第二十七話 今日の所は

 飴玉は酷く冷め切ったような目を、彼に向けた。

 今の気分は、熟年離婚を考える妻のような。

 それは半ば演出、演技でもあったのだが。シュリンに失望した感情を向けていた事は、確かだ。

「煌龍様の言う通り。ここでわざわざ、暗号を使う必要なんてない。裏切り者が居て、それが誰かわかってるなら、煌龍様にそのままそれを伝えればいいんです」

 冷徹を演じるように、布切れを彼の手元に放る。

「――試していたんでしょう、私の事を」

「試す? 飴玉をか。え、どういう事だ?」

「私がこの暗号に、気づく事が出来るか。狐の長とやらは、この茶会を利用して私を試していた。いや、知ろうとした……という方が正しいですか」

 訳が分からぬ様子の煌龍に、飴玉は推測を語る。

 推測の根拠となっていたのは、調理場での事。

「そもそもおかしな話でしょう。なぜ貴方は、影武者を使ってまで……私と接触したのか」

 すると煌龍も、ここで表情をハッとさせた。

「おい飴玉。お前が言いたいのは、まさか」

「お静かになさい。その先は彼に語らせます」

 煌龍の口をそっと手で覆い隠し、シュリンを睨む。

「……本来ならこの後は、皆で一緒に裏切り者を探す。そういう筋書きになっていたんだがな」

 ――するとシュリンは、重苦しく口を開いた。

 まるで錆びた門を動かすように、ぎぎぎぃと……。

「俺が助言をしつつ、共に裏切り者を炙り出していく。そうすれば、煌龍の狐に対する不信感も拭えるし。飴玉君も、より確実な監視下に置く事が出来る……」

「……飴玉を監視、だと? 私ではなく飴玉を?」

 それは恐らく、飴玉が――女帝の子だから。

 だが煌龍はそれを知らない。飴玉が兄である事も。

「(やはり狐には、全部がバレているのか……?)」

「それは無いな。少なくとも確信は得ていない」

 飴玉の心臓が、不意にぎくりと跳ねた。

「詳しくはわからないが。奴らは、狐は……飴玉君の事を妙に意識している。俺を使うぐらいにはね」

「私の事を、意識。……なぜ? 根拠は?」

「知らされていない。だが確かなのは、君を意識している人間はそう多くない。君が思うよりも、意外とね」

 シュリンのその言葉で、飴玉はついに確信した。

 狐の長の狙いは、飴玉。自分にあったのだと。

「ふん。なるほどな。全ては仕組まれた茶番、か」

 すると煌龍も、何かを察するように腕を組んだ。

「では私を襲った狐面の奴は? 奴も仕込みか?」

「いや、それに関しては本当に知らない。恐らく宮廷に居る貴族が、裏切りを考えている事は確かだろう」

「そうか。……だがこの茶会は、いわば釈明の場だ。それを謀略のために使った事は、誠に気に入らんな」

 と、シュリンに苛立ちを向けつつも。煌龍は茶を啜りながら、ふと飴玉にもチラリと目を向けた。

「……」

「とにかく。シュリン様、貴方は信頼出来ません」

「同感だな。貴族が裏切っている件については、真偽も含めて私が調査を行う。貴様の助力は必要ない」

 そうして飴玉と煌龍は、全く同時に席を立った。

 茶室の入口に立ち、二人でそっと扉を開く。

「ひとまず今回の所は、お帰り願おうか?」

 ――この場で最も強い権力を持つのは、煌龍だ。

 煌龍に帰れと言われて、拒否出来る者は居ない。

「……ふふ。最近の子は、物怖じしないんだな」

 シュリンは淡く微笑みながら、そんな事を呟く。

「願わくば君たちの強さが、何者にも穢されぬ事を祈っているよ。特に今回は、飴玉君の方をね」

「……私を、ですか」

「ああ。君のような綺麗な女の子が、穢される様を見ていくのは……もう嫌だからさ」

 寂し気なシュリンの背に、飴玉は何かを感じた。

 ……なぜ彼ほどの剣聖が、狐に媚びているのか。

 恐らくやむにやまれぬ事情があるのだろう。

 らしからぬそんな同情を、つい思いつつも。飴玉は茶室を出ていくシュリンを、そっと見送ることにした。

「――シュリン様」

「んっ……?」

 せめて飴玉に出来る、飴玉なりの励まし方で。

「次にお会いする時までに、貴方のその審美眼が……更に磨かれる事を期待しています。――少なくとも、男と女を見分けられるぐらいには」

「……あっ」

「そして磨かれたその暁には、今度こそ私に茶会のお香を焚かせてください。……私は、調香師ですからね」

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