第28話 王都へ

 案の定、父親のエルンスト公爵は夫人の説得に負け、オリヴィアを王都のタウンハウスへと送ることを了承した。


 渋々というか、苦渋の決断というか、本当に苦々しい顔で絞り出すように、しかしはっきりと「わかった」と言った。


 タウンハウスの管理人に連絡してオリヴィアが滞在できるよう手配してくれたし、準備ができるようにと馴染みの使用人たちを事前に送ってもくれた。


 夫人は、いつでも使えるように屋敷は常に整えられているのに、と笑っていたが、それが公爵からの愛情であることを、オリヴィアもよくわかっていた。




 一ヶ月間、オリヴィアはエルンスト領で両親に思い切り甘える時間を過ごしたあと、ついに王都へと旅立った。


 もちろん、エルンスト家の紋章のついたその馬車には、エマとノアも同乗している。


「ごめんなさいね、エマ。私に付き合わせて今度は王都に戻ることになってしまって。せわしないわよね」

「いえいえ! 私はオリヴィア様の侍女ですから! オリヴィア様のいらっしゃる所にお供するのは当然のことです!」


 エマは胸を叩いてから、えへんとふんぞり返った。


 その様子を見て、オリヴィアは思わず笑ってしまう。


 エルンスト家では、侍女長のマチルダの目が厳しかった。お陰でエマの立ち居振る舞いや仕事上の能力はみるみるうちに上達したが、かなり窮屈そうだったのだ。


 こうして砕けた話し方や仕草をしている方が、よっぽどエマらしい。オリヴィアはクロフォード家で、ずっとこの明るいエマに支えられていたのだ。


「ノアも、付き合わせてしまってごめんなさい」


 夫人はノアも同行することと、王都でオリヴィアのサポートをすることを当然のように言っていたが、ノアにはオリヴィアに付き合う義務などないのだ。


「付き合うのは当然だよ。オリヴィアを一人で王都になんて行かせられない。それに僕は、オリヴィアに求婚している身だからね。少しでもアピールできることはしなくちゃ」


 ノアがオリヴィアの手を取って甲に口づけ、にこりと微笑む。


「もう……またそうやって……」


 あの夜会でオリヴィアへの求婚を告げてから、ノアはこうして度々そのことを口にするようになった。


 会わない間に少年から青年へと一気に成長したノアは、以前よりも精悍せいかんな顔つきになり、その顔で柔らかく微笑まれると、見慣れていたはずのオリヴィアでさえも、ドキッとしてしまう。


 ノアにとってのオリヴィアは単なる幼馴染で、嫌な言い方をすれば「手近で当たり障りのない相手」というだけなのに、勘違いをしてしまいそうになる。


 だが、ノアの瞳には、エドガーから向けられていたような、燃え上がる情熱の炎は宿っていなかった。ただただ、優しいばかりの眼差まなざしだ。


 他の女性に対しても同様に接していれば、すぐに他のお相手も見つかるだろう。そうすれば、オリヴィアへの求婚を撤回するに違いない。


 オリヴィアとしては、ノアには幸せになってもらいたいから、その方がよかった。


 地味で役立たずと離婚された出戻りの公女よりも、素敵な相手を見つけて欲しい。


 オリヴィアに求婚をしている身とはいえ、婚約をしているわけではないのだから、令嬢たちやベルトラム伯爵家と繋がりたい家は、積極的にアプローチを仕掛けてくるだろう。


 その中から、ノアはじっくりと選べばいいのだ。


 そういう意味では、ノアを領地から引っ張り出せたのはよかった。婚約者がいなかったのは、領地に引きこもっていたせいだろうから。


 とはいえ――。


「私に付き合わせちゃうのに、まさかお父様にタウンハウスへの滞在を許してもらえないなんて……」


 公爵はノアの同行は認めたが、屋敷への滞在は許可しなかった。


「王都にはベルトラム伯爵家のタウンハウスもあるし、父上もいるからね。エルンスト邸に滞在する理由がないよ。それに、僕は公爵様に信用されてないから」

「え? どういうこと?」


 苦笑したノアに、オリヴィアは目を丸くする。


「オリヴィアを街に連れ出したのも、子爵との逢瀬を手引きしたのも、背中を押したのも、全部僕だからね。信用できるはずがないよ。求婚状を破り捨てられない程度には、嫌われていないみたいだけど」

「そんな……だって、あれは私が……」


 勘当を言い渡された日、父親がノアに対していきどおっていたことを思い出す。


「家同士の問題には発展していないから、心配しないで。夫人のとりなしもあって、家にはとがはなかった。僕は父上にはものすごく怒られたけれど」


 ははは、とノアは軽く笑っているが、オリヴィアは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 あの頃は、本当に、自分のことしか考えられていなかった……。


「もしかして――」


 はっとオリヴィアはあることに思い至り、顔を青ざめさせた。


「ああ、もちろん、僕が家を継ぐことに対しても、何も口出しはされていないよ。公爵様はできた方だから、僕が爵位を受け継いだ後も、変わらず懇意にして下さるだろう……公爵様は、ね」


