第15話 清算の雨
夜の森。冷たい雨に打たれながら、第二分隊の精鋭たる勇者たちは敗走の途についていた。
いつも通りに勝利とも言えない一方的な狩りを完了するはずだった。しかしどうだ。隊員である勇者のひとりは暴走した魔族によって跡形もなく灰と化し、隊長たるゲイルは与えられた任務目標である異端児に力の源である蒼星に甚大なダメージを受けてまともに歩く事も叶わず部下に支えられてようやくといった始末。
屈辱だった。敵とすら認識していなかった者に、実際自身より遥かに実力の劣る相手に喫した敗北はゲイルにとってただの敗北以上の意味を与えた。
「殺す……殺してやる……ケントォ……」
ぶつぶつと呪詛じみた言葉を呟きながらよたよたと歩く様は、生き残った部下二人から見れば酷く痛々しく映る。
挫折を味わったことのないゲイルの精神と自尊心は、ひび割れながらも折れずにその歪みを一層強くした。胸中にあるのは闇い復讐心のみ。……もっとも、蒼星が壊されかけ晶力さえもまともに練られない彼にそれが叶うのかは甚だ疑問であるが、そんなことは関係ないといわんばかりの憎しみを抱いている。
「ひどい有り様、ですねー」
女の声がした。
二人の部下が警戒体制をとり、声がした方向からゲイルを庇うように立つ。
木の陰から姿を現したのは使用人服を見に纏った少女だった。気怠げな雰囲気を纏う彼女にゲイルは見覚えがあった。
「……プリム。アリア様の侍従が何の用だ」
「そのアリアさまより、第二分隊が異端の勇者の始末を引き受けたのでそのフォローを、との御命令を受けましてー」
警戒の目を向けるゲイル達にどこ吹く風といったようにプリムは話す。
それを聞いて、三人は多少の安堵を覚えた。ケントの能力、その危険性を身をもって知っているアリアが念の為送ったのだろうと考えたのだ。普段なら万が一にも起こり得ない事態に対する措置に嘲りの一つでも零すところであったが、その万が一に当たってしまった以上彼らには何も言えない。
「……助かる。情けないが見ての通りだ。お前のゴシュジンに手酷くやられたよ」
「ええ、そのようでー。私も鼻が高いですよー」
「相変わらずだな。アレの監視命令、受けてるんだろ?よくもまぁそんな風に言えるもんだ」
肩をすくめて鼻で笑う。
正直なところゲイルはプリムの事が苦手だった。
のらりくらりと本心を見せずにいるタイプがどうにも性に合わない。これが直属の部下であったなら、あるいは勇者であったなら指導のひとつも出来るが、彼女はそうではない。更に言えば上司の、それも
とはいえ、彼女の仕事に対する能力は認めているところだ。それはケントの訓練相手を務めていたときに承知している。
「すまないが処置を頼めるか。すぐにでもミアレスに戻って部隊を編成しなきゃならん。ケントもそうだが、あの化け物を放っておくわけにもいかないからな」
それを聞いたプリムの目元がピクリと反応を示すが、彼等はそれに気が付かない。
「ええ、はい。処置ですねー。……まぁ処置というか処理なんですケドもー」
「なに?」
プリムの言葉にゲイルは怪訝な顔をする。
それを気にする素振りもなくプリムはいつも通りの調子で話し始める。
「私、結構怒っているんですー。仕事とはいえあの子のそばにいてあげられなかった。あんなことになるなら仕事なんて放っておけばよかったのに」
「……何を言っている?」
「ああ、いえ。これはただの独り言でー。ええ、仕事でしたね。ただちに致しますよー?」
プリムは居住まいを正して、態とらしくカーテシーを行う。その行動にますます意味が分からないと三人は困惑をみせる。
「では改めましてー。ミアレス大隊第一分隊、副隊長プリム•アイシーン。ヘイゼル元司教の命による独断専行、及び保護指定区域B-3号への無断の侵入に作戦行動を行った、第二分隊長ゲイル•シュトラウス以下三名の勇者の処理を執行致します。……まぁ、お一人は既に事故死されたようですので手間が省けて幸いです、ねー」
「……は、なに、を」
事態を飲み込めていない三人を他所に、プリムは慣れた手付きで服に着けていたアクセサリーを外して温度のない声で、顔に作り物の綺麗な笑顔を貼り付けて宣告した。
