知らない女に逆ナンされた。

都月とか

第1話 僕のような人間


 校門を出て、ヘッドホンを着ける。


 今日の刑務作業も終わり、気疲れからこわばった体を長く伸ばす。同じ作業を終えたばかりにも関わらず元気に更なる活動へと向かう自分以外を心から尊敬する。自分とは違うのだと間違った感想を持った。


 隣にいる人に愚痴を吐きながら、それでも懸命に生きる級友達を思い出す。


 僕は夢や目標なんて立派には持っていない。

 あやふやなままに、誰かに言われるがままに、黒い板や白い板、厚い本や薄い紙に書かれた文章を詰め込む日々。僕のようなろくでなしでも、立派に更生できるように明日も励まなければならない。その先に何があるのかすらもよくは分からないが。


 今日も惚れ惚れしてしまう程によく晴れた空の下、空調の効きの悪い部屋に押し込まれ、張り付くような嫌な汗をかいた。

 遠くの方で蝉が暑さを嘆いている。

 早くシャワーを浴びたい。


 そして、こんな炎天の下でも、ヘッドホンを外す気にはなれなかった。

 

 周囲の音を除く学生の身には少し高価だったヘッドホン。


 これは僕にとっての酸素ボンベだ。いや、生命維持装置とも言えるだろうか。これを着けている間は周囲の目線や、声や、存在が、忘れてしまうほどに薄まる。上手く呼吸ができる。


 駅までの道を一人で歩く。

 聞き慣れた、聞き潰した音楽を流しながら。一番の近道を避け、少し遠回りな道を選んで。視界の中に人影は無く、背後からの視線も感じない。


 誰も居ない場所が僕は好きだ。


 僕みたいなどこにも居場所のない人間は、誰の物でもない水槽でしか生きて行けないようなのだ。他人の居場所がどうも窮屈なのだ。


 人が嫌いな訳ではない。人を嫌って良いほど出来た人間ではない。


 孤高を気取りたい訳ではない。この生活に、いつでも物寂しさを感じていて、誰かと笑い合う人を浅ましく羨ましく思う。


 だが、誰かが目の前に居ると体の動きが錆びついたように悪くなって、ここにいてはいけないような気になって、いつも逃げ出してしまう。


 幼稚で、臆病で、いくじなしで、そんな、自分をなじる言葉ばかりがすらすらと出る自分がまた、嫌いだった。


 誰も居ない場所で、誰にも迷惑を掛けずに、誰からも傷つけられずに、霞でも食んで生きたいと考え無しの妄想をする。人は一人では生きて行けない当たり前が、いつだって重くのしかかっている。


 閉じた刑務所と似たあの場所では、上手くできなかった深呼吸をして、足を交互に前に動かす。開けた道路に、少しばかりの解放感があった。


 間抜けな後悔もあった。太陽が幅を利かせた季節に遠回りなど、馬鹿のやることだった。気慰みの行動で、ミミズのように干涸びたくはない。エアコンのある室内か、せめてまともな日陰に入りたかった。

 

 そんな遅すぎる要望を、身勝手にこぼしながら駅へと向かう。

 

 背中に雫が流れるのを感じた。


 そして、一際横に大きな建物を前に、



「おい、お前」



 心臓が跳ね、身体が固まる。


 誰かから声を掛けられた。ぶっきらぼうに。

 自分の世界に浸り狭まっていた視野が強引に開かれる。


 後ろを振り向けば、見かけた事のない顔があった。人と顔を合わせていない僕は、人の顔などあまり覚えていないのだが。


 その顔は見慣れない制服を着ていた。見ているだけで涼しくなるようなブラウスを堂々と着こなす女子高生。なんだか、とても様になっていた。


 腕を組みこちらを高圧的に威圧してくる。睨んでいると言って良いほど鋭い視線だった。だれが見ても自明な程に、分かりやすく怒っていた。


 人にこんなにも真っ直ぐ敵意を向けられたことが久しぶりで、すくむような思いだった。細々と隅っこで、ひっそりと虫のように生きる僕に向けられるものなど、面白半分の悪意くらいな良い意味でも悪い意味でも中途半端なものばかりだったのだから。


 まぁ、とにかく。

 帰宅途中の、人の世を生きておいて自分しか知らないような醜悪に厭世的な高校生、この僕は、知らない女に絡まれた。


 彼女の苛立ちを見当違いとは、何故か思えずに。

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