第5話 Day.5  三日月

 夏の夕暮れ時は、涼しい風が吹く。

 その日は、風が心地好かったから、広縁で早めの夕食をとることにした。

 素麺、夏野菜の煮浸し、胡瓜の浅漬け。

 健全な高校生としては、唐揚げくらい欲しいところだが、さすがに揚げ物をする気にはなれなかった。

 暑いし。

 はくどーさんは、元々精進料理だし、自分のためだけに揚げるのは面倒くさい。

 二人分の素麺を茹でるだけでも暑いのに、揚げ物までやるなんて、無理だ。

 はくどーさんと並んで、素麺をすする。

 向こうのお山の上に、細い三日月が見えた。

 金の細いそれは、ある人の顔を連想させる。

さびさん、最近来ませんね」

「そうでしたか?」

 錆さんは、はくどーさんの友達だ。

 月に一、二度、ふらりと白洞寺を訪れる。

 その度に、酒やらつまみやらを持ってきて、ダラダラと過ごすのだ。

 おまけに風のように現れるから、毎回驚いてしまう。

 前々回に来た時などは、気がついたら広縁で昼寝しているものだから、思わず「ひっ!」と叫んでしまった。

 白洞寺は小さいから、誰か来ればすぐに判るのに、錆さんだけは、未だに気がつけない。

 ボサボサの、半端に茶色に染まった前髪の奥、寝てるのか起きてるのか、よく判らない細い目。

 空に浮かぶ三日月は、その目に似ていた。

「あの風来坊やったら、心配しなくとも、すぐに現れますえ」

「誰が風来坊だ」

 低い声が背後からして、俺はびくっと跳ねてしまった。何の気配もしなかったぞ。

 振り返ると、噂をすればなんとやら。

 当の錆さんが立っていた。

 よれよれの作務衣に、黒と茶のボサボサ頭、

それに無精髭。

 そして手には、笹に結ばれた鮎が数匹。

 すごい。笹に結ばれた鮎なんて、初めて生で見た。

「土産だ。焼いてくれ」

「おや、こら美味しそうな鮎どすなぁ」

「どうしたんですか?これ」

 はくどーさんに手渡すと、どかりと腰を下ろす。

「うまそうだったから、獲ってきた」

「錆さん、釣りやるんですね」

「まあな」

 胡瓜の浅漬けを摘まむと、ポリポリと食べる。

 そうして「いい味だ」と言いたげに頷くと、錆さんは、はくどーさんを見た。

「酒」

「相変わらず、態度のでかい客や。少し待っとき」

 やれやれと言いながら、はくどーさんは腰を上げた。

「あ、俺が」

「この男は、焼き加減にやかましいんや」

 任せてと笑いながら、庫裏に行ってしまった。

 残された俺は、錆さんを見る。

「釣り、いいですね。俺もやってみたいです」

「んー。アイツがいいって言ったら、今度一緒に行くか」

「はい。お願いします」

 錆さんは、はくどーさんが使っていたつゆ鉢と箸をとり、勝手に素麺を食べ始める。

 あー、追加で茹でないと、足りないかな。

 っていうか、箸、持ってくるのに。

 色々気になる俺に対し、錆さんは満足げに飲み込むと、顔をあげる。

「うまい」

 ボサボサの前髪の奥で、優しい三日月が更に細く笑んでいた。

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