第2話:到着


他国と同じ作りの馬車に揺られ、長い髪をいじっていたスバルは溜息を吐いた。


「着いたら、この髪を切って良いか聞こうかな?」


立場上、長くしていただけで、頭が重く手入れが大変な髪を本当は切ってしまいたいと、前々からスバルは思っていたのだ。


「やっとそこまで伸ばしましたのに! 僕は反対です!」


拳を上げ息を荒げたのは、スバルの幼馴染兼従者のフィーネだ。


一つ年上で二十一歳のフィーネだが、"可愛いらしい"という顔立ちで、その頬を膨らませた。


ここでも、スバルは略式の花簪を指した戦巫女の姿で、従者のお仕着せである白のシャツに紺掛ったベスト、それと同じ色の背広にズボンという格好のフィーネと対照的だった。


スバルは今、嫁入りするために、ミナシア王国の城へ向かっている。


現在、戦巫女の権限を有する者は、王子であるが良いか? それで良いのならば、要求に応じると返事を送ると、ミナシアから感謝の言葉と共にそれで良いと回答が返ってきた。


同性愛も同性婚も一部の国を除き認められているが、《最古四つ国》以外の王は、だいたい女性を王妃とするのが一般的だ。


なので、それを切っ掛けとして、ローエンに何かを要求してくるのではないか? と身構えていたスバルなのだが、反対に感謝の言葉が書かれていたことに困惑する。


やはり、ミナシア国王が何を考えているのか、スバルにはわからなかった。


ゆっくりと速度を落とす馬車に気付いたスバルは、フィーネへ「ほらほら、もう少しで着くよ」とのほほんと告げた。


そうすれば、フィーネはスバルの髪や少しずれた羽織である千早(ちはや)を正す。


馬車が完全に止まれば、スバルとフィーネは、それぞれの役職の顔へと変化をさせた。


外から扉が開き、フィーネが先に出て、手をスバルに差し出す。


「戦巫女様」


差し出された手に、スバルは手を乗せて立ちあがり、馬車をゆっくりと降りる。


完全に降り立つと、出歩きも出来るよう床に擦れないような長さの戦巫女姿で、胸を張り周りを見渡す。


スバルの両端から道筋に、侍女や侍従が並ぶ。


聞いた通りに皆、獣耳と尻尾を持ち体躯が大きい。


侍女の背は平均してスバルと同じぐらいで、彼女達に囲まれてしまえば、スバルより背の低いフィーネは子供に見えてしまうだろう。


侍従の顔を見ようとするならば、それなりに見上げなくてはならない。


その道の中央に、この中の誰よりも背が高く優れた体躯を持つ、白いシャツに黒いズボンといった簡素な出で立ちの男が立っていた。


あれがミナシア国王で、戦巫女を出迎えに来たのだろう。


(あるいは、値踏みっといった所か……)


ふむと一人で納得したスバルは、フィーネの手に手を乗せたまま、静々とそちらを目標にして歩き出す。


あまり戦巫女姿で外に出たことがないスバルは、袴で隠れわかりずらいが危なっかしい足運びで、外見は堂々と内心は冷や冷やして歩いている。


城内の者しか居ない場合、歩くとしてもたすき掛けをして、袴の股立(ももだち)を取って――太股の左右側面に開いている逆三角形を引き上げること――歩いていたので、それをしたいのが本音だ。


あと数歩でミナシア国王に辿り着く所で、フィーネから手を離し歩く。


明らかにその所為で、ミナシア国王のあと一歩手前でこけた。


しかも、何もない所でというお決まりのものだ。


「ぁっ」


悲鳴というよりも、やってしまったというような声を短く出し、スバルは前倒しに傾いていく。


目に映るのは、布越しなので見えないが、想像するに筋肉質だが均整のとれているだろう腹だ。


顔をぶつけたら痛いのと、鼻の高さが無くなってしまえば悲しい現実が待っている。


だが、咄嗟に鼻を押さえられなかった。


スバルが、鈍いのではない。


大きな手が目の前に現れて、スバルの両肩を掴むことで、傾いていく身体を受け止められたからだ。


あっさりとした出来事に、目を瞬いたスバルは、支えられてくれている大きな手の持ち主を見ようとした。


「大丈夫か?」


低いが聞きやすく綺麗に響く声に問われて、スバルは態勢を立て直し「はい。ありがとうございます」と頭を下げた。


「どうと言うこともない」と返されたスバルは、顔を上げ自身を救った男の顔をようやく見る。


(美形だ……)


一番目に引くのは、頭の左右にある虎柄の先が丸い耳と尻尾。その色と同じ琥珀色の短髪から覗く水色の目は鋭く、眉は男らしく凛々しい。


最近悩みはじめたスバルが気にしている鼻も高く、眉間から鼻先までがすっと通っている。


「挨拶が、遅れてすまない。ようこそ、戦巫女殿。俺は、ミナシア国王のアルベルトだ」


右手を差し出されて、その上にスバルは自身の右手を乗せた。


「わたくしもご挨拶が遅れまして、申し訳ございません。ローエン王国の戦巫女、スバルと申します。これから、末永くよろしくお願い致します」


アルベルトは「よろしく」と、そっとスバルの右手を握って、ゆっくりと振った。


「それにしても、貴方も貴方の従者も華奢だ。加減は注意するが、何か不都合があれば遠慮なくすぐに言ってくれ」


「怪我をする前に」そう申し出ながらアルベルトは、スバルの手首の太さを測るよう、自身の親指と中指を輪にしてみせる。


腕輪のように余った部分を見ながら、スバルは「はい。お心遣いありがとうございます」と頷くしかない。


「スバル殿。では城へ」


そう言うや否や、アルベルトはスバルの背へ片腕をまわした。


「うわっ?!」


急に自身の足が地面から離れ、浮いたことにスバルは短い悲鳴を上げた。


(な、なに?!)


