焔の王子




「おいおいおい——こりゃあ、なんの冗談だ?」

 炎に包まれた小庭園を目にした大盗賊の第一声が、それだった。

 

 

 轟音を耳にしたギャスパルは、ことのほか狼狽えた様子を見せるとアッシュを急かし内郭の小庭園へ急行した。だから、それほど時間は経っていないはずだ。しかし、ギャスパルとアッシュが目にした光景は、まさに何かの冗談、はたまたは魔術師の悪戯が見せる幻影なのかと思わずにはいられなかった。

 

 ひしめき合う焔に塗れた緩慢と動く人の形をした何か。

 そこらじゅうで大きくはためく焔のカーテン。

 その動きを追いかける禍々しい黒煙。

 その隙間からは、かつて噴水であったであろう瓦礫が顔を覗かせている。


 

「ギャス。ここまで迷いもなく、よく案内できたね」

 この光景に狼狽えるギャスパルを横目にアッシュは黒瞳を鋭くすると人の形を数えながら、そう口にすると大盗賊の瞳を捉えた。

 

 ギャスパルはその視線に、大広間で感じた畏怖を再び抱くと背中に汗が流れるのを感じた。大盗賊にとって、は想定外だったのだ。

 こうなるのは女魔導師——ルゥ・ルーシーと隣にいるアッシュが、どうにかなった場合だ。あの〈白の魔導師〉の言によれば、そのはず。そうでなければ、ルゥの相手は〈屍喰らい〉になりさがる。そうなれば、は人の温もりを求め、彷徨い歩き温もり喰らう。エドラス村の惨事も、それが原因だったはずだ。

 

 ルゥは思いを寄せたアッシュを誘うことに失敗した。

 だから大盗賊は大広間から逃げ出すように、走り去ったルゥの背中を見つけると助け舟を出したのだ。つまりアッシュにルゥを追わないのかと、けしかけた訳だ。故に、この惨状は想定外なのである。アッシュ・グラントは大盗賊の隣に立っているのだから、何も起きはしない。


 そのはずだった。

 

 ギャスパルは、そう思うと周囲を目ざとく見回し、少しでも時間を稼ごうとした。アッシュへの答えを用意しなければならない。云い方を間違えれば、今度は命を奪われるだろう。そうなってしまえば、これまで皆に隠し通した目的は成就することなく、無かったこととなってしまう。それだけは避けねばならない。絶対にだ。

 大盗賊はそう思うと、必死に情報を拾った。ルゥがこの場所に居たことは明白。では、相手は誰だ? この惨状を引き起こせる相手は誰だったのだ?

 そして、ギャスパルは鋭くした目を大きく見開き叫んだ。「おい! カミーユが!」


 

 ※ ※ ※


 

 緩慢とした焔の惨状が大きく動き出したのは、その刹那だった。

 周囲には、いよいよ野次馬——要人たちが集まり始め、警備隊に騎士たちが状況を収拾するため躍起になっていた。そして、ギャスパルが壁際に横たわったカミーユを発見するや否や、〈焔に塗れた人の形〉が一斉に駆け出したのだ。王城へ向かうものもあれば、王宮へ向かうものもいた。

 

 これに舌打ちをしたのはアッシュだった。

 今や、アッシュの黒瞳は蒼や緑に輝き始め、その明滅に合わせ四肢体躯から同じ彩の煙を巻き上げている。ギャスパルは、今度はそれに驚き叫んだ「おい、グラント! その力はしまっておけって云われてるだろ!」


「云ってる場合ですか?」アッシュはギャスパルが発した、何かしらかの警告へ半ば苛立ち強くそう返すと、両掌をパン! と合わせた。するとどうだろう。蒼く輝く飛沫が合わせた両掌から放たれると、次にはがアッシュの手に握られていた。アッシュは、それをクルリと回しギャスパルへ投げて渡しながら「カミーユさんは僕が。ギャスは散らばったのをお願いします。喰われないでくださいよ」とギャスパルを促した。


「おい、グラントどっちからだ?」投げてよこされた大振りの短剣——狩猟短剣を馴れた手つきで受け取ると、そう訊ねた。

 答えは聞くまでもなくだったが、ギャスパルは、この騒ぎについて問い正したい人物が居る——それは大広間で今でもコチラを眺めているだろう。いずれにしてもだ。運よく、大盗賊の懸念は有耶無耶になり、この場を立ち去ることができる。

