第29話:夢現3


アルベルトがスバルを見届け、自室にあるベッドの端へ座ると扉を叩く音が寝室へ響いた。


「誰だ」


「王。入って良いか?」


リクの声に入室を許可する。


「ユハ様が、消えた」


入って早々、少し焦っているようなリクから告げられた言葉にアルベルトは驚かなかった。


「そうか。協力者は、ユハの従者だろう?」


「違う。襲われた看守は……そう証言していた…………」


「あの従者には、従者がいたとフィーネが言っていたな。そいつだろう。 ……ごく最近だったな。ユハの気に入りだったあの従者が入ってきたのは」


コクリと頷くリクを見ながら、アルベルトは顎に手を添えた。


「リク。スバルの部屋への警備は厳重にしているが、注意が必要だ。――――スバルの隣で俺が守れたらどんなに安心できるか………」


「王……」


黒の襟巻きの上から覗くリクの目は気遣うようなもので、それを向けられたアルベルトは苦笑いをして肩を竦めた。


「俺も例に漏れず、恋すると弱くなる生き物だという事か。笑ってくれ」


リクが無言で首を横に振ると、アルベルトは代わりにというように溜息のような笑いを一つ零した。






ユハが逃げたとはいえ、疲れの見えてきたアルベルトは仮眠をとることにした。


最初はユハが捕まるまではと思っていたが、有事に最大の力が出せなくなるかもしれないからとリクに言われたからでもある。


そういう事で寝始めたのだが、どさっと急激に腹辺りに重さを感じてアルベルトは目を覚ました。


懐に入りこまれ攻撃をしようと敵に利き手を繰り出そうとしたが、目に入ってきた見知った人物の顔に寸前でピタリと止めた。


上半身も中途半端に上げたまま、アルベルトは驚きの表情で目の前の人物の名前を呼ぶ。


「スバル?」


そう。アルベルトの腹の上に跨ぐように乗っていたのは、獣耳と尻尾が有りきらきらと星の粒子を散らすスバルだった。


虚ろな瞳が呼びかけによってアルベルトを映すと、スバルはゆったりと笑みをつくる。


「ちょうだい」


子供がねだるような無邪気な声だが、スバルの表情や取り巻く雰囲気は艶がある。


アルベルトは、潤む瞳に目が離せない。


スバルは中途半端に浮いている腕を避けながら、逞しい身体にしなだれ掛かる。


淡泊だ。浮いた話がない。と周りからいわれているアルベルトだが、自身の胸で子猫が甘えるように頬を摺り寄せているスバルに動揺を隠せないでいた。


「ねぇ」


唇と唇が触れ合いそうなほど近くで吐息のような呼び掛けに、アルベルトはくらくらとした。


アルベルトが王子の頃、対魔法訓練として魔法を受けたことはあるが、その時に肌で感じたものと質が違う。


そう。例えば、魔性の者が放つ雰囲気と似ている。


更に、惚れた者が相手ならば堪ったものではない。


本能が手を出せと言い。理性がこの事態を収拾せよと言う。


少し熱い息をゆっくり吐いて新しい空気を吸ったアルベルトは、理性の言葉に従った。


「スバル。これはどういう事だ?」


記憶が戻ったのだろうか。期待を滲ませた質問に、スバルはきょとんとした顔で首を傾げ密着させていた身体を起こして問う。


「わからない?」


「だから聞いている」


硬い声でアルベルトが返答をすれば、スバルがからからと笑い出した。


「す、すばる」


明るいが、本能的に背筋が凍るような思いのする笑い方をするスバルの肩に、正気に戻そうとアルベルトは手をのせた。






* * *






揺り動かされ目を覚ましたスバルが最初に見たのは、アルベルトの顔だった。


ぎぎっと音がしそうなほどの動きであたりを見て、スバルは自身がアルベルトに跨っていることを認識した。


夢だろうかとまた正面を見れば、アルベルトの顔があって現実を突きつけられる。


これでもかと目を瞠り、時間が止まったように固まった。


スバルの頭の中は真っ白になってしまった。






「―――――ぁ……の、これは…………」


動揺が隠せなく震えた声は小さい。


それでも、アルベルトはそれを広い汲み取ったらしく口を開く。


「今、貴方には獣耳と尻尾がある。そこに姿見があるから、確認してみると良い」


何だって? 今、この国の王は何と言っただろうか? 自分に獣耳と尻尾があると言っていなかっただろうか。 スバルは疑いの心しかないのだが、からかう表情ではなく真剣な顔をしたアルベルトの人差し指がさす方向―――姿見でとりあえず確認することにした。


