掌の上の物語
@kumanoyumeharu
顔が見えない彼女
太鼓の音。人が歩く音。出店の店員の声。私は誘われるように神社の前へと歩いていた。鳥居には提灯が吊るされていて、とても多い人で賑わっていた。時刻は夕方で空がオレンジの絵の具を垂らしたようなグラデーションになっていて私はいつものリュックを背負って普段よりも華やかで煌びやかな鳥居の中へと進んだ。
少し進んだ出店の一つで私はキンキンに冷えたラムネを買った、店員さんにお金を払って受け取ったがこの人混みでどうやって開けようか難儀しながら進んでいくと、人が少ない広場のような場所があることに気づいた。そこでラムネを開けて飲もうと思いそちらに逸れた。そこは木に囲まれていてベンチが一つ置いてあった。周りに人がちらほらいたがベンチには誰も座っていない。私は少し急ぐようにベンチに向かった。
今では見なくなったビーダマを押し込んで開けるタイプのものだ。ラベルをとって一時的に地面にラムネを置き手の平で押し込んだ、炭酸がいい音で鳴って、私は遅れていた夏を取り戻した感じがする。
ラムネを飲んでいると、人が一人近づいてきた。そちらを見ると澄んだ水色に鮮やかな花弁の柄が入った浴衣を着ている人が立っていた、紅色の巾着を手に持っている。顔を見ようとした時思わずギョッとする。その人の顔が輪郭が分からないほどモヤがかかったようになっていて見えない。まるで水で滲ませたようだ。
「すみません。変なこと聞くんですけど…。」
彼女?は澄んだ通る声で話しかける。
「あなたの顔が変なモヤがかかってて…。」
私はさらに驚く。この人も私の顔が見えていないようだった。
「私もあなたの顔にモヤがかかっていてあなたがどんな顔で驚いているか見れません。」
少し冗談めいてそう遮るように伝える。
私はラムネを少し飲んで「不思議なもんですね」と続けた。我ながら楽観的である。
「私たちだけお互いの顔が分からないのですかね。あの、隣いいですか?」
彼女も楽観的に続ける。私はリュックを足の上に置き、隣へ促した。女性は隣に腰かけ
「なんで私たちだけ見えないんでしょうね。」
彼女も鮮やかな巾着の中身を確認しながらそう言う。
「さあ?生きてれば不思議な事がありますから。」カランと手に持ったラムネのビーダマが鳴る。
「私、今日友達と来るはずだったんです。でもドタキャンされちゃって。でも1人でも楽しんでやろうって思って!」
彼女は少し張り切った口調で言う。
「そりゃいいじゃないですか。なかなか不思議な体験が出来たことですし。」
「確かに。」と彼女は少し笑った私も釣られて笑ってしまう。
少しの静寂の後。
「それじゃ私はそろそろ帰ります。」彼女は立ち上がりこちらに体を向けた。それじゃまたどこかで。そう答えようとした時大きな花火が大きな音ともに鮮やかなグラデーションに浮かんだ、まるで一枚の絵画のように。二人ともそちらを見た。「またどこかで。」そう聞こえた様な気がした。
気がつくと辺りには人が消えていた。祭囃子も輝きも無かった。残っていたのは飲みかけのラムネだけ。カランとまた音が鳴った。
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