 大盗賊は、あからさまに肩を竦め王城へ向かったのから片付けるのか、それとも王宮の方からなのかと、無言で訊ねるよう狩猟短剣を振ってみせた。


「王城から——あの白いのが追跡者なら……斃せますか?」

 アッシュはギャスパルを、静かに鋭く一瞥し、そう答えた。

 結局また話を逸らされたからだ。だがしかしだ。逸らされたのではなく、逸らせるよう仕組まれていた可能性もある。だからアッシュは、ギャスパルを試すように云ったのだ。


「そうだな。だがよ、素のまんまじゃ、ままならねえぜ——」ギャスパルは、したたかに云うと「——ありったけの〈身体強化〉をよこせよ」と続けた。

 アッシュはギャスパルの答えを耳にすると、いつの間にかに手にした〈黒鋼の短剣〉で親指の平を小さく切り、流れ出た血で大盗賊の背中へ紋様を描いた——するとどうだろう大盗賊の身体中から緑色をした魔力の光が滲み出てきたのだ。

 これにギャスパルは、薄らと笑いを浮かべると「じゃあ、こっちは頼むぜ」と、言葉を残しその場を駆け出した。

 大盗賊は王城へ向かう間も、駆け出した〈焔に塗れた人の形〉——恐らく〈屍喰らい〉——の頸を斬り落としながら、緑の魔力の残滓で帯を描くよう黒煙の中に姿を消した。


 

 ※ ※ ※


 

「やっぱり、ルゥの首飾りは魔導工芸品アーティファクトでしたか。発動条件が判るまで、解体しないでおくつもりでしたが——」アッシュは渦巻く焔のカーテンと、黒煙の間に影を認めると、そこで言葉を落とした。

 アッシュが見たそれは、一見すると炎に包まれた人であった。

 しかし鼻面は長く、裂けた口角からは鋭い牙を向いている——まるで狼を思わせる風貌だ。浮かんだ双眸は鋭く、瞳は爛々と赤く燃え芯は白く輝いている。例えるならば、狼頭の魔人。アッシュは、そうハッキリと認識すると言葉を続けた。「——焔の人狼、魔人ですか……つくづく趣味の悪い」アッシュは言い終えると、狼頭の魔人の足元へ身体を横たえた二つの影——アランとルゥ——を見ると、さらに蒼と緑の煙を巻き上げ、言葉を重ねた。「あなたは、産まれ落ちた〈原罪の子〉ですか? 目的は?」


 

 ※ ※ ※



 どれほどの時間、気を失っていたのだろうか?

 カミーユは肌を焼くような熱風とは別に、体の芯を温める清らかな力を感じると双眸をゆっくりと開いた。そこには、カミーユを護るよう立ちはだかる黒い影と、その向こうには真っ赤に燃え盛る、狼頭の人型の何かが対峙している。直ぐそこの黒い影はアッシュ・グラントの後ろ姿だ。では、向こうのは何だろうか? よく見れば、ルゥとアランが苦悶の声を挙げ横たわっている。一体、何が起きたのか?


「アッシュ? ルゥとアランは……」返ってくる答えは、粗方想像していた。しかしカミーユはそれを否定して欲しく必死に縋るよう訊ねた。

 ルゥに謝りたかった。もっとアランと言葉を重ね目を醒させたかった——話の判らない男ではない。だが、アッシュから期待した答えは返ってこなかった。アッシュはただ静かに「判りません」と淡々と答えるだけだった。


「判りませんって何よ……」カミーユは、そう溢しながら豪奢なドレスを鬱陶しそうに払いながら立ち上がると、アッシュの横へ並んだ。

 アッシュは、それを見ると、先ほど駆けつけた騎士が見事に命を散らした際に落とした剣を不思議な力で引き寄せ、カミーユに手渡した。「武器はそれで大丈夫ですか? 王宮の奥から、大聖堂に上がれます。そこへ逃げてください。王城はギャスに任せました」


「ちょっと待ってよ。あれはどうするつもり?」カミーユは剣を握ると、少しばかり冷静さを取り戻したが、アッシュの言葉に半ば怒りの声を挙げ、狼頭と横になった二人を剣の切先で乱暴に指して見せた。そして、周囲へ群がり始めた焔に塗れた骸——今では、戦士や騎士のそれもあった——に気がつくと「一体、これはなんなの?」と付け加え、体をブルブルと震わせた。エドラス村での記憶が蘇ったのだろう。


