第4話

 しっかりと空調が効いているはずなのに、どこからか冷たい風が吹き込んでくる。


 そんなふうに感じるのは、目の前の男の目のせいかもしれない。


 比企野は笑顔を絶やさなかったが、目は笑っていなかった。

 じっとこちらを見つめる目は、何かをさぐっているような、何かを疑っているような。

 

 比企野は饒舌だった。まるで空港を出ることのできない智也を慰めるのが、自分の使命か何かのようにしゃべり続ける。


「わたしはあなたのブログの大ファンなんですよ」


 比企野はそう言って憚らず、実際智也のブログすべてに目を通しているようだった。

 いくつかの土地の名をあげ、そこにまつわるめずらしい話をした。


 思わず引き込まれる話もあった。比企野は土地の民話に詳しかった。

 たとえば東北の猿ヶ石川に多く棲むという河童の話や、箱根にいるという仙人の話。職業を尋ねると、販売業ですよと曖昧なことを言うだけだったが、かなり勉強をしていることは間違いなかった。

 沖縄から北海道まで、比企野はあらゆる土地に興味を持っているようだった。


「あなたもブログをやってみたらどうです?」


 お世辞でなく、智也は言った。実際、比企野の知識をブログで披露すれば、それなりのファンがつくにちがいない。


「いやあ」


 比企野はまんざらでもないといった表情になった。


「わたしの知識なんて大したものじゃありませんよ。それに」


 比企野はそう言ってから、ロビーのほうへ視線を移した。


「わたし知りたいのはここだけだから」

「ここ?」

 A市にはたしかに興味深い史実がいくつもある。

 だが、話は意外な方向へ進んだ。


「この空港ですよ。わたしはこの空港のことを知りたいんです」

 

 そういうマニアがいると、智也は雑誌か何かで読んだことがあった。

 全国のいろんな空港を調べるのを趣味としている人々――。それにしては、空港の施設や飛行機の話など全く出てこないが。

 

 ゆっくりと首をめぐらせて、比企野はカフェの店内からロビーを見渡した。


「空港といってもね、飛行機やこの施設のことを知りたいわけじゃない」


 比企野の言うことは予想外で、話の主旨がつかめない。戸惑いを隠せない智也を、比企野は楽しんでいるかのような目で見る。


「じゃあ、何を知りたいーー」

「ここで働いている者たちのことですよ」

 そして比企野は下から覗きこむように智也を見た。


「気づきませんか」

 智也もつられて小声になった。

「何をです?」

「奴らですよ」

「奴ら?」


「そう。ここに奴らは大勢いる」


 何がなんだかわからなかった。この男は頭がおかしいのだろうか。

 そう思ったものの、話を聞き続けたのは、目の前の男から発せられる異様なほどの熱気のせいだった。執着心とでも言おうか。


 智也はテーブル越しに比企野に顔を近づけたまま、次の言葉を待った。


「奴らは同じ種族です」

「種族?」


 これまで比企野の口から、散々日本の古い民話やめずらしい伝承を聞かされたせいで、種族という言葉が出ても不思議とスンナリくる。


「あなたのブログに、下小阿仁村しもこあにむらのことが出ていましたね」

 下小阿仁村なら知っている。A地方の中央に位置する、江戸時代鉱山によって開けた村だ。


「下小阿仁村からさらに山奥深く入った場所の、朧石おぼろいしという集落のことも書いていたでしょう?」

 

 そう、そんなことも書いた覚えがある。地域の伝説も交えて、ちょっとホラー風に書いたのではなかったか。


 人里離れた忘れられた村。訪れた者は、ふたたび村を出ることは叶わない…。


「あの記事を読んで、わたしも調べてみたんですよ」

「朧石のことをですか?」

「ええ。そしたら、おもしろいことがいろいろわかりましてね」

「でも…」

 口をはさもうとしたが、比企野は智也の言葉をさえぎった。


「地図にも載っていない。もちろん国や県も把握していない、朧石はそんな集落だ」

「だって」

「だが、わたしが調べたところによると、室町時代から続く集落のようですな。あるしきたりを持って暮らしている集落」


「あるしきたり?」 


「そう。彼らだけの特殊な神を信じてましてね。その神を信じることによって、彼らは硬い絆で結ばれている」

「――そうなんですか?」


 にわかに信じ難かった。

 なぜなら、朧石というのは、自分が作り出した架空の集落で、そんな集落があれば行ってみたいと、戯言としてブログに書いた。


「実在するんてーー」


 思わずつぶやいた智也を見つめ、比企野は薄く笑った。


「信じてませんね」

「いや、信じるも何も」

 カフェの硬い椅子の坐り心地の悪さが気になってきた。智也は背筋を延ばし、坐り直した。


「おもしろい話だとは思いますよ。実際に朧石という名の集落があって、特殊な人々が住んでいるなんて」


 そう。

 こんな雪の日に、足止めを食った空港で、暇つぶしとして聞くにはいい話かもしれない。


「その集落の人々が、ここで働いているっていうんですね?」


 比企野は深くうなずいた。


「で、どの人がその種族なんです? 僕にはわかんないなあ」

 もう、本気で話を聞く気は失せていた。すると、比企野は、ふたたび下から覗きこむように智也を見つめ、それからわずかに体を傾けて後ろをうかがった。


「あの種族には印があるんですよ」

 比企野の視線の先には、カウンターの向こうにいる店員がいる。


「印?」


「そう。あなたは気づきませんでしたか? 彼らの肌にある縄の模様を」


 シューッと音を立てて、カウンターの向こうで湯気が立った。コーヒーを煎れ直しているのか、容器を洗っているのか。


 ほんの少し、智也の表情が変わったのかもしれない。

 比企野は満足げにうなずいた。


「見たんですね? あなたも」

 テーブルの上のカフェオレを、智也は手に取った。カフェオレはもう冷えて、液体の表面に薄い膜ができていた。



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