『鳴』の章(一)

 ねねにとって、その一週間は天国のようなものである。

 みなが昨日を語らい、今日を語らい、過去も未来も思いのままの生活。これが欲しかった。

 彼女自身も真琴と今日を語らい、テレビのことやこっそり持ってきた雑誌にコミック、部活動のことも楽しく話していた。あまり話すことのなかった広大も含めて「学校」らしい生活を満喫している。のに、

「ああああああああ!」

 朝のことだった。もう朝練も終わり、ただホームルームを待つばかりの時。

 耳をつんざくような悲鳴が、ねねの教室に、いや、ねねの教室にまで響いた。

 一瞬、固まった教室内の生徒が、はっと目覚めるように動き出す。

 場所はどこやと廊下に出ていくではないか。

「え、なん」

 ねねも真琴も広大も身体が固まり、最初こそ動かなかったが、周りと同じくして動くようになって、教室からは出て行かないものも、顔を見合わせて誰かが話してくれるのを待っていた。

「どうしたんだろう」

 ねねの心配に真琴が、

「わかんない、どうする? 見に行く?」

 不安そうなまま声を出すが、身体は「行く」と言わない。

「なんだよ、どうしたんだよ!」「わかんない、場所どこ!?」「あっち、あっち!」「悲鳴!? 誰!?」

 慌ただしい廊下は、生徒でぐつぐつと煮え、

「おまえたち! 教室に戻れ!」「先生、救急車を!」「あの女子誰!?」「わかんないっ」「いい加減しろ! 戻れ! 襟戸えりと先生!」

「大丈夫だ、教室に戻りなさい」

 安心させるような声が聞こえて、教室から出て行った生徒たちが引き上げていくのを、ねねと真琴と広大は、じっと見ていた。

 しぶしぶ、というか、不安というか、事実が分からないことに対して周りは怯えている。

「なんだったんだろう」

 ねねは口にしてみるが、それに答えてくれる人はいない。誰もが好奇心に怯えに戸惑いを含んで教室内にいるからだ。

 こそこそと喋るクラスメイトに、ねねは不安を覚える。これは『裏田さん』の時のようではないか。

 誰もが不安で、誰もが好奇心に勝てず、誰もが同じ話題で場を繋ぐ。答えがない堂々巡り。

「大丈夫だよ、ねねちん」

 真琴の言葉に、はっとして彼女の顔を見る。

 それは広大もそうであったらしく、固まっていたのを解くように、はあと息を吐いた。

 していると教室に先生がやって来て「またね」と真琴は戻っていく。

「さっきの声は階段から落ちた生徒がいる。その悲鳴だ。病院に行くことにはなったが詮索はしないように。自分たちも階段などある場所には気をつけなさい」

 では、授業を始めるぞ。と先生は言ったが場の熱気は収まらない。

 先生が黒板に向かえば、仲のいい生徒同士が手紙を受け渡しして文字で喋っている。

 ノートをとっていたねねは不安になってメモ用のノートを取り出し『裏田さん』で繋がった円を見た。

 これ以上のことはないのに胸がざわつく。

 今日は、この転落した生徒の話題でいっぱいだろう。誰が落ちたとか事故なのか事件なのか、そのことで一日は終わるはずだ。

 現に昼休みになって学食へ三人で向かう時も四方八方から落ちた生徒の話題ばかりで、ねねと広大は不安そうに、真琴は不機嫌そうになる。

「スキャンダルっかってーの」

 席についた真琴が乱暴に座って、肘をついて顔を乗せる。

「折角、裏田さんのことが片付いたのにさあ」

 安心していたねねと広大に対して突き付けられた『噂』に、真琴は怒っているのだ。

「事故は、しょ、しょうがないよ」

 ハンバーグを頼んでいた広大は箸を持って肉を裂く。食べやすい大きさにすると口に含み、続いてご飯を食べる。

「その事故も事件も、まだ分かんないんだよ?」

「あまちゃんも『噂』に乗せられちゃってるよ」

 気にしているということは「普通」ではないこと。でも、気にするのも仕方ない。

「刺激」は生活のスパイスだ。

 真琴は、むぅと腕を組んで弁当に手をつけない。

 ねねは弁当の紐を解いて箸に手をつける。スライド式の箸入れを取って、真琴に小さく笑いかける。

「ご飯食べよ?」

 すれば、真琴は腕組みを止めて、自身も弁当の紐を解いた。

「二人が消してくれた裏田さんから自由になったのに、今度は怪我人。この学校はどうなってんだ」

 もぐもぐとミートボールを食べる真琴は、やはり不機嫌そうだ。

「け、怪我は、しょうが、ないよ。階段、とか、気をつけ、ないと」

 たどたどしく広大が言っていると、

「学食で食べることにしたんだね」

「結城先輩」

 手に軽く包帯を巻いた悠大が三人に話しかけてきた。

「お邪魔していいかな。最近は、やれ看護しますやら手伝いますから一緒に食べましょうとか誘われてしまってね。広大と一緒に食べてくれなくて寂しかったんだ」

 そう言って真琴の隣に座ると、包帯が巻かれた左腕をかばいながら昼食を口にしはじめる。

「あの、腕、大丈夫ですか?」

 ねねが言うと悠大の目が鋭くなった。

「どうにか。それよりも肝試しをするなら相談してくれと言った、けど?」

 そこを突くか、とねねは上目遣いになる。

「すみません」

「でも、きみや亜鈴柀ありすぎ先生のおかげで、この程度の怪我だったのだから、感謝するべきなんだろうけれど。うん、夜波さんを責めるのは違うな。ごめんね」

「いえ、その、急に決めたというか、その」

 悠大に本当のことを話してもいいかと悩んだが、サクラからは何も聞いていないので言葉を濁す。

「それよりも生徒会長、さっきの騒ぎなんだったんですか」

 不機嫌でいた真琴が問い詰めると、悠大は首を振って「まだ何も言われてないんだ」と答える。

「三年生でないことは確かだけど、どういった経緯で救急車沙汰になったのか知らないんだ。多分、先生に聞いても、生徒が落ちただけ、だろうね」

 漫画やアニメのような権限がある生徒会じゃないからね、と悠大も広大と同じくハンバーグを口にした。

「また裏田さんみたいになっちゃうんでしょうか」

 動いていた手を止めて、ねねは目を伏せる。

「ただの事故だと思うから、最初はなにかと話題になるけど、すぐ廃れるよ」

 安心して、と言うように悠大は言い、優しくねねの顔を見た。

「はい」

 元気のない「はい」だったが、

「なにか分かれば広大越しに伝えるから」

「えっ」

「いいだろ。夜波さんには助けてもらった恩もあるんだ」

「助けてなんて」

 顔を上げて悠大を見るが、その顔は優しいままだ。

亜鈴柀ありすぎ先生や夜波さんのお兄さん、夜波さん自身がいなければ、裏田さんの正体を突き止められなかったし、ね」

 軽く首を傾げる姿は、少し格好良くて、ねねは「はい」と小さく言うしかない。

 そこからはおさらいだった。

 純菜を誘ったのは、襲われた実績があるからだと言う。近くで裏田さんを見ていたのだから似たものや人を見れば分かるだろうと連れ出したと言った。

 亜鈴柀ありすぎ先生ことねねのチームのことは知らなかったらしい。武器を持っていた裏田さんこと新川良次にいかわりょうじに対抗するものