第2話 『よく生きたね』
私の存在を誰か認めて。
ただ一言「ここにいて良い」って
言って欲しい。
物心ついた頃から、私は家族の笑顔を思い出せない。
自分勝手に母を責める祖母、逆らえない母、帰ってこない父。
家族と名のついた、家の形をした牢獄だと私は思う。そんな事勇気がなくてただの一度も口にしたことがないのだけれど。
今思えばなんでも言えばよかった。壊れようがめちゃくちゃになろうが私の家は初めから壊れていた。
学校にも家にも居場所がなくて、勉強ができるわけでも運動ができるわけでもない。
あの頃の私は、何にでもなれる!なんていう熱血教師に心の中で悪態をついては、友人も作れずただ取り残される日々を送っていた。
次第に学校では声が出なくなり、何を言っても黙ってる変な奴とレッテルを貼られた。
学校に行っても辛くて、行かなくても家に居場所なんてあるわけがなくて。次第にふらふらと街を彷徨い歩くようになった私を、近所の人は好奇の目で見、そして噂した。恰好の話題を提供するようになった私を、世間体が命である祖母が許すはずがなかった。
「ろくに口も聞けない上に、昼間からフラフラ出歩くなんて!アンタに似て碌な大人にならないね」
「すみません」
「男の子も産まない、娘の教育もできない、夫も手懐けられないなんてね」
「………」
祖母の一方的な責め立てに、母が反抗したことはない。
小さい頃は母がいじめられてかわいそうだと思っていた。
だけど、母は何も言わない。
『本当に何も言わないのだ』
娘である私を、口汚く罵られても庇うこともしない。
私を抱きしめることも、笑いかけることもせず、母はただこの家の、祖母の奴隷だった。
そして、私は気がついてしまった。
母は、私だ。
教室でもの言えず、ただそこにあるだけ。
あれは、私だ。
この先私が生きていても
波風立てずに暮らしたとしても、私は誰も愛せない。
だって、何も話していないのに私は『母の気持ちがわかる』のだ。怖いくらいに。
母は不幸な人だった。
それをどこかでわかっているのに、どうして良いのかわからなくて、私という名のコピーを作ってしまったのだ。
この世には、全てを解決してくれる愛とやらがあるらしい。
それがあれば、私は救われ、生きたいと思うことができるのだろうか。
奇妙な死神と会ったのはちょうどその時だった。
「それ」
降ってきた声は、前からか後ろからかもわからなかった。
音の方向すら無視するような、浮遊感をまとった声だった。
声の主は、重力の概念を拒絶するかのような在り方をしていて、
私の思考をぐちゃぐちゃにかき乱した。
「……なに」
絞り出した声は、聞きたいことを全部ふた文字に詰め込んだ。言葉が自分から出たことに驚いて、私はつい口を手で塞いだ。
いや、それよりももっと他に言うべき言葉があったはずなのに、状況を処理することで脳のメモリが全部使われていた。
「君の、今日の“死にたい”の気持ち。青色……美しいねぇ。海の近くだからかな?」
妙な人物が足元を指差す。
その先には、不自然な花が一輪──静かに咲いていた。
花は空気から浮き上がるような存在感で、地面に根を張っていなかった。
その人は、さっさとそれを摘み取ると、
うっとりとした表情で香りを楽しむ素振りを見せた。
「庭が賑わうぞ」
キラキラとした横顔には、血の気が感じられなかった。
透き通るような青白い肌は、ゾッとするような美しさだった。
「……ゆう、れい?」
「アルト」
「……だれ?」
「僕の名前。えっと……君たちの世界で言う“死神”ってやつが、一番近いかな」
「シニガミ……」
アルトと名乗ったそいつは、ひょいっと宙吊りになり、摘んだばかりの花を目の前でひらひらと揺らしてみせた。
「僕は、君の花を摘みに来ただけ。それに──君の“死にたい”は、まだ弱い」
そう言って消えたシニガミとやらは、花びらと共に消えた。
訳がわからなかった。
死にたい、そう思った事は確かにある。だけど『消えたい』が近かった。初めから私なんて無かったことにしてくれれば良いと、ヒカルは本気でそう思っている。
それから度々、その奇妙な死神様が花を摘みに来た。
父が母以外の女の人と歩いていた。
祖母が倒れ、母はそれでも祖母の世話を続けた。
私はなんとか祖母の口利きで就職したものの、すぐに仕事に行けなくなった。
祖母が死んだ。
──…母が消えた。
家族が消えて、得たものは自由では無かった。
「君は何もかもが自由なのに、これで良いの?」
もう何十回目かの逢瀬になる、アルトは私にそう言った。
私は頷いた。
「…決めたんだね」
彼は私に花束を差し出した。
夢のように鮮やかで、目に刺さるような色彩。たっぷりとした大きな大きな花束だった。
「……なに、これ」
「君のこれまでの”死にたい気持ち“の全部だよ」
「こんなに綺麗なわけないわ」
恐る恐る受け取ると、不気味なほど軽かった。両手にいっぱい、視界に広がる、花。
「これは、死にたいと思いながら君が生きた回数と同じなんだよ。──…よく生きたね」
アルトは私の手を取った。
幸せなんて、私には縁のないものだと思っていた。
だけどそれは、間違いなく今私の手の中にある。
私の生きた証を、彼がくれたんだ。
色鮮やかな花束が、私の脳裏に散って、そして消えた。
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