スバルは目をこれでもかと見開いて、自身が後ろへ傾きそうになり、慌てて前にあるものへしがみ付いて何とかする。


「申し訳ない。こんなに軽いとは思わず、勢い余ってしまった。スバル殿は、もう少し重くなった方が良いのではないか?」


耳元でそう意見が述べられ、目を瞬いていたスバルは恐る恐るそのしがみ付いたものから顔を離し、僅かばかり上を見た。


そこにはアルベルトの顔があり、自身がアルベルトの片腕に座るようにして抱きかかえられていることに、スバルは気付いた。


「スバル殿?」


その何もかもの事実に呆然としてしまい、話し掛けられてもスバルは答えられない。


「王。普通、いきなり片腕で持ち上げられれば、驚かれるだろうよ。それに、無礼だ」


心配だと顔に書いてあるアルベルトに、少しくぐもった声が咎める。


「ああ。そうか……申し訳ない。スバル殿。先程、貴方が転びかけていたので、俺が心配でこうしてしまったのだが……」


落ち込んだようにアルベルトは謝罪をしたが、スバルを下ろそうとは思っていないらしい。


「え、ああ。いえ。……少し驚きましたが、アルベルト陛下は、お優しい方なのですね」


我に返ったスバルが、ちょっと、いきなりだったけど。と心の中で呟いて「ありがとうございます」と微笑むと、アルベルトも頬を緩める。


「王よ。俺の紹介がまだだ」


スバルは、トントンと肩を軽く叩かれて、背後に聞こえた声に振り返る。


するとそこには、黒の長衣を着て、これまた黒の襟巻きを鼻の高さまで覆うように一巻きしている人物が立っていた。


三角形の狼の耳と尻尾、それを持った焦げ茶の前髪から覗く灰色の垂れ目は、スバルに向けられている。


「戦巫女様、ようこそミナシアへ。この国の宰相をしている、リクと言います」


「よろしくお願い致します。リク様。……リク様のお名前は、わたくしの国とアイリ国で昔名前に使われていた響きに似ていて、親近感が湧きます」


挨拶し終えたリクが差し出した右手、それを握りながらスバルがそう告げると、リクがこくりと一つ頷いた。


「祖母が、ローエンの出身です」


自身と共通の話を得たスバルは、嬉しさに花が咲くように顔を綻ばせた。


「そうなのですか? では、その名前はお祖母様が?」


いまだにスバルは、リクの手を無意識に握り締めたまま問う。


リクがこくりと頷くと、バシッと痛そうな音がした。


「王、痛い。……嫉妬は、醜い」


腕を擦りながら、恨めしそうにリクが睨と、アルベルトは申し訳ないという表情で耳を下げる。


どうやら、アルベルトがリクの腕を叩いたらしい。


二人は、仲が悪いのだろうか? スバルは、疑問に思う。


「すまん」


「スバル様は、ちっこいのだから気をつけてあげないと」


「ああ。わかっている」


隔たりのない口調で話すアルベルト達をスバルは、交互を見遣った。


会話を聞いている限り、王と宰相の会話というよりは、友人同士が話している軽さがある。


(喧嘩するほど仲が良い?)


検討違いな答えを出して納得したスバルが、ふむと一つ頷く。


それを見たフィーネが、暢気な主人に溜息をついた。






* * *






スバル達の一挙一動をとある部屋のバルコニーで見ていた男は、忌々しそうに眉間に皺を寄せた。


「アレが、戦巫女か……。何と、凡庸な」


「あの戦巫女様は、男だと聞きました」


男の後ろに控えていた従者がぽそりと呟くと、男は眉を跳ねさせた。


「何とっ。では、好機ということか!」


「…戦巫女様は、あの話に出てくる"該当者"ですよ」


従者の言葉に、喜んで笑っていた男は無表情になる。


「そうか……。アルベルトと婚姻を結ぶ前に、アレを我が手に」


「かしこまりました」


従者の返事に満足げに頷いた男は、アルベルトの片腕に収まっているスバルを見て、舌舐めずりする。


「良く見れば、素朴なりに可愛い顔をしている。攫って手篭めにし、我が妻として迎えるのみ。なあ!」


喜々とした顔で、何も疑うことなく返事を求める男の瞳に見詰められた従者は、笑顔で床に跪く。


「私は、貴方に従うのみ」


従者が頭を下げれば、男の声を上げた笑いがスバル達に届く前に消えて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る