第2話

「――じゃ、俺たち、ちょっと抜けるな」


そう言って、紘は満面の笑みを浮かべながら教室を出ていった。

その腕には、俺の彼女――七瀬澪のカーディガンが、ふわりと掛けられている。

しかもそれは、彼が勝手に持っていったわけじゃない。


「はい、寒いといけないし」


そう言って、澪が自分から渡していた。


理由は簡単。

紘が少し肌寒そうな素振りを見せたから。それだけ。


いや、ほんのそれだけのことで、

なんで彼女が自分の服を渡すのか。


「……は?」


思わず、口から漏れた。

そんな俺に、誰も気づかない。


教室にはまだ残ってるやつもいたのに、

誰も咎めないし、止めない。

むしろ、「あ〜紘くん、澪ちゃんといい感じじゃん」って、

無責任な笑い声すら聞こえてきた。


おいおい、ちょっと待て。

俺の彼女だぞ?


「……はると、大丈夫?」


ぽん、と肩を叩かれて、振り返ると

幼馴染でもある女子・結花(ゆいか)がいた。

クラスでも数少ない“事情を知ってる”友人だ。


「……大丈夫って、なにが」


「顔、めっちゃ引きつってたよ。笑」


「笑うなよ……」


俺は椅子に腰を落とし、机に突っ伏す。


紘が戻ってきたのは、たしかに驚いた。

でも、それだけじゃない。

一番の衝撃は、“彼”の変わりようだった。


昔は大人しくて、人見知りで、俺の後ろに隠れてばかりいた。

けど、今の紘は――違う。


堂々として、物怖じしなくて、誰とでもすぐに打ち解ける。


しかも、あいつ……“無意識に人を惹きつける”タイプだ。


無邪気で、嘘がなくて、距離感がバグってて――

それでいて、どこか懐かしさを感じさせる。


そう、まるで“昔の紘”を知ってる人間だけが惹かれるような、

不思議な引力を持っていた。


「……澪、何考えてんだよ……」


彼女の中で、“何か”が目覚めてしまった気がした。



放課後。

教室にふたりの姿はなかった。


俺は帰るフリをして、校舎の裏手へと足を運ぶ。


いや、ストーカーじゃない。

確認したかっただけだ。

“どこまで進んでるのか”――それを。


「あ……こっちこっち!」


その声が聞こえたのは、中庭のベンチのあたりだった。


「ごめんね、こんなとこまで。ほんとはもう少し校内見せたかったんだけど……」


「いいって、全然! てか、澪ちゃんの案内、すっげー楽しい!」


その声は、まるで小学生の遠足みたいなはしゃぎっぷりで。


「……はぁ?」


物陰に隠れて見た光景は――


紘が澪の手を握っていた。


正確には、彼がつまづきそうになった拍子に、

咄嗟に彼女が手を引っ張って、そのまま“握ったまま”になった形。


けど。


彼女の手は、離れていなかった。


「……」


「やっぱ覚えてないけどさ、澪ちゃんといると、なんか落ち着くっていうか……安心する」


「そっか……」


「これってさ、前世の記憶的なやつ? なんか運命っぽくない?」


「……ばか」


そう言いながら、澪は小さく笑ってた。


それが、俺の知らない顔だった。


俺といるときの彼女は、いつも“いい子”で、

どこか気を遣ってるような、遠慮がちな笑顔だったのに。


今の澪は――“本当に笑ってた”。


まるで、“彼女”じゃなくなったみたいに。


「……嘘だろ……」


手が震えた。

心臓の奥が、ぎゅっと締めつけられるように痛い。


紘は、なにも悪くない。

記憶がないだけで、悪気もない。

それどころか、俺とまた友達になろうとしてくれてる。


澪も、悪くない……のかもしれない。

彼のことを知ってて、懐かしくて、つい心が揺れるのも、わかる。


けど――


「俺の、彼女だろ……?」


そう言いたかった。

でも、声にならなかった。


ベンチに座ったふたりは、まだ手をつないでる。

まるで、それが自然なことのように。


俺が“知らない時間”の中で、

彼女の心は、少しずつ……俺から離れていく。


そんな気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る