「それでは皆様、良き旅路となりますよう——」
雨は、まだ止まない。
×
「アリア様、プリムより処理が完了したとの報告が上がりました。隊員はその場で処分。ゲイル元第二分隊長は聴取の為、第一分隊員によって現在護送中です」
執務室に入ってきたダリアが開口一番に告げたのは、任務完了の報告だった。
それを聞いたアリアは安堵した様子を見せながらもどこか苦々しげな表情を浮かべる。重大な違反行為、造反ともとれる行いに対する処罰だとしても彼女にとってそれは未だに抵抗のあるものだった。
そんな彼女の心情を知りつつもダリアは敢えてそれを無視して報告を続ける。
「続けて保護指定区域B-3号の一区画、通称ブルカ村の被害状況ですが、壊滅といって差し支えないでしょう。詳細は現在プリムが確認中ですが、生存者はほぼゼロ。加えて村人の魔族の一人が
「……貴女のことだ。魔人の件については既に手は打ってあるんだろう」
「無論、と申し上げたいところですが私共は魔人の件について一切の対応を行なっておりません」
「なっ……、では魔人化した村人はそのまま放置してあるというのか?!」
がたりと椅子から勢いよく立ち上がりアリアは声を荒げる。椅子が音を立てて倒れるがそれを気にする余裕は彼女になかった。
「アリア」
ダリアが名前を呼ぶ。決して大声ではなかったが、よく通り重みのある声。その一声にピクリとアリアは肩を震わせてから、落ち着きを取り戻すべく一つ呼吸を置いて、起こした椅子に座り直した。叱られた子どもの様な雰囲気を出しながらも、話を続けるようにダリアへと促す。
「魔人化した村人はケント•カンザキによって制圧された模様です」
「ケントが……?単身で暴走した魔人を倒したと?」
「はい。正確に申し上げるならば、討伐ではなく抑制とでも言いましょうか。対象を殺害する事なく鎮圧したとの報告です」
「抑制……つまりケントは暴走して魔人と化した者を元に戻したということか?」
「その辺りは現在確認中ですが、少なくとも暴走状態を何らかの方法により止めたというのは事実のようです。私としても信じ難くはありますが……」
アリアの知る限り、暴走状態となった魔族はその当人が自力で抑えない限り外部からは討伐という手段しかとれない筈だった。その点はダリアにとっても同様らしく、彼女も少々困惑気味だ。
同時にアリアは胸を撫で下ろす。
彼女が心配していたのは、彼の身体は勿論のこと、心だった。優しい彼は魔族を殺す事を、そもそもそれが人であれ動物であれ嫌い、よしとしない。だからこそ彼は儀式を否定して出奔したのだから。それに彼の事だ。かの村においても良い隣人となっていただろうことは想像に難くない。短い間とはいえ生活を共にした者を彼がその手に掛けたのならば、その心に大きな傷を負ってしまうに違いないのだ。
とはいえ、村の生存者はゼロに等しい。加えてゲイルの作戦行動は過激なことで知られている。恐らく村は凄惨な状況になっているはずだ。それを目の当たりにしたであろうケントが心配だ。
「はぁ……。プリムにケント殿を気にかけるよう伝えておきます」
「……顔に出ていたか」
「ええ。それはもうハッキリと」
「己が未熟を恥じるよ……」
「是非ともそうして下さいませ、アリア様」
「そう苛めないでくれ。所詮私は未だ
「弱音は聞きたくありませんよ。これは先達としての進言ですが、あまりケント殿に入れ込み過ぎないように。彼は公的には指名手配犯のようなもの。その様では他の者達に付けいられる隙となりましょう」
「……忠言、痛み入ります」
「それでは私はこれで失礼致します」
ダリアは綺麗な一礼を残して執務室を去った。
部屋に一人残されたアリアは、濡れた窓の外を眺める。
既に小雨となり、止みつつある雨は果たしてこの心の蟠りを洗い流してくれるだろうか。
アリアの心は、後悔と懺悔に満ちて激動の夜は尚更けていく。
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