1-5 大きな黒い犬の人間


「虹花、絵を描いてもらえる?大きな黒い犬の絵。犬だけど人なの」


いつもより早く無殿に戻った余花は、部屋で絵筆の手入れをしていた虹花にそう言いつける。


「犬……、人、ですか?あの、羽衣さまは……?」

「羽衣には別の調査をお願いしているわ」


城に戻る途中で羽衣には、犬の子に芸をさせていた店主について調べるよう命じた。まずは店主が違法なことをしていないかの調査。芸を披露してお金をもらうのは違法ではない。だが、そのやり方に悪いところがあったら?そこから詰めることができるかもしれない。


そして、犬の子のことをもっと知る必要がある。あの子は泣いていた。そう余花は見た。だが、羽衣は否定した。


「遠くから見ただけでしょう。光の加減かもしれません。お嬢さまはあの芸人に同情しておいでですから、泣いてるように見えてしまっただけかもしれませんよ」


違うと言い切るには、確かに距離があった。可哀想にと思ったのも事実だ。仮に犬の子が今の生活を良しとしているのなら、余花が助けようとするのは余計なことだ。


だから調べる必要があった。店主は悪い人間ではないのか、犬の子は望んであの場所にいるのか。


余花が広げたのは犬国の法について記された犬国御定書だ。まずは芸を売る人たちの法について知っておこうと読み始める。その横で虹花は絵を描く準備をし、筆をとった。


「黒い大きな犬を描けばよろしいでしょうか?」

「黒い大きな犬に見える人間を描いてほしいの」

「人間……」


難しい注文をされたというように虹花は悩む。だが、余花専属の絵師として雇われた虹花は、難題を無理と突き返すことはしなかった。


まずは書き損じの紙にさらさらと下書きをする。「このような感じでしょうか」と余花に伺い、余花は虹花の絵を見た。


虹花は見たこともないものを想像で描くのが上手い。見せられた犬のような人間も悪くはなかった。だが、人に近い。


「もっと犬の顔をしていたわ。体も、犬のようだった。ああ、布を着せて体格を隠していたわね……」

「隠す……。……あの、姫さまは犬のような人間を見てきたのでしょうか?」

「ええ。あまり……良いものではなかったわ」


口にしてから、余花はハッと気づき、笑みを作る。


「でも、問題があるなら解決するつもりよ。羽衣にも調べてもらっているし、内容がまとまったら瓦版にして父さまに渡すわ」

「……問題がないとよろしいですね」


虹花の表情が暗くなった。余花は失言を反省する。虹花はもともと城勤めをしておらず、市中で働いていた。そのときの環境が劣悪なもので、虹花は自分が猫の眷属神から加護を与えられていることを隠しながら生きてきたのだ。余花が瓦版制作のために専属絵師を探していたときに虹花を見つけ、そこの労働環境の問題を解決し、拾ってきた。


当時のことを思い出させてしまっただろうかと、虹花の様子を窺う。楽しくない思い出はあまり思い出させたくない。虹花はまだ、昔、心につけられた傷を癒せていないのだから。


「問題ないわ、きっと。あっても大丈夫よ。私がいるもの。ね?」


権力を振りかざすのは良くないと教えられてきたが、権力を持っているからこその振る舞いもあると余花は感じるときがある。たとえば今、虹花がほっと安堵の表情を見せてくれたときとか。


大切な人を、民を守るために、余花は姫であるのだと思う。


「もう少し手を加えて、清書してみます」

「お願いね」


余花も本に戻る。芸人は、役所に届ける必要があること。公序良俗を乱さないこと。届出と異なる芸は禁ずる……。


芸を披露する時間、時間毎の芸の種類、年齢制限と、書いてあることはざっと読んだ。夜の芸についての記述は少し理解できない箇所もあったが、破廉恥な内容なのだろうと推測できる。今回は関係ない事柄だから羽衣に質問するのはよそうと決め、本を閉じた。


同時に、羽衣が戻ってくる。


「姫さま、ただいま戻りました」

「おかえりなさい、羽衣。悪いんだけど、あの子について役所に届けられているか確認を……」

「店の届出についてはこちらに。必要だと思ったので写してまいりました」

「早いわね……」


手際の良さに舌を巻く。羽衣は余花に二枚の紙を渡し、少し離れたところに座る。そして、畳に指をつけ、深く頭を下げ、告げた。


「申し訳ありません、姫さま。私が間違っていました。あの店は……黒です」

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