第4話 旧神社にて―黒き兆し―

 暮れ時、朱に染まる空を背景に、一ノ瀬煉は旧神社の石段を静かに上がっていた。


 山の中腹に位置するその神社は、地元でもすでに“廃れた場所”として扱われており、訪れる人はほとんどいない。


 だが、そこに“黒い光”が現れたという噂を耳にした今、俺の足は自然とその場所を目指していた。


 石段の先、朽ちかけた鳥居が姿を見せる。


 朱塗りの柱はところどころ剥がれ、木製の屋根は今にも崩れそうだった。


 かつて信仰されていた名残が、どこか寂しく風に揺れている。


「よう、来たか煉!」


 声をかけてきたのは東雲隼人。


 スポーツバッグを片手に、草履のようなサンダルでふざけた姿だったが、目だけはどこか鋭く、状況の異常さを感じ取っているように見えた。


「場所は?」


「この先の拝殿。中に入ると、空気が変わるって、地元のガキが言ってたらしい」


「ガキがこんな山奥まで来るか?」


「肝試し、だとよ。夏だしな」


 俺は息をつき、小さく首を振った。


 拝殿に近づくにつれて、空気が次第に重くなっていくのが分かった。


 草の匂いと共に、土の奥から何かが滲み出すような、湿った気配。


 それは確かに、あの魔王の城に漂っていた“瘴気”に近かった。


「感じるか?」


「……ああ。間違いない。これは“魔素”だ」


「マジかよ……。煉、昔から思ってたんだけど、お前……何者なんだ?」


 その問いに、俺は答えなかった。


 代わりに、静かに拝殿の扉を押す。ギィ、と嫌な音を立てて古い木の戸が開いた。


 中は、まるで時間が止まったかのような静けさだった。


 古びた御神体、散らばった供え物、そして中央には――黒い円のような焦げ跡。


「……なにこれ」


 隼人が声を潜めた。


 俺は焦げ跡に近づき、しゃがみこむ。そして、指先でその縁をなぞった瞬間。


 ズン――と、地面がわずかに揺れた。


「……!」


 空気が弾け、見えない“圧”が拝殿内に満ちていく。


 黒い焦げ跡の中心から、ゆっくりと“それ”が現れた。


 ――黒い影。


 人の形をしている。だが、顔も手も、輪郭すら曖昧で、まるで靄のように揺れている。


 何かが擬態している――そう感じる存在だった。


『……みつけた……』


 低く濁った声。言葉というより、直接脳内に流れ込む“意思”のような。


 俺は一歩前に出て、隼人を背後にかばった。


「お前は、何者だ?」


 影は何も答えない。ただ、その姿が徐々に形を成していく――


 やがてそれは、“かつての魔王”の姿へと変貌した。


(……まさか、あの存在が……!)


 俺の心がざわめく。魔王は確かに自分が討ち、共に消えたはず。


 だが、もし“残滓”がこの世界に転移していたとしたら――


「隼人、下がってろ。これは、俺がやる」


「煉、お前――」


 その言葉をさえぎるように、俺は手を前に突き出した。


(抑えていた力……今だけ、解放する)


 目を閉じ、深く息を吸う。


 その瞬間、俺の背後に“剣の気配”が現れた。


 空気が震え、床板が小さくひび割れる。


「一閃――」


 俺の掌から放たれた光は、まっすぐに影を貫いた。


 黒い影は叫ぶ間もなく砕け、霧のように拡散し、やがて跡形もなく消えた。


 静寂が戻る。


「……消えた、のか?」


 隼人の声は震えていた。だが俺は振り返らず、ただ一点を見つめていた。


 焦げ跡の中央に、小さな“魔石”が転がっていた。


 拾い上げると、それはかつて見た“転移石”と似た構造をしていた。


(やはり、何かがこの世界に“持ち込まれた”)


「隼人、このことは誰にも言うな」


「お前が何をしてたのかは、……もう聞かない。でも一つだけ教えてくれ」


「なんだ」


「……お前、本当に“人間”か?」


 俺は静かに笑う。


「さあな。けど、俺はお前の“親友”だ。それだけは、変わらない」


 隼人は苦笑しながら肩をすくめた。


「……なら、俺もそっちの世界に付き合うよ。親友ってのは、そういうもんだろ?」


 空には、早くも一番星が瞬いていた。


 静かな夏の空に、世界の異変は、確かに息を潜めている――。

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