第2話 揺れる光、沈む音

神社の参道へ続く坂道は、人の気配と光でにぎやかになっていた。

赤ちょうちんがぽつぽつと並び、そこに照らされた屋台ののぼりが、風に揺れている。

焼きそばの匂い、たこ焼きの油のにおい。金魚すくいの水音が時おり耳に届いた。


「……なんか、変わってないな。びっくりするくらい」


陽翔が顔をほころばせながら言う。


「うん」


僕もそう思った。変わっていないのは町の方で、

僕たちの方が変わってしまったのだと、どこかで思っていた。


屋台の間をすり抜けるように歩いていくと、

昔、陽翔と一緒に金魚すくいをして、結局ふたりとも取れなかったことを思い出した。


「なあ……あれ覚えてる? 小4んときさ、金魚すくいの屋台でさ──」


「うん、ふたりして全部破って、最後、おっちゃんが一匹ずつくれた」


「そう、それそれ!」

陽翔が嬉しそうに声を上げた。


「名前までつけてたよね」


「金と……あと銀だったかな」


「あれ、うちの水槽すぐ藻だらけになってさ。結局、どっちも……」


「死んじゃったね」


笑いながら話していた陽翔が、一瞬、言葉を失った。

僕も黙った。


祭りのざわめきが、遠ざかって聞こえた。


ふたりの間にある思い出は、確かに同じなのに、

それを今こうして話すこと自体が、どこか不思議だった。


僕は、陽翔の横顔を見た。

目に入ったのは、昔より高くなった肩のラインと、

少し焼けた首筋の色だった。


呼びかけようとして、やめた。

呼ぶ言葉を、まだ持てなかった。


境内は、参道ほどの人混みはなかった。

提灯の灯りが少し間隔を置いて吊るされていて、その下にベンチがいくつか並んでいる。

ひとつだけ空いていた隅のベンチに、僕たちは腰を下ろした。


少し前まで人に囲まれていたのが嘘みたいに、急に静かになった。

木立の葉のざわめきと、かすかに響く遠くの太鼓の音だけが耳に残る。


僕は無意識に、隣にいる陽翔との距離を測っていた。

ベンチの幅はそこまで広くないはずなのに、肩と肩の間には、手のひらひとつぶんくらいの空間がある。


「なんか、急に落ち着くな」


陽翔が、少し肩を後ろに引いて空を見上げた。


「……人が少ないね」


「こういうとこさ、昔は虫めっちゃ多くてビビってたじゃん、ユ──」


そこで、陽翔の声が止まった。


僕も反応できなかった。

一瞬、「ユウちゃん」って呼ぼうとしたのだと、すぐわかった。


「……佐原くん、って言わなきゃダメなんだっけ?」


陽翔はそう言って笑ったけど、その笑い方は少しだけ、さびしそうだった。


「……別に、そういうわけじゃ」


僕は言葉を途中で切って、下を向いた。

心の奥がざわついていた。名前ひとつ呼び合うだけのことが、こんなにも難しい。


陽翔はポケットからラムネの瓶を取り出して、キャップを指でくるくると回した。


「……でもなんか、やっぱ変な感じするよな。こうしてふたりでいるのに、名前呼ぶのに気ぃ使うってさ」


「……うん」


「さっきは……呼ぼうと思ってたんだけどな。何年ぶり? ユウちゃん、って」


陽翔の声が、ほんの少しだけ低くなっていた。

ふざけてるふりをしているのに、どこか真剣な空気がまざっていた。


僕は顔を上げられなかった。

ただ、ベンチの下で自分の手のひらをぎゅっと握りしめた。


頭の上で、また風が葉を揺らした。

灯りが揺れた。音が沈んでいった。


僕たちは、それきりしばらく言葉を交わさなかった。


境内の奥で、木造の拝殿が静かに影を落としていた。

提灯の灯が、風に揺れては、陽翔の頬にふわっと赤い色を落とす。


人の声は遠のいて、屋台の音もここまで届かない。

代わりに、風が擦れる音と、夜の匂いが少しずつ強くなってきた。


さっきまでは感じなかった汗が、背中にじんわりと浮いてきて、

僕は黙ったまま、喉の奥で呼吸の音を殺した。


陽翔は、となりで何を考えているんだろう。


少しだけ横を向けば、きっと顔が見える距離だった。

でも、そうする勇気はなかった。


目が合ったら、何か言わなきゃいけないような気がした。

でも、何を言えばいいのかわからなかった。


「……さ」

陽翔の声が、小さく聞こえた。


「なにか、変わった?」


「え?」


「俺、変わったかな。……声とか、見た目とか」


「……変わったよ」


すぐに答えたのに、なんだかそれだけでは足りなかった。


「背も高くなったし……声も低くなったし。なんか……大人っぽい」


陽翔はふっと、鼻で笑った。


「佐原くんは、変わらないな」


「え……」


「いや、ちゃんと大きくなってるけどさ。なんつーか……空気っていうか、話し方とか。……安心する」


僕はうまく返せなかった。

安心する、なんて言われたことがなかった。


少しだけ風が吹いて、提灯が揺れた。

灯りがふたりのあいだをなでるように通り抜けた。


そのとき──

遠くで、ヒュウ、と小さな音が空を切った。


僕と陽翔が、同じタイミングで顔を上げる。


闇の中で、夜空がわずかに染まった。


「……花火だ」


陽翔の声が、空を見上げたまま、静かにこぼれた。

僕は、何も言えずにいた。

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