 最後の一言は気になるが、ひとまずオリヴィアはほっと胸を撫でおろした。


 上位の家の不興を買って継承権が入れ替わることは、稀とはいえ全くないことでもない。ノアは一人息子だからまずありえないにしても、親戚から養子を迎え入れることだってできるのだ。


 オリヴィアのせいでノアの未来が閉ざされたら、目も当てられない。


「言っただろう、求婚状は破り捨てられなかったって。公爵様は娘と結婚する可能性のある男から、爵位の継承権を取り上げたりしないよ」

「そんな、ノアは爵位なんてなくたって――」


 そこまで言って、オリヴィアは口を閉ざした。


 オリヴィアは散々元平民と蔑まれてつらい思いをした。


 それに、ノアが爵位を継ぐためにずっと努力していたことを知っている。


 爵位なんてなくていいだなんて、軽々しくは言えなかった。


「爵位かオリヴィアかと言われたら、迷いなくオリヴィアを選ぶけど、オリヴィアと結婚するにしても、オリヴィアを幸せにするにしても、爵位は役に立つものだからね。自分から放り投げるつもりはないよ。でも、オリヴィアが貴族をやめたいと思うなら遠慮なく言って。僕も身分を捨てるから」

「もう……」


 おどけたように言われて、オリヴィアは呆れた。


 自責の念にとらわれるオリヴィアの心を軽くしようと、わざと軽口を利いてみせてくれたのだろう。ノアはどこまでも優しい。


「本当に、気にしなくていいよ。オリヴィアを無事にエルンスト領に連れ帰ったことで、少しは挽回ばんかいできたみたいだし。王都に行くのだって、ずっと父上にいい加減に来て手伝えって言われたから、いい機会だ」

「私はノアに一緒に来てもらえて心強いわ。本当にありがとう」


 公女として社交に励むと決意はしたものの、王都は嫌な思い出ばかりで、夜会のトラウマもある。気心の知れているノアがいてくれるのは精神的な支えになっていた。


 トラウマを払拭しようとしてモントール公爵家の夜会に出たのに、結局あんな騒動が起こってしまって、結局まだ払拭できていないのだ。次も失敗するかもしれないという気持ちのまま、一人で夜会に参加する勇気は出そうにない。


「どういたしまして」

「もちろんエマにも感謝して――どうしたの、エマ。そんなに端に寄って」


 隣に座るエマを見ると、馬車の壁に張り付くようにして、縮こまっていた。


「え、いや、なんか私、お邪魔だなぁと……」

「どうして? そんなことないわよ。もっとこっちにいらっしゃい。座りにくいでしょう」

「は、はあ……」


 エマはちらっとノアの方を見る。


「気にしないでいいよ、エマ。君はオリヴィアの恩人なんだから、僕にとっても恩人だ。邪魔だなんて思わないさ。それに――きっとこういうのは日常茶飯事になる」

「え……」


 オリヴィアにはノアの発言の意味がよくわからなかったが、エマにはわかったらしい。眉を寄せて、一瞬体を引いていた。


「はは、エマは手厳しいなぁ。僕は不合格?」

「私はそれを判断する立場にありません」

「まあまあ、思ったままを言ってみてよ」

「オリヴィア様を迎えに来て下さったので、信頼できる方だとは思いますが、オリヴィア様からは一度もお名前をうかがったことがなかったので……」

「う……それは寂しい……」


 ノアは大げさに胸を押さえて、オリヴィアの方を上目遣いで見た。


「そ、それは、毎日必死でノアのことを考える暇がなかったと言うか。エマと独身時代のことを話す機会もなかったし、決してノアを忘れていたわけじゃ……」

「う……」


 しどろもどろに弁解するが、ノアはさらに強く胸を押さえる。


「やっぱり私、お邪魔ですよね……?」


 横でエマがぼそりと呟いた。




 * * * * *




 王都への長い旅が終わり、オリヴィアはタウンハウスで使用人たちに温かく迎えられた。


 馬車が貴族街に入る時には緊張したが、同じ貴族街とはいえ、クロフォード子爵家との屋敷とはだいぶ離れている。使う門も異なるから、屋敷に着くまで出くわすことはなかった。


 いつかは顔を合わせることもあるだろうが、必要以上に怯える必要はない。


 部屋で休んでいると、エマから封筒を何通か渡された。


「オリヴィア様、さっそくお手紙が届いていました。お疲れでしょうが、お休みの前に確認してもらったほうがいいと思います」

「もう?」


 ペーパーナイフを受け取って開封してみると、どれも夜会やお茶会の招待状だった。高位貴族の夫人や令嬢からのもので、開催は少し先の日程だ。


 王都に来られると聞いたから、ということが書かれていて、参加してもらえるようであれば連絡が欲しい、とも書かれていた。オリヴィアがこの手紙を受け取らなかったり開封が遅れたりしても問題ないような気づかいがある。