方向転換やベッドから降りるたび、白い何かが視界の端に見えたり、頭や尾てい骨あたりに違和感があり嫌な予感がひしひしとする。


王の寝室が広いとはいえ、すぐに姿見の前に立ってしまったスバルは自身の姿に呆然としてしまった。


「《三つ尾の戦巫女》……」


一瞬にして思いついた名称が例え"ローエンの王位継承権を持つ者達のみしか知ってはならない名称"だとしても、呟いてしまうぐらいにはスバルは動揺していた。


「そう。《三つ尾の戦巫女》に似てはいるが、貴方の尻尾は九つある。俺にも何故、貴方がそうなるのかわからない。 ただ、貴方は俺と性行為をしなければ『精神や身体を力が蝕んでいく』と言っていた」


「え……」


とんでもない単語を聞いたような気がして、弾かれたようにスバルはアルベルトを振り返った。


程よい距離をとりながらアルベルトは対峙するように、そこに立っている。


「混乱するからと言わなかったが、貴方は記憶を一部無くしている。早く言えば、この城で数日を過ごしたすべての事を……」


この人は、何を言っているのだろう。自分は初めて今日、この城に来たはずだ。と怪訝な表情をスバルは浮かべる。


それでも真摯な瞳は、そんなスバルを映すだけだ。


そして、落ち着いた低音が信じられないことを告げてくる。


「貴方は、俺と最後までではないが肌を重ねた―――慰めあったと言うべきか……」


「――――う、そ……です。そんなこと…………」


「本当だ。そして次の朝、貴方は高熱を出してその姿になった。 その時、貴方に聞いた話が俺と性行為をしなければ精神や身体を力が蝕んでいくという話だった」


「わ、わたくしが……そんな…………」


仮に目の前のアルベルトの言うことが本当ならば、怖いと思っている男と事に及んだとなる。


――――まさか、無理矢理……?


アルベルトに迫られて仕方なくしたのだろうかと思ったが、瞬時に違うと心が否定した。


心に複雑に入り乱れるものを吹き飛ばしたくて、スバルは首を何度も横に振る。


そんな馬鹿な。と目の前の男とそういうことをした。という心の声に、めまいがしそうだ。


「スバル」


穏やかに呼ばれて、呑まれそうになった思考の海から浮上したスバルはアルベルトを目に映す。


「スバル。混乱させてしまって、すまない」


スバルを怖がらせないようにだろうか、アルベルトがゆっくりと近づいてくる。


慈愛に満ちた瞳に見つめられているスバルは、その場ではぁと熱い息を吐いた。 そのことで、自分の変化に気づく。


身体が熱く。特に腰に熱が集まってきている。


「スバル」


アルベルトの自分を呼ぶ低い声に、スバルはふるりと身体を震わせた。


これは欲情だと認めなければならないほど熱い吐息は忙しなく、ふるえる身体は熱い。


自身の雄が反応していることに羞恥で顔がさらに熱くなる。


大きな手が唐突に視界に入って、慌てて逃げるように飛び退いた。


「スバル?」


「来ないで!!」


心配そうに響いた呼びかけに自身が駄目になりそうで、スバルはガクガクする脚を懸命に動かし自分の寝室に続く扉へと逃げた。


冷静に考えれば、教えてもらっていないはずの王の寝室と直接繋がる自分の寝室の扉に縋りつくように張り付いた。


必死に扉を開けようとするが、手が震えて取っ手がどうにもうまく回せない。


「スバル。どうしたんだ? フィーネを呼んだ方が……」


「やめて!!」


戸惑った質問にスバルは叫んだ。


アルベルトにも本当は見れられたくないのに、兄弟のように育ったフィーネに欲情した自身を見せることは耐えられない。


「だろうな。一人の方が良いか?」


「待って」


遠ざかりそうな背後の気配にスバルは追い縋ろうとしたが、腰を捻ったところでその場にストンと尻と両手をついた。


「自分の部屋に戻りたい」


なんて情けない。スバルは涙を溜めた目で、アルベルトに縋るように見上げた。


真剣な顔をしたアルベルトは是と返事をする。


「貴方に俺が触れても大丈夫だろうか?」


頭上からの落ち着いた声に、スバルはこくりと頷く。


本当は怖い。だが、今の身体を蝕む熱を一刻も早く解放したい。というのがスバルの本音だ。


最初は恐る恐るだったが、最終には逞しくがっと華奢な身体を片手に抱えたアルベルトは、スバルの寝室への扉を豪快に開けた。


「浴室へ」


吐息のような声だったが、アルベルトは浴室に足を進める。


浴室に着いて床に降ろしてもらったスバルは見上げると、アルベルトは心得たように一つ頷いて出て行った。


それを確認したスバルは、自身の熱をどうにかしようと水を被った。

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