『言葉の牢獄』

「言葉には言霊っていうものがあって、いいことを言えばいいことが起きる。悪いことを言えば、悪いことがおこるんだよ」


そう教えてくれたのは、近所の優しいおばあちゃんだった。

俺は笑い飛ばした。迷信だろ、と。

だからその後も、気に食わない奴の悪口を吐き、不満があればすぐ暴言をぶちまけた。

何も起きなかった。そのおばあちゃんが死ぬまでは……。


葬儀の夜、俺は疲れ果ててベッドに倒れた。

スマホを睨みながら、ふと口をついた。


「ったく、クソみたいな一日だったな。あいつら全員、死ねばいいのに」


すると、背後から、確かに俺の声が聞こえた。


「……死ねばいいのに」


振り返っても、誰もいない。

空耳だと思った。でも、その夜からだ。

悪口を言うたび、部屋のどこかから奇妙な反響が返ってくる。

まるで壁が、俺の言葉を覚えているかのように。


やがて返ってくる声は、もう俺の声だけじゃなくなった。

かすれた老婆の声、子供の甲高い声、男の呻き。

壁の染みが、無数の口に見えた。


やがて俺が黙っていても、部屋は声で満ちた。

「死ねばいいのに」「消えろ」「クソ野郎」

俺の言葉が、何度も、何度も繰り返される。


怖くて、もう誰とも話さなくなった。

だが遅かった。

喋らなくても、過去の悪意が耳にまとわりつく。


そのうち、外に出ても悪いことばかり起きるようになった。

誰にも嫌われ、俺はますます荒んだ。


ある夜、声の渦の隙間から、誰かが囁いた。


「……いいことを言えば、いいことが起きるんだよ」


あのおばあちゃんの声だった。

俺は震えながら、呟いた。


「……ありがとう」


すると、部屋に満ちていた悪意の声が、ほんの少しだけ静まった。

すぐに、懐かしい声が耳元で優しく言った。


「その調子だよ」


俺は何度も繰り返した。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう……」


それしか言えなくなっていた。


でも、その背後で、確かに誰かが囁いた。


「……死ねばいいのに」

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