「どうして私が来ることを知っているのかしら」


 誰にも伝えていないはずだ。


 使用人が漏らすはずもないし、ベルトラム家だって、オリヴィアの現状を知っていてわざわざ言いふらしたりはしないだろう。


「お部屋の改装があったようですし、家具やドレスも新調されていますからね。使用人や業者が黙っていても、人や物の出入りがあればわかってしまうものです」

「なるほど……」


 隠蔽しようと思えばできただろうが、やましいことがあるわけではないから、あえて隠そうともしなかっただろう。ならば、推測くらいはできてしまってもおかしくなかった。


 ただ正確な日取りまではさすがにわかるはずもないから、余裕のある日程で、欠席の連絡を求めるような書き方にもしなかった。


 これを送って来た彼女たちの思惑は何なのだろうか。


 自分たちの知らぬ間に子爵家に嫁いで離縁され、出戻った公女だ。我先にと招待状を出してくるのは、やはりゴシップとして消費したいのだろうか。


 差出人の中には、モントール公爵家での夜会の出席者も含まれていた。以前からの知り合いだし、夜会で話した時には好印象だったが、その後にあの騒動である。オリヴィアに対する態度が変わってもおかしくない。


 他には名前しか知らない人ばかりで、応じてよいものかもわからなかった。


 王都に来ることになり、まずは高位貴族からと情報を詰め込んではきたが、家族構成やここ最近の出来事は頭に入っていても、為人ひととなりまではわからない。


「ノアに相談した方がよさそうね」


 明日昼食で会う約束をしているから、その時に聞けばいい。


「ベルトラム様からもお手紙が来ています」

「え?」


 すっとエマが封筒を差し出して、オリヴィアは面食らった。


 ついさっきまで馬車で一緒に乗っていたのに、いつ書く暇があったのだろう。というか、直接言ってくれればよかったのに。


 開けてみると、「もし以下の家から招待状が届いていたら~」という書き出しで、家門の名前が羅列されていた。そして、招待を受けてもよい家門に印がついていた。


 実際に届いた招待状の差出人と完全に一致しているわけではない。が、概ね合っている。


「なんでわかるの……?」

「見せて頂いても?」


 オリヴィアが絶句していると、エマが手を差し出してきたので、ノアの手紙を渡した。


「うわ……」


 エマも絶句していた。


「どうしますか?」


 リストに従えば、返事を書くことはできる。


「急ぎじゃないから、明日ノアに理由を聞いてからにするわ。何も考えずに言う通りにするのは違うと思うし」

「それがいいと思います」


 いつのまにかエマは、ノアからの手紙を、汚い物かのように指先でつまむ持ち方に変えていた。


 そして顔から離し、いぶかし気に見ている。


 オリヴィアは思わず笑ってしまった。


 気持ちはわからなくもない。ノアからの手紙を汚いだとか気持ち悪いだとか思うわけはないが、得体の知れなさは少し感じた。


「エマは、ノアが嫌いなの?」


 馬車の中での会話を思い出して、聞いてみる。


「いいえ。いい人だとは思います。でもなんか、胡散臭うさんくさいな、とも思うんですよね。なんだか本心を隠しているようで」

「ノアも貴族だから、本心を隠すのは得意だと思うけれど……私の前でも偽っているのかしら」


 その可能性は全く考えたことがなかった。


 オリヴィアがノアの前で偽ることがないように、ノアもオリヴィアには全てさらけ出してくれているのだと思い込んでいたことに気づかされる。


「人間なので、多かれ少なかれ隠したいことはあるでしょうけれどもね。それに、本心を隠していたとしても、あの方がオリヴィア様を裏切ることはないと思いますよ。よく知りませんけど」


 エマが仕方なさそうに肩をすくめる。


「やっぱり、ノアのことが嫌いなのね」

「胡散臭いなと思うだけで、嫌ってはいません」

「エドガー様は?」

「大っっっ嫌いです!」


 食い気味に答えられて、オリヴィアは笑ってしまった。


「子爵様の事なんて考えてないで、そろそろお休みください。長旅だったので、オリヴィア様が思っている以上に体は疲れていると思います」

「そうね。そうするわ」


 お休みなさいませ、と下がるエマを見送って、オリヴィアは寝台に潜り込んだ。


 今、王都にいるのよね……。


 王都の記憶は、ほぼ子爵家の屋敷の記憶とイコールだ。オリヴィアはあの屋敷からほとんど外に出なかった。


 屋敷にいたあの三年間にも、ほど近い場所にこの屋敷が存在していたのだ、という事実が、不思議に思える。


 このタウンハウスには今までも何度か来たことがあるし、この部屋も使っていた。内装や家具は新しくなったが、ここはエルンスト家の屋敷だ。ここにいる間は、誰もオリヴィアを傷つけられない。


 こんなにも近くに心から安心できる場所があったのに、オリヴィアの世界はあの屋敷の中に閉じられていた。


 勘当されたと思っていたから、思い当たらなかったというのもあるけれど――。


 思い切って離婚して本当によかった。


 あのまま自分の心にフタをしながら結婚生活を続けていたらと思うとぞっとする。


 その恐怖を振り切るようにして寝返りを打つと、オリヴィアは深い眠りの中に落ちて行った。

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「元平民の役立たず」と離婚されたので、公爵令嬢に戻ります ~復縁したい? 当然お断りです!~ 藤浪保 @fujinami-tamotsu

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