第23話:箒呼称への執着と理解の深まり
地下深くの古の工房。
「単翼滑空器(フローターウィンド)」の完成が、
いよいよ間近に迫っていた。
機体は、ゼファーの天才的な設計と、
フィリップの選りすぐりの素材、
そしてアリアンナの圧倒的な魔力によって、
まるで生きているかのように、美しく形を成している。
流線型の機体は、光を吸い込むように輝き、
その巨大な翼は、今にも空へ飛び立ちそうだった。
表面は滑らかに磨き上げられ、
魔力の導管が脈打つように淡く発光している。
工房の中は、最終調整の熱気と期待、そして、
いつもの「あの」やり取りに包まれていた。
それは、彼らの研究生活の、
もはや一部となっていた、愛すべき光景だ。
「姫様、もう一度説明させていただきますが、
これは『単翼滑空器』です。
翼長が六メートル、尾翼が二メートル。
魔導炉を搭載し、推力で空を飛ぶ。
物理的にも、魔導工学的にも、
もはや『箒』の範疇ではありません!」
ゼファーは、疲れたように眉をひそめ、
設計図を指差しながら、懇々と説明した。
彼は、壁に貼られた魔導炉の精密な設計図を指し、
計算式をなぞる。
「この推力と揚力、そして安定性を実現するために、
どれだけの計算と、どれだけの素材を投入したと……!
これを『箒』の一言で片付けられるのは、
研究者として、解せません!」
彼の声には、自らの最高傑作を、
正しく認識してほしいという、
研究者としての切実な願いが込められている。
ゼファーは、新たな設計図を取り出した。
様々な翼の形状が描かれた図面。
「一般的な箒の形状で、
揚力を生み出すのは不可能に近い。
空気抵抗、重心位置、魔力伝達の効率……
全てを最適化すれば、この形になるのです!」
彼は、光るペンで、空中に、
複雑な風の流れを視覚化してみせる。
しかし、アリアンナは、
彼の言葉に、満面の笑顔で首を振った。
「えーでもこれ、空を飛ぶ私の箒よ!
だって、飛ぶためのものでしょ?
なら、私の箒に決まってるじゃない!」
彼女の無邪気な主張に、
ゼファーは、呆れたようにため息をついた。
「姫様……物理的に、これはもう箒では……」
ゼファーは、頭を抱えるような仕草をする。
「翼長が六メートル、尾翼が二メートル。
どこをどう見れば箒に見えるんですか……!
空を飛ぶための、純粋な機能美の結晶ですよ!」
彼は、ぐっと拳を握りしめ、
姫の「常識外れ」な命名に抗議する。
だが、アリアンナは、そんな彼の言葉など、
全く耳に入っていないようだった。
「だって、空を飛ぶためのものなんでしょ?
なら、私の箒に決まってるじゃない!」
彼女の無邪気な主張に、
ゼファーは、結局何も言えなかった。
フィリップは、そんな二人のやり取りを、
微笑ましそうに見守っていた。
「姫様がそう仰るなら、そうなのでしょうね。」
フィリップがそっと呟くと、
ゼファーは疲れたように首を振る。
「フィリップまで……!
あなたも技術者でしょう!」
フィリップは、穏やかに答えた。
「ですが、姫様の夢の形は、
最初から『箒』なのですから。
真の魔法は、数字だけでは測れませんよ。」
彼の言葉に、ゼファーはぐうの音も出なかった。
彼の怒りは、いつの間にか収まっている。
このやり取りが、彼らの間で何度も繰り返された。
この、終わりの見えない「箒」呼称論争を通じて、
フィリップとゼファーは、
アリアンナの夢の、本質を、
より深く理解していくことになった。
彼女にとって、「空を飛ぶ」ことは、
単なる技術的な到達点ではない。
それは、幼い頃に童話で見た、
あの「箒で空を駆ける魔女」の夢そのものなのだ。
その「箒」への執着は、
どんな物理法則や魔導理論をも凌駕する、
純粋で、揺るぎない、彼女の心の核だった。
彼らは、姫の夢が、
どれほど純粋で、どれほど強いかを、
肌で感じたのだ。
そして、自分たちの使命は、
単に「人を空に飛ばす」ことではなく、
「姫の夢見た『箒』で、空を飛ぶ」
ことを実現することだと、認識し始める。
それは、二人の研究者としての誇りを刺激し、
彼らの技術探求に、新たな意味を与えた。
工房の中は、時にユーモラスなやり取りに包まれながらも、
三人の絆は、日ごとに深まっていった。
夜遅くまで作業をすることも増え、
共に魔法茶を飲みながら、
他愛のない話をする時間が増えた。
互いの個性を尊重し、
それぞれの強みを生かしながら、
一つの大きな目標に向かって、
進み続けることを誓った。
彼らは、もはや単なる共同研究者ではない。
互いを理解し、支え合う、
かけがえのない仲間となっていた。
王宮に知られることなく、
地下工房では、歴史を変える魔法が、
確実に形になりつつある。
「単翼滑空器」は、最終調整を終え、
いよいよテスト飛行を待つばかりとなっていた。
機体の表面を、アリアンナが優しく撫でる。
ルミナスヴァインの導管が、淡く脈打つ。
彼女の魔力が、機体全体に満ちていくのを感じる。
アリアンナはゼファーの描いた「単翼滑空器」の設計図を眺めながら、
その先に、自分が本当に夢見た「箒」の姿を、
はっきりと見ていた。
王宮の静けさの中、
姫の空への夢は、最終段階へと、
着実に歩みを進めていた。
それは、期待とワクワク感に満ちた、
壮大な冒険の終着点へと、
向かう準備だった。
姫の瞳は、完成した機体を見つめ、
早く空へ飛び立ちたいという、
強い願望で輝いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます