第3話 Day.3 鏡

 せめて高校は卒業した方がいいだろう。

 そう言われ、通信制の高校に転入したのは、去年の事だ。

 白洞寺を紹介してくれた人が、色々手を尽くしてくれたのである。

 有難いと思う反面、色々捨ててきたものを思い、これでいいのかと悩むこともある。

 それでも週に一度の登校と、オンライン授業と言うのは、今の自分に合っていて、助かっているのも確かだ。

 それ以外の時間は、たまに近所の酒屋の手伝いをしたり、はくどーさんの手伝いをして過ごしている。

 今日は、寺の掃除を頼まれた。

 最初ははくどーさんと一緒に、雑巾がけをしていた。が、はくどーさんは「吉田さんが、野菜を取りにおいで言うさかい、行ってくる」と、出かけてしまった。

 逃げたんだな、あれは。

 古いお寺だけあって、立派な屏風、衝立、仏具なんかもあり、慎重に掃除をする。

 すると、いつもは垂れている紫の布が、めくり上がっていることに気がついた。

 誰がめくったのだろう?はくどーさんか?

 直しておいた方がいいだろうと近づく。

 布で覆われいたのは、立派な鏡だった。

 鏡に映った自分の顔は、以前より顔色が良くなったように見えた。

 が、その顔がぐにゃりと歪む。

 なんだこれ。

 と思ったら、それは父の顔に変わった。

 父は激しく怒っていた。

 真っ赤な顔で、唾を飛ばして怒鳴っている。

「この親不孝者!」

「臆病者!」

「自分が何をしたか、判っているのか?!」

 恐ろしい顔をして、父は俺を責めたてる。

 その隣に浮かび上がったのは母だ。

 記憶にあるよりもやつれた顔で、母は泣いていた。

「私の育て方が悪かった」

「こんなことをしでかすなんて」

「我が家の恥」

 恨み言が、経のように流れ出る。

 冷たい殺気を感じて視線を動かすと、射殺すような目をした弟が睨んでいた。

「愚かなことを」

「父と母の顔に泥を塗った」

「恥さらし!」

 知っている。

 俺は、愚かで、親不孝者で、卑怯者だ。

 それを一番知っているのは、俺だ。

 そしてもう一人、まっすぐな目で俺を睨む人がいた。凛々しい眉が、怒りに歪んでいる。

 その目が、俺を射ぬく。

「裏切り者」

「俺を置いていった」

「一人で逃げるのか」

「許さない」

 いくつもの声が、俺を取り囲み、責め立てる。

 許さない許さない許さない。

 知っている、判っている、逃げたのは俺。

 許さなくていい。

 だって悪いのは俺だから。

 裏切ったのは俺だから。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 わんわんと声が響く。

 皆が俺を責め立てる。

 ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない。


 パンッ!!


 大きな柏手が響く。

「はーい、そこまで。ええ加減にしいひんと、割ってまうで」

 柔らかな声がして、俺はのろのろと顔をあげる。

 はくどーさんの手が、優しく頭を撫でる。

「かんにんえ。怖い思いさせた」

「は、はくどーさん」

「もう大丈夫や」

 柔らかな笑みを見ると、ざわついた心が落ち着くのを感じた。

「言うたやろう?夏は境界が曖昧になる。つけこまれへんよう、気ぃつけなあかん」

「境界が、曖昧に」

京義たかぎ君なら、判るやろ」

 はくどーさんは、ポンと背中を叩き、僕を立たせる。

「まあ、君なら大丈夫やろ。強い子やさかい」

「強くなんて」

「強いよ」

 にこりともう一度笑うと、はくどーさんは、ビニール袋を掲げた。

 立派なとうもろこしが、たくさん入っている。

「もろうたから、食べよう」

「はい。お湯沸かしますね」

 僕にとうもろこしの袋を渡すと、はくどーさんは紫の布を下ろす。

 鏡が視界から消えて、俺はわずかに安堵した。

 あんな光景、二度と見たくない。

「この鏡はな、映った人の見たないものを見せるんや。現実なんかと違う。気にすることあらへんで」

「見たくないもの」

「そやさかい」

 長い髪が揺れる。

 色素の薄い目が、まっすぐ見つめた。 

「気軽に近づいたら、あかんえ」

「判りました」

「さ、向こうでいただこう」

 俺ははくどーさんの背中を追いかけるように、歩き出す。

 後ろで何かが笑ったようか気がした。

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