第54話 雨季の残り香
サグエル領主直轄地のアラカヤの街は、緑の旗で囲われていた。兵士たちが立ち並び、イルハン軍が来るのを今か今かと待ち構えている。人っ子一人入れないつもりなのか、鳥が上空を飛ぶだけで警戒態勢に入る。
斥候からの報告を聞いて、イルハンは頭を掻いた。
「このまま全面攻撃をしてサグエル領主を引き出してもいいが……微妙だな」
「微妙?」
ナーシルが首を傾げながら蒸した手巾をイルハンに差し出した。
「ああ。あのおっさん、恐ろしく頭が回る。本気で先王軍に組したのなら、俺を誘い込むためにああしただろうし、逆に本当に先王軍に抵抗して、籠城してるかもしれん。乾季が始まるまでの間なら、どのみち保存食でやりくりするしかないから、なんとかなるだろうしな」
最近冷たい風がふわりと和らぎだした。一番寒い季節を超えて乾季の兆しがある。
少年兵たちは野草摘みに精を出しているし、時折、花を持った少年を皆でからかっている様子も見受けられる。
「……鳥人族保護区に風を操る乙女も探しに行きたいが」
「そちらはナーシル単独の方が動きやすいでしょう。問題はアラカヤの中へどう斥候を出すか、です。女は数人送り込みましたが、まだ店の支度に時間はかかる……というか」
「な、なんで俺の顔を見るんですか……」
イーティバルに困ったようにじっと顔を見られて、ナーシルが怯んだ。
「……予定より早くエレナ嬢がアラカヤ入りしたようだ。あと一日待ってくれれば、命令を出せたのだが」
「姉が申し訳ありません」
素早く謝罪したナーシルがじろりと街の方を睨みつける。自由奔放な姉のせいでとんだとばっちりだ。
女が使えないとなれば、男でなんとかするしかないだろうが、あまりに筋骨隆々だと兵士だとばれてしまうだろう。
「アフルン、斥候に行けそう?」
野草摘みをしていたアフルンが、パッと顔色を明るくして立ち上がる。そうしていると親についてきた隊商の子供のようだ。適任だろう。
「俺? もちろんいいよ!」
「あと顔が割れてなさそうで細っこいのは……」
きょろきょろとナーシルが少年兵たちを見ていると、エルバンが前に立った。食の細い彼は確かにほっそりとしていて適任だが、いかんせん育ちが良すぎる。視線を反らせたナーシルに彼は食いついた。
「僕が行く」
「無理です。どう見ても六家のお坊ちゃまです」
「僕が行って、サグエル領主に会ってくる。一度筋を通しておかないといけないと思っていたところだ」
トゥトク王子の絶命は自分のせいだ、とは彼は言わなかったが、誰もが意図を察して黙り込んだ。
「別にお前のせいじゃないだろ」
イルハンがエルバンに声をかけてやる。
「いいえ、僕のせいです」
「このやりとりは二度目だな。お前は自責思考が強すぎる」
はっきりと頭領に止められて、エルバンは唇を噛みしめた。しかし、ゆっくりと顔を上げてイルハンを見据える。
「お願いします。僕が悪いと、言わせてください」
エルバンが敵に捕らわれれば、良くて捕虜、悪くて拷問される可能性もある。トゥトクは王子だったから打ち首で済んだのだ。まして苛立ちの募る中、『矜持の高いレメク家の子息』は格好の餌食だろう。死ぬまで下級兵士の憂さ晴らしをさせられる可能性がある。
「……行かせてあげましょうよ」
全部分かったうえで、ナーシルがぽつりと言う。
「それで逃げずに済むんなら、それが一番いいに決まってる」
イーティバルが無言で承諾した。
主人を喪う辛さは、仕える者にしか分からない。まだ文句を言いたそうなイルハンをちらりと見て、イーティバルは石のような表情を崩さないまま「あなたには分かりませんよ」と釘を刺した。
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