あの坂道の、赤

寛ぎ鯛

プロローグ

 赤いポストは、坂の途中にある。

 風に揺れる葉の音と、どこか遠くで鳴く蝉の声。それらが折り重なる中に、その赤だけが、やけに強く滲んで見えた。


 夕方五時すぎ。日はまだ沈まない。けれど、気温は少し落ちついて、アスファルトの熱も引いてきた頃だ。

 誰も通らない道に立ち尽くして、藤川尚はポストを見つめていた。


 手には、もう何も持っていない。

 渡せなかった封筒も、言えなかった言葉も、すべてこのポストの中に落とした──ような気がしていた。


 どうしてあのとき、何も言えなかったんだろう。

 なぜ、あの手紙をあのまま、渡してしまったんだろう。


 それとも、届かなかったことに、救われていたのだろうか。


 どちらにせよ、もう答えは出ない。


 坂の上では、夕焼けが町を染めていく。オレンジに近い赤が、まるであのポストの色に引き寄せられるように。


 藤川尚は、短く息をついて、目を閉じた。

 坂道の途中に立つ、あの赤を残したまま。

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