「あれは、カミーユたちの範疇を超えたものです。僕が処理をします」やはり、アッシュはそう淡々とカミーユに返していた。カミーユは、それに更に気を昂らせると「仲間を見殺しにする気?」とアッシュの肩を強く握り締めた。


「云われなくても、判ってますよ!——」アッシュは、珍しく言葉を荒げたが、そこから続けることはなかった。


 狼頭が口を開いたのだ。


 

 ※ ※ ※



「〈原罪の子〉? 否。この女が抱いた〈憤怒〉から産まれた種である儂は、差し詰め〈焔の王子〉と云ったところだろうな」狼頭はくぐもった声で、そう云うと腹のあたりから垂れた燃え盛る縄のようなものを手にした。その縄は、寝転がったルゥの股のあたりから伸びているのが判った。それは燃え盛る臓物のようであったし、ルゥと〈焔の王子〉を繋ぐ何かであることは確かだった。


 狼頭は、更にその縄を突き出し続けた。「そして——この〈憤怒〉はお前が与えたものであり、お前が儂を狩ることで、お前が押し殺した〈憤怒〉は種へと還る。お前は遥か彼方、刻の向こうで、それを望んだのだろ? 故に四翼の血をこの者たちへ浴びせた。違うのか?」

 

〈焔の王子〉と名乗った狼頭は、そこまで云うと次には横たわった二人へ、何か言葉をかけた。すると、二人はゆらりと、力なく立ちあがり前へ踏み出した。

 

 カミーユは、二人のその姿に顔を背け「なんてことに……」と消え入るように云ったかと思えば、剣の柄を固く握りしめた。見れば二人の瞳から、すっかりと光は消えただただ淀んだ赤黒い焔の輝きを映す硝子玉のようだったのだ。それを脇目に一瞥したアッシュは「そうですね」と、やはり乾いた言葉を返していた。


 

 気が付けば、周囲から阿鼻叫喚の悲鳴が、そこかしこから轟いている。

 それに呼応したのか、焔の勢いも増し轟々と周囲を焼く音を激しく立てていた。

 その中、狼頭と、意識を失っているよう見えたアランとルゥは眼前の二人へ顔を向け、ついにはアランがいつの間にかに手にした〈黒鋼の両手剣〉を構えたのが判った——恐らく両手剣は〈焔の王子〉が呼び寄せたのだろう。

 よく見れば、ルゥは魔導書を手に持ち何かを口にし始めていた。魔導を発動するための音色——〈言の音〉だ。アランの黒鋼が緑色を纏い始めている——少なくとも二人は、アッシュとカミーユを認識できないのだろう。そう認識しているのであれば、アランの黒鋼は狼頭へ向けられているはずだ。


 

 ※ ※ ※



「クソが!」

 アッシュに云われ、王城へ向かったギャスパルは〈焔の屍喰らい〉の頸を幾つも斬り跳ばしながら最短の道を駆けていた。口汚く叫んだのは〈屍喰らい〉の返り血を浴びたからではなく、この事態を引き起こした何かに悪態をついたのだ。

 

 ギャスパルはルゥの願望を知っていた。その相談にも乗った。しかし、それは義務によるところが大きい。ギャスパルは、とある使命を帯びていたのだ。内容は至極単純なもので、ルゥの想いを成就させること。つまり、アッシュと結ばれればよかったのだ。それにより完成する、ルゥが所持した魔導工芸品アーティファクトを依頼主に渡せば、任務完了。晴れて、元大盗賊という肩書を捨て新たな人生を歩むことができる。はずだった。

 

 完成した魔導工芸品アーティファクトが、どのような力を発揮するのかと云うことには興味がなかった。だから、無心に任務の遂行に集中できると思っていたのだ。だがどうだろうか——ケチの付き始めは、あのアッシュ・グラントとの出会いからだ。

 

 まさか、ルゥの相手と指定されたのが人智を遥かに超えた〈外環の狩人〉であり、その中でも原初の〈リードラン〉を知る特異な存在であることを知った、あのときからだ。もう少し簡潔に云えば、初めてオルゴロスを目にした時からだろう。


 ギャスパルは三十三体目の頸を跳ねたあたりで、それを思い出すと体をブルブルと震わせた。そしてもう一度悪態を突いて見せた。それは、恐らくギャスパルの依頼主に対してだ。「あの皺枯れた魔導師が、騙しやがったな。妹は無事なんだろな……」


