第55話 リセット
「――ブルドグ様。神殿騎士が動いているようです。どうなさいますか?」
「くぅっ……」
執務室で黒フードの男――帝国のスパイ・サミュエルから報告を受けた瞬間、ブルドグは自分が追い詰められていることを悟った。
神殿騎士は、王国において最も敵に回してはならない組織。
その数、その信仰心、そして神殿騎士に選ばれた者のみが持つことを許された特異な能力。
一人ひとりの戦闘力は、王国騎士を凌駕すると言われている。
「どこで歯車が狂ったのでしょう……ほんの数日前までは、完璧だったはずが……」
「ドロテイア様が屋敷前で戦闘された件がございました。おそらく、あそこで何かが起きたのでしょう」
「侵入者がいたという報告はあった。しかし、痕跡は残っていない。……消えた帳簿一冊程度で、神殿騎士が動くはずもない」
ブルドグは奥歯を噛み締め、机を拳で叩きつけた。
乾いた音が、部屋の静寂を切り裂く。
このままでは終われない。
異端審問にかけられれば、ほぼ確実に有罪。
――だが、それも証拠があっての話だ。
「サミュエル殿。これまでよく尽力してくれました。ですが……どうやら、この街を一度リセットするしかなさそうです」
「……つまり、あの魔道具を?」
「ああ。選択肢は他にありません。証拠をすべて消し去り、私はこの地位のまま再起をはかります」
「承知いたしました。少々、もったいない気もしますがね」
「――これまでの協力、感謝しています」
ブルドグの言葉に、サミュエルは静かに一礼し、黒いフードを被って部屋を出た。
だが、扉を背にして立ち止まり、ふと小さく笑う。
「潮時、ですか……。まったく、せっかくここまで遊んであげたというのに。――人間というのは、本当に理解しがたい生き物だ」
次の瞬間、空気が歪み、姿が掻き消えたサミュエル。
否――サミュエルだったそれは、不敵な笑みを浮かべながら、新たな遊び場を探すように、闇の向こうへと消えていった。
◇◇◇
「――マリエル、世話になったな」
「…………私は今でも、あなたにここで働いていてほしいと思っています」
最初はマリエルに半ば強引に誘われ、情報収集のためならと割り切って働きはじめた治療院。だが、もうそこに留まる理由はなかった。
ようやく時間を作って会うことができた、ハンバーグみたいな名前のギルドマスター。
その口から告げられたのは、浄化作戦が実行されるという知らせだった。
グレンたちと共に話を聞いた限り、俺たちの役目は小さい。
――だが、出る幕がないとは言えなかった。
裏では魔族ドロテイアが暗躍している。
いかに神殿騎士が精鋭でも、相手がそれなら容易には対抗できないだろう。
だからこそ、俺たちは備えなければならなかった。
きっと次もグレンたちを狙ってくる。表に出れば必ず遭遇する。
ならば俺は、彼らと共に行動し、正面からドロテイアを迎え撃つだけだ。
マリエルにはブルドグの件を一切話していない。
彼女の所属する派閥を思えば、容易に信じてもらえる話ではないだろう。
この事件が終わったとき、彼女が何を思うのかはわからない。
だが、マリエルなら――自分の信念を胸に、聖職者として歩み続けるだろう。
そうして、浄化作戦の決行日が訪れる。
――その、はずだった。
◇◇◇
浄化作戦決行当日――その昼下がり。
ハレスに駐在する神殿騎士、およそ百名が武器を手に取り、ブルドグの所有する施設と屋敷を一斉に包囲すべく行軍を開始した。
だがその時、都市庁舎の頂に掲げられた金の鐘が、ガン、ガン、ガン――と、街中を震わせるほどの音を立てて鳴り響いた。
突然の警鐘に住民たちは戸惑い、通りがざわめく。
何が起きたのか、誰にもわからない。
ただ一つ確かなのは――過去にこの警鐘が鳴らされた事例はたった一つしかなかった、ということだった。
◇◇◇
——鐘が鳴る直前、Cランク冒険者のパーティが血相を変えて冒険者ギルドへと駆け込んできた。
「ギルドマスターはいるか! 大変だ! ダンジョンから魔物が溢れ出してきた!!」
リーダーの叫びがギルド内に轟く。
瞬間、受付嬢も冒険者も一斉に立ち上がり、空気が一気に張り詰めた。
「数は……最低でも一万! この街の人口を軽く超える規模だ!!」
――冒険都市ハレス。
この街が冒険都市と呼ばれる理由は、冒険者が多いからではない。
街の西側には、王国最大規模の洞窟型ダンジョンが口を開け、存在しているからだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます