第7話 [薄荷の香り、街角の奇縁]


レムザンの朝は、薄い霧とともに始まった。

この街は峠の東側に広がる小さな交易地で、露店が集まる広場では香草や染料が所狭しと並んでいた。


「……あ、見て。あれ、たぶんバルハ草だよ」


イフミーが指差したのは、ひらひらと乾いた葉が重なった青緑の束。

呼び名は地域によって異なるが、古くから咳止めや目の疲れに効くと言われている薬草だ。


「香りがすごいですね。すっとする……これは、花粉でしょうか?」


「粉のほうが効くんだって。あとで匂い袋に詰めとこうかな」


私たちは、露店の間を縫うように歩いた。

季節ものの果物、旅の保存食、磨き上げられた銅鍋――雑多だが賑やかで、どこか温かい。


そんな中で、一人の男が荷台の影から私に目を留めた。

革のチョッキに赤茶のターバン。きびきびと動きながら、けれど私の歩き方や腰の剣をじっと見ていたようだった。


「……お前さん、護衛の腕、あるように見えるな」


彼はそう声をかけてきた。

私は足を止めて返す。


「何かご用でしょうか」


「実はな、峠越えの荷馬車に護衛をつけたいんだ。報酬は銀貨十枚。どうだ?」


「荷馬車の規模と峠の状況にもよりますが、話を聞かせてください」


「いい返事だ。詳しい話は、裏手の広場で。仲間も紹介しよう」



---


裏手の広場には、三台の荷馬車が並んでいた。

馬は毛並みのよい小型の品種で、積荷は袋や壺、布でしっかりと保護されている。すでに雇われた護衛らしき者が数名、手入れや見回りをしていた。


中央に広げられた地図の前で、隊長格の男が言った。


「峠を越えて“オルドの谷”まで抜ける。通るのは獣道まじりの山路だが、馬車は通れる。問題は盗賊と崩落」


男の指が谷筋をなぞる。

道幅の狭い場所が点在し、抜け道は風や天候によって変化するという。


「積み荷は香草と染料、それに割れ物の薬酒だ。振動に弱く、積み直しはきかない。だから、速さより安定を選ぶ」


私は周囲の護衛の装備や足取りをさりげなく観察していた。

中には弓を携える者もおり、連携は意外と取れていそうだ。


「君みたいな人材は貴重だよ。ほら、あいつとあいつは口数は少ないけど真面目でな」


先ほど声をかけてきた男――若い行商人だった――が、ひとりずつ紹介してくれた。

細かい契約内容も簡潔に話し終えると、男は腰袋から小袋を取り出した。


「じゃあ、前金として銀貨三枚。残りは峠を越えた先の村で」


「ありがたく」


私は袋を受け取り、中身を確かめる。

古い銀貨が一枚、新しい鋳造のものが二枚。

イフミーがそれをのぞきこみ、ひそひそと囁く。


「君、ちゃんと稼げてるじゃん」


「旅は道連れ、そして金も……やっぱり力になるね」

私はそう返しながら、小さく笑った。

仲間がいる安心感と、報酬の確かさ。その両方が、今の自分を支えている気がした。



---


宿に戻る道すがら、私は露店で香草を一袋だけ購入した。

バルハ草と、小さな花のドライミックス。

袋をイフミーに手渡すと、彼女はうれしそうに頬を染めた。


「これで今夜はぐっすり眠れるかな」


「隣で君が寝言を言わなければ、ですが」


「言ってた?!」


「少しだけ」


笑いながら歩く道に、夕暮れの気配が差しはじめていた。

明日は峠越え。短くない道のりだ。

だが、心のどこかに、かすかな期待があった。

越えた先で、何かが変わるような。あるいは、少し取り戻せるような――そんな、旅の感覚が。




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