。
スライムはじゅわぁと音を立てて溶け始め、やがてとろりとした、あんかけのような粘度のある液体へと変化した。
色は不気味な半透明の緑色のままだ。
「うむ。火加減は、それでよい」
次にクーネルの指示で、ラクレスは先ほど倒したアンデッドが持っていた錆びた小瓶を手に取った。
中には乾燥してカラカラになった黒い粉が入っている。
「それは『忘却の粉塵』じゃ。悪霊に汚染されたスケルトンの骨を粉末にしたものでのう。これを加えることで味が引き締まる」
「……動物の骨だよな? まさか人骨じゃ」
「あー。そういうの気にするタイプじゃったか? ん~、あぁそうそう、なんかたぶん、鳥かなんかじゃぞ」
クーネルは言葉を濁した
ラクレスは諦めの境地で、その黒い粉を鍋に振り入れた。もはや粉になっていれば、原材料の見分けがつかない。
すると緑の液体が一瞬、パチパチと火花を散らし、やがて森の木々を思わせるような不思議と落ち着く香りを放ち始めた。
最後に味付けだ。
盗賊が残していた岩塩をひとつまみ。
それからクーネルが、自分の懐からこっそり隠し持っていた、小さなキノコを取り出した。
「これは、『夢見ダケ』じゃ。仕上げに、これを浮かべるのじゃ」
「……それは、どこで……」
「さっき、そこの壁の隅に生えておった。アンデットの周りにはだいたい生えとるもんじゃ」
ラクレスはこれは料理ではなく、魔術のなにかだと理解した。
全ての工程を終えると、出来上がった世にも奇妙な料理を、近くに会った銀製の皿に盛り付けた。
それは、『アンデット・スライムの夢見ダケあんかけソテー』とでも呼ぶべき代物だった。
とろりとした緑のあんが皿の上で妖しく輝き、その中央に小さなキノコがまるで瞳のように浮かんでいる。
出来立てだというのに、温められた生ゴミのような臭いがして、とてもではないが顔を向けられない。
「うむ、見事な出来栄えじゃ。では、早速……!」
クーネルは目を輝かせながらさじを手に取り、その緑の物体を、ぱくり、と一口で食べた。
「んむっ……! おお……おおおっ! オオオオォォオ!☆?!☆??!」
食べた瞬間、クーネルの金色の瞳が、カッと見開かれた。
その視線はもはやラクレスを見ていない。
喉の奥から虹色の光を放ち、眼孔は開ききったまま泳いでいる。
そうして虹を吐き切ったのち、誰もいない虚空の一点をじっと見はじめた。
「おお、フセルメルではないか! 久しいのう! なんじゃ貴様、死んでからもまだ竜の絵を描いておるのか、懲りぬやつよのう!」
突然、クーネルは誰にともなく、空虚に向かって楽しそうに話しかけ始めた。
「なに? 冥界のケルベロスを描きたいが、三つの頭のバランスが難しいじゃと? 馬鹿者、発想が貧困じゃ! なぜ、頭を三つに限定する! 五つでも、十でも、百でも描けばよかろうが! 妾がチョコレートで現役最強2階建て住宅だった時はな、ケルベロスの頭をちぎってはなげ、ちぎってはなげと――。ウェっ…。ところで今ならポイントカードでお得な砂糖200gを小さじ1杯じゃぞ、会員にならんか?」
虹色の涎を吐きつつ、料理を手づかみで掻き集め、空中で袋詰めを始めるクーネル。
当然袋などなく、緑のジェルがぼとぼとと床に落ちていく。
完全にイッてしまっている。
その料理の効果はクーネルの言うような「冥界との対話」などという、ファンタジックなものではない。
いわば、強力な幻覚剤のようなものなのだ。
ラクレスの目にはクーネルがただ一人で虚空に向かって、狂ったように支離滅裂なことを喋っているようにしか見えなかった。
(……ダメだ。完全に、頭がおかしくなってしまった)
ラクレスは頭を抱えた。
しかしそんな狂気の光景の中で、ふと気づく。
虚空と語らうクーネルの表情は、ここ最近で見たどんな顔よりも、幸せそうで楽しそうだった。
まるで旧友との再会を、心から喜んでいるかのように。
その無防備で、純粋な笑顔を見て、ラクレスの心にほんの少しだけ好奇心が芽生えた。
(……もし、本当に……死んだ人に、会えるとしたら……)
ラクレスは皿の上にまだ少しだけ残っていた、緑のあんかけソテーを見つめた。
そして意を決すると、その指先にほんの少しだけ緑の液体をすくい取り、ぺろり、と舐めた。
その瞬間。
世界が、ぐにゃり、と歪んだ。
目の前の廃城の景色が消え、代わりに懐かしい、陽の当たる家の庭の光景が広がる。
油の臭い。
食器がカチャカチャと鳴る音。
騒がしい人の声。
でもなにを言っているかはわからない。
食堂だ。
見覚えのある食堂だった。
そしてそこに、一人の少女が立っていた。
明るい笑顔で、彼に向かって手を振っている。
『――おかえり。お兄ちゃん、どこいってたの』
ずっと忘れられなかった、もう二度と帰れない家。
ずっと会いたかった、もう二度と会えないと思っていた妹の姿。
ただのイカれた幻覚なのか。
それとも、本当に一時だけ許された奇跡の再会だったのか。
それは誰にも分からない。
ただ、ラクレスの頬を一筋の温かい涙が、静かに伝っていった。
「…あぁ、ただいま」
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