 ギャスパルが悪態を突いた、すぐ後のことだった。

 そろそろ大広間へ到着をする間際、内郭の小庭園から二度目の爆発音が轟いたのだ。三十六体目の頸を跳ね終えたギャスパルは近くの小窓から庭園を覗くと、そこでは黒鋼に魔力を宿したアランと、あらゆる魔力を撒き散らしたアッシュが斬り結ぶ姿と大穴が見えた。その直ぐ傍にはルゥらしき魔導師が狼頭へ体をしなだれるように寄りかかる姿も見えた。ギャスパルはそれへ「クソ!」と、何度目かの悪態を突いた。

 

「カミーユはどうした?——」そう云った大盗賊は、小窓から周囲に目を配ると、頸を跳ねられた骸が大穴に溜まっているのに気が付き、そこへ見知ったブロンドを見つけた。どうやらカミーユは生きてはいるようだ。その証拠にカミーユは骸を蹴り飛ばし、どうにか穴から這い出ようとしている。剣も手にしているようだ。邪魔なのは、あの豪奢なドレスなのだろう。なかなか這い出ることができないようだ。もしくは、這い出られない理由があるのかもしれない。

 いずれにしろ、少なくともカミーユの無事が判っただけでも状況把握は十分だ。「そうか俺たちは、揃いも揃って嵌められたんだな。アッシュに何をさせたいんだ、クソじじい


 

 ※ ※ ※



「オルゴロスの血を浴びせた?」

 カミーユの激情に幾許か心を揺らがせたアッシュであったが、狼頭の言葉に冷静さを取り戻したのか、随分と冷ややかな声音で訊き返していた。

 そして、フードを取り払うと、双眸に浮かんだ鮮やかな色彩を放った瞳でアランとルゥを改めて確認をした。どうやら二人の意思は狼頭に掴まれているのだろう。どちらの瞳からも光は失われ、ただただ眼前に広がる惨状を映す硝子玉のようだった。


「嗚呼そうだ。あの血はお前の血そのものなのだろう? 儂はお前の血に呼応する〈憤怒〉を体現する。そう造られた。来たる黄昏の刻を迎える供物としてな。だが、どうだ。当のお前の〈憤怒〉は遥か昔に枯れ果てている。色欲に怠惰。暴食と強欲、傲慢と嫉妬。あらゆる罪からお前は目を背け〈無〉であらんとする。だが、それを欲する刻がやってきたのだろう? 儂は刻を迎えるための種であり、お前が自身に呼び戻した〈憤怒〉で儂を焼き払うことで、その刻の断片として完成する」

 狼頭は、ゆっくりと掠れた声でそう告げた——まるで神の啓示であるかのようにだ。

 

 

 アッシュは狼頭の話の背を折ることはなかった。

 それを聞き届ける間に一歩踏み出すとカミーユをためだ。恐らくアランとルゥの二人はこのままアッシュとカミーユに襲いかかってくる。カミーユは、それに耐えられないだろう。仲間に刃を向けることを躊躇い心を折るに違いない。

 ならば、二人を斬る役は狼頭が云った通り、全ての罪から目を背けたアッシュの役割だろう。そう、アッシュは漠然と思うと再び激しい頭痛に襲われ顔を顰め口を開いた。「確かに、六翼のヴァノック、四翼のオルゴロス、無翼のエキトルは僕の体組織を基盤にできている。だけれど、あなたの云うところの〈罪〉とやらに——心当たりはない。あるとすれば、〈リードラン人〉と〈外環の狩人〉の間へ芽生えた感情。それに根差した〈リードラン〉の不具合。はそれを〈原罪〉と呼んでいる。ひょっとして、あなたはジョシュアという狩人を知っているのか?」


 アッシュの言葉へ返ってくる答えは無く——ただあったのは「いな」の一言であった。


 

 ※ ※ ※



 カミーユは〈焔の王子〉と名乗った化け物とアッシュの会話を理解することが出来なかった。正確には、ところどころ言葉が何かの雑音のように聞こえ理解を妨げる。これは、カミーユの勘ではあったが〈焔の王子〉もそうだったのだろう。アッシュの言葉の所々に微かではあったが、唸るような声を漏らしていたのだ。

 

 だが、その中でも理解できるものはあった。

 〈リードラン人〉と〈外環の狩人〉の間へ芽生えた感情——その言葉だった。

 それは、愛することなのか、はたまたは嫌悪なのか、その他全ての感情が人間と〈外環の狩人〉の間で華を咲かせるということなのか。

 

 〈外環の狩人〉は時折、人間のことを〈ネイティブ〉と訊きなれない言葉で呼ぶことがある。そんなときは決まって〈外環の狩人〉が理不尽に何かを起こすときだ。気紛れに街の警備隊に襲いかかる。他人の家へ押し入る。女を攫う。他にも多数報告されたが、人々はそれを天災か何かのように受け止め、感情を押し殺した。

 だが、カミーユの眼前に広がる背中の持ち主——アッシュ・グラントは違った。この男は一度たりとも人間を〈ネイティブ〉と呼んだことはない。

 エドラス村の災厄が収まり、復興に手を貸していた時もそうだった。火事場泥棒よろしく闇夜に紛れやってきた〈外環の狩人〉をギャスパルと共に追い払ったのはアッシュだった。その際、ギャスパルを〈ネイティブ〉と呼んだ狩人を問答無用に斬り捨てたとも聞いている。

 それであれば、少なからずアッシュのような〈外環の狩人〉は存在していると云うことをアッシュは示唆したのか。だが、その前後の言葉が理解できない。

 そして、もう一つだけ理解できた言葉があった。

 それは〈罪〉。

 言葉をつないでしまえば、アッシュは芽生えた感情が罪であると云っているようにも聞こえる。

 だから、アッシュは普段から感情を殺し、まるで優しさの仮面を顔に貼り付けたようであるのか。それとも、感情、それ自体を罪だと感じ律しているのだろうか。

 

 

 カミーユは、そう考えると一層と混乱をした。

 そして、その刻だった。

 狼頭が「いな」と、アッシュの問いへ答えを出すと、場の空気が一変した。

 アランの黒鋼に緑の魔力が宿ると、〈宵闇〉は瞬時にその場から姿を消し、瞬きをする間にアッシュへと斬りかかったのだ。

 

 緑と黒が混じった剣の軌跡が、何度も弧を描きアッシュへ襲いかかった。

 それにカミーユは必死に「アランやめて!」と叫んだが、アランの瞳へ輝きが戻ることはなかった。その替わりに〈宵闇〉は何度も呪詛を吐くよう「俺の家族を返せ」と口にしている。完全に常軌を逸していた。

 全ての剣戟を受け流したアッシュはそれに「だから英雄なんて、望んでなるものじゃないんですよ」と、口にすると冷静に黒鋼を受け流し続けた。

 そして、アッシュが何度か黒鋼を受け流したときだった。

 カミーユの目前が、パッと明るくなったかと思うと轟音が轟いたのだ。

 するとどうだろう。たった今までカミーユが立っていた石畳へ人を何人も落とせるほどの大穴が穿たれていたのだ——その大穴は〈焔の王子〉が放った火球に穿たれたものだった。アッシュがアランとの剣戟の間にカミーユの背を引き寄せなければ、気丈夫な女剣術士は、この大穴の一部となっていたに違いない。


 そしてさらに次の刹那。

 カミーユの視界は暗転したかのように暗くなった。

 アッシュが大穴へカミーユを投げ込んだのだ。

 次に聞こえたのはアッシュの声だった。「カミーユさん、そこで身を顰めていてください」そして、何体かの頸を跳ばされた骸が転がり落ちてきたかと思うと、あっという間にカミーユは大穴の中に隠された。それにカミーユは「アッシュ! どうして!」と叫んだのだが、その声が届くことはなかった。大穴の口へ〈魔術の障壁〉が張られたのだ。


 

 ※ ※ ※



 大穴へ投げ込まれたカミーユは、骸と骸の隙間でアッシュに渡された剣を抱きしめ、膝を抱え込み、とうとう気が触れたように呟いた。

 

 どうして、こんなことになったのだろうか。アランの不躾な態度を叱責しなければ良かったのか? そうすればこのような惨劇は起こらなかったのか?

 大広間は今頃、大騒ぎとなっているだろう。地獄絵図を描いているに違いない。焔を纏った人喰いが、大挙として押し寄せ人を喰らうだろう。かたや、こちらでは、アッシュは無慈悲にアランとルゥを斬り捨てるのだろうか。苦楽を共にした二年を、あっさりと断ち切るようにだ。

 出会いは最悪の出会いであったと云っていい。だが、それでもそれを過去の話だと割り切れるほどには、共に笑ったし背中を預け闘いもした。


 そんなようなことを、気が触れたように呟いたカミーユは、エドラス村で互いの目的を打ち明けあった夜のことを思い出していた。

 

 

 その夜——最初に話しを切り出したのは、カミーユ自身だったと思う。



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