第14話

駅前の商店街。

いつもの風景が、無数の提灯と屋台で彩られている。


ざわめき、灯り、綿あめの甘い匂い。

この空間だけ、まるで別の世界に迷い込んだみたいだ。


「……お待たせ」


声をかけられて振り向いた瞬間、俺の呼吸が一瞬止まった。


「……浴衣、似合ってるな」


結花はいつもより少しだけ髪を巻いて、

紺色の浴衣に赤い帯、そして――俺に向ける照れたような笑顔。


「……ありがと。自分じゃよくわかんないけど。ハルくんがそう言うなら、着てきたかいあったな」


いつもの軽口なのに、

なんでだろう。今日のその言葉は、やけに胸に残った。


「じゃあ行こうか」


「うん!」


並んで歩く。いつもより、少し距離が近い。

でも、それが不自然じゃない。

祭りの喧騒が、ふたりの間に“言葉じゃない時間”をくれた。



「わたあめ食べたい!」


「お子様かよ……ほら」


「お、やさしさMAXじゃん」


「まぁ、お祭りだからな」


「じゃあ次はヨーヨー釣りしよ!」


「……俺もやんのかよ」


「当然。勝負ね」


「負けた方がラムネおごりな」


「のぞむところだ!」


勝負は、あっさり俺の勝ち。

そのあとしぶしぶラムネを渡す結花の顔が、ちょっとだけ悔しそうで――でも楽しそうだった。


こんなふうに笑ってくれるなら、

また何度でも勝ってやりたくなる。



少し人の少ない路地裏。

屋台の明かりが届かないその場所で、ふたりは少し足を止めた。


「……疲れた?」


「ううん、楽しいよ」


結花は、そう言って空を見上げる。

夜空に、遠くの花火が音だけ響いていた。


「今日さ」


不意に結花が口を開いた。


「わたし、ハルくんに“女の子として”見られたくて、浴衣着てきたんだ」


「……うん、わかってた」


「そっか。……じゃあ、今日の私は、どう?」


「……すごく、かわいかった」


「……ありがと」


その言葉が、夜風に溶けていく。


結花は笑ってた。でも、いつもの“ふざけた笑顔”じゃなかった。


どこか、少しだけ、切ない笑顔だった。


「……今のハルくんは、まだ誰かのことを好きになれないかもしれないって、わかってる」


「……」


「でも、私はそれでも、隣にいたいなって思ってる」


俺は答えられなかった。


でも、逃げたくもなかった。


「……結花が、隣にいてくれるの、助かってるよ。たぶん、想像してるよりずっと」


それが精一杯だった。


でも、結花はうなずいた。


「うん。それで、十分」


その横顔は――どこまでも、強くて優しかった。



帰り道。

駅までの坂道で、結花がふと立ち止まる。


「ねえ、ハルくん」


「ん?」


「来年の夏も、また一緒にお祭り行こうね」


「……おう」


「そのとき、もし私が同じ浴衣着てきたら、

もう一度、ちゃんと“かわいい”って言ってね」


「……ああ、約束する」


約束を交わした手は、繋がってはいなかったけど、

心はどこか、少しだけ重なっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る