免罪符

@uinauina

プロローグ

 「おはよう」「おはよう」いつも通りの朝だ。私が先に起きて珈琲を楽しんでいるところに、彼がやってくる。起きる時間が違うだけで、お互い寝起きはいい。朝が強い一派である。私が彼との生活を、凪のように穏やかに、しかし薔薇の棘のように時には爽快な刺激を受けながら続けられているのは、この心地よい朝にある。私は、寝起きが悪い人がとことん苦手だからだ。

 彼とは、大学時代に知り合った。バイトが同じだとか、サークルの先輩だとか、そういうありふれた出会いではなかった。道端でうずくまる私を助けてくれたのが、彼だった。

 当時私は、生きる希望を失っていた。いや、もはやこの世に生を受けた時点から、希望など所有していなかったのかもしれない。友人も少なく、ただ単調に講義を受け、バイトに行き、帰って寝る日々だった。そんな自分のことを、好きにはなれなかった。そして、自分を愛せない私を、気にかけてくれる人はいなかった。もちろん、愛してくれる人もいない。愛されたことがないのだから、他人の愛し方もわからない。

 そんな日々に限界が来て、歩くという行為ができなくなっていた。その時、彼が来たのだった。

 「家まで送ります」そう言ってくれた彼に、私は返事ができなかった。帰りたくなかった。電気をつけても、無機質で虚無空間にしか感じられない、ひんやりとした家にもう一度帰るなど嫌だった。それに、誰かから気にかけてもらえたという事実を、噛みしめたかった。家に帰ってお風呂に入ってしまえば、この事実までもが流されてしまう気がした。しかし、家に帰る以外の選択肢もなく、ただ無言を貫くだけであった。

 「住所は?」「この近く?」「一人で大丈夫?」質問攻めするも、まるで思春期の子供のように無視を決め込み抵抗する私に、彼は諦めたようだった。「俺は家に帰る。来たければ、ついて来ればいい。ここで死にたいなら、凍死でもすればいい」

 それが出会いだった。あの日のことは今もはっきりと覚えている。そしてそのまま関係は続き、程なく結婚した。お互い二十七歳の時だった。

 初めて、愛情というものを教えてくれたのが彼だった。妊娠もした。大きなアクシデントもなく、出産した。人間とは不思議なもので、どれだけ苦痛を強いられるものであっても、慣れるらしい。そう、私たちの出産は何度もある。しかし、子供はいない。

 この世界は、産まれた瞬間から社会の子として育てられ、親が誰か分からずに成長する。つまり、出産しても子育てをしなくてよい世界であった。

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