1-7 終わりの足音
木の檻の中で、体を小さく丸めながら嵐が来ないことを祈った。店主の機嫌が良ければ平穏だが、妻と喧嘩したり思ったよりも売上が良くなかったりしたときは八つ当たりに来る。それは嵐と同じで、ただ体を縮こませて耐えるしかない。
檻の中には二人、
少女は猫の眷属神から加護をもらっているようだった。黒毛は初めてこのお店に連れてこられた際、少女に名乗ったが、少女は何も答えなかった。怯えて、震えて、隅のほうで小さくなっていた。だから黒毛は少女の名前を知らない。顔つきが人よりも猫らしいことと、手と脚が猫であることだけ知っている。
それから、店に出されるのを怯えているということも。
「おい」
乱暴に声をかけられ、黒毛も少女もびくりと肩を跳ねた。
「ほら、飯。今日はたくさん客が来たからな。多くしてやったぞ」
「あ、ありがとうございます……」
茶碗一杯のお粥を受け取って、黒毛は頭を下げる。いつもはこれの半分で、もう少し水っぽい。どうやら店主の機嫌は良いらしいとわかって、ほっとした。
じゃあな、と店主は去る。当然のように少女にご飯を渡さなかった。働かない少女に店主は食事を用意するつもりがないのだ。
黒毛は耳をそばだてて、店主が母屋に戻ったのを確認すると、少女のそばに寄った。近づきすぎると怯えるので、ある程度距離をとって茶碗だけを少女のほうへ押し出す。
「今日はたくさんあるよ。食べて」
ほとんど何も食べていない少女の体は痩せ細ってしまった。店主に少女のための食事を頼めば、店に出そうとするから頼めない。だから黒毛は自分の食事を少女に与えることにした。
「おれは朝食べたから。それに、最近は肉屋のおじさんが毎日来て、お肉をくれるんだ。だから、これは君が食べて」
店に出る黒毛には、客から不審がられないように朝食が用意される。だが、檻の中ではなく外で、だ。食べたらすぐに布を被せられて店に出る。だから朝食を譲る時間はない。夜だけが少女に食べさせられる時間だから、黒毛は焦る。
「早く。茶碗を取りに戻ってくる前に食べて」
「……お肉」
「え?」
「お肉、食べたの?」
感情のない瞳に見つめられ、黒毛はなんとなく自分が悪いことをしたような気がした。素直に「うん」と頷けば、少女の目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
「いいな……、いいなぁ……。私もお肉、食べたい。まんじゅうも、ご飯も、お父さんが釣ってきたお魚も、みんなで、たくさん……」
泣き声を押し殺しながら、少女は家族の名前を呼ぶ。うるさくすれば店主が来る。殴られる。だから寂しくても押し殺して耐えてすべての感情をなくすしかなかった。
黒毛もそうした。
肉なんていいものではない。生肉だ。犬として食べないと店主が怒るから、殴られないために食べている。美味しくはなかった。砂利も口に入った。小石だって食べた。でも吐けずに、全部食べたのだ。
肉を食べられない少女と、肉を食べる自分のどちらが良いか、黒毛はわからなかった。店に出る自分と、店に出ない少女のどちらが正しいのかもわからない。ただ、少女は「店に出されたら生きられない」と言うので黒毛が代わりに出ているのだ。これは、間違いではないような気がする。だが、正しくもない気がする。
考えてもわからないし、どうしようもない。今自分にできることをしようと、黒毛は再度、茶碗を少女のほうへ押し出した。
「これだけでも食べて」
泣きじゃくっていた少女は顔を上げる。茶碗と黒毛を見て、ごめんなさいと謝りながらお粥を食べ始めた。
少女を見ていると、黒毛はなんとも言えない気持ちになる。少女が猫として扱われなくて良かったと、自分の行いを誇らしく思う気持ちと、見知らぬ少女のためにどうして自分が犬扱いされ、ここまで自尊心を傷つけられなければならないのかという憤りだ。一人なら逃げられる。犬の脚力に店主が追いつけると思えない。走って逃げて森に入れば黒毛は助かる。だが、それをしなかった。
少女のことが気になったのもそうだ。だが、黒毛自身、森に帰りたいという強い気持ちがなかったのも原因の一つだった。
逃げたら店主が黒毛を探すだろう。森までは追ってこないだろうが、町に出たらすぐに見つかるかもしれない。つまり、逃げ出してしまったらもう二度と町に戻れない。
犬でいれば町にいられる。
この考えが愚かしいと、黒毛は思っていなかった。
食べる体力もないのか、少女はゆっくりお粥をすする。それを見守っていたとき、遠くからたくさんの足音が聞こえてきた。
ぴくりと耳を動かし、その音を慎重に聞き取ったのは、本能的に何かを感じたのかもしれなかった。
「くろげ……?」
少女も気づいたらしい。二人して身を硬くし、音を聞く。
店に近づいてくる、多数の不穏な音を。
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