第2話 Day.2 風鈴

 どこかで風鈴が鳴った。


 涼やかな音に、俺は顔をあげ耳を澄ます。

 軽やかな音色に、そう言えば一年前、ここに来た日もこの音を聴いたなと思い出す。

 空は青く、白い入道雲が沸き立っている。

 蝉の声も響いているし、夏到来と言ったところか。

 俺はシャーペンを置くと、床に寝転び、うーんと伸びをした。

 板張りの広縁は、ひんやりして気持ちが良い。

 暑いことは暑いが、吹く風が心地好いので、俺はここで勉強をするのが好きだった。

 一年。一年かぁ。

 もう一年経ったと言うべきか、まだ一年と思うべきか。

 まだ十七年しか生きていない身としては、判断に困る。

 あの日、全てを捨てて家を出た。

 二度と戻らない覚悟と、わずか荷物を持って、飛び出した。

 が、世間から見たら、俺は十六歳で、高校生にしか過ぎず、当然色々と問題があった。

 つまりは家出少年なのだ。

 居場所も、寝床もなく、かと言って繁華街に紛れ込むことも出来ず。

 とりあえず東京を離れようと、バスターミナルまで行ったものの、それじゃあどこに行く?と、選択肢の多さに途方にくれた。

 自由とは、選択の連続だと、あの時思った。

 結局、運が良かったのか、紆余曲折を経た末、俺は、この小さな寺に居候させて貰えた。

 ここ白洞寺は、京都の北区にある小さな寺だ。

 北区の外れ、山寄りに位置しているのと、非公開の寺のため、知っているのは近所の住人くらいなもの。

 当然観光客なんて来やしない。

 それでも平安時代に作られた仏像もあるし、前庭だって、有名な庭師による枯山水の石庭だ。

 裏庭には、錦鯉の泳ぐ池をメインとした日本庭園と、見事な藤棚がある。

 藤の花が咲く頃には、ご近所さん達が花見に来る。

 つまりは知る人ぞ知る、という寺である。

 と言うのは、住職の受け売り。

 この寺の住職、はくどーさんは不思議な人だ。

 まったくもって僧侶に見えない。

 何せ髪が長い。

 剃髪しないどころか、背中の真ん中まで伸びた髪を緩く束ねているのだ。

 全体的に色素が薄く、いつも穏やかに笑っている。

 法衣を着ているから坊さんなんだなと思うけど、作務衣姿の時なんかは、寺男にしか見えない。

 おまけに顔が綺麗なもんだから、近所の婆ちゃん達に大人気だ。二日に一度は、野菜やらお菓子やらが差し入れられる。

京義たかぎ君、西瓜、食べしませんか?」

 おっとりとした声がかかる。

 声のした方に顔を向けると、はくどーさんが立っていた。手にしたお盆には、西瓜の赤い三角が並んでいる。

「食べます。貰ったんですか?」

「西村さんから。立派な西瓜を貰うたけど、食べきれへんさかいって。半玉もくれました」

 ちゃぶ台の上のノートや教科書を片付ける。

 美味しそうな西瓜を前に、俺とはくどーさんは、手を合わせて「いただきます」と言った。

 冷えた西瓜は、シャリシャリと甘くて、実に美味しかった。

 チリーンと、風鈴が鳴る。

「日本の夏!って感じですね」

「そうやね」

「風鈴、どこにあるんですか?綺麗な音ですね」

「ん?んん、ああ」

 はくどーさんは西瓜を飲み込み、口元をタオルだで拭うと、にこりと笑った。

「どこにあるんやろうね。僕も知らへん」

「え」

 はくどーさんは、しゃくしゃくと西瓜を食べると、澄ました顔で種をプッと飛ばす。

 さらりと髪が流れた。

「夏は境界が、曖昧になるからね」

「境界」

「きっと綺麗な風鈴なんやろうねぇ」

 言いながら、はくどーさんは二個目の西瓜に手を伸ばす。


 どこかでまた、風鈴が涼やかな音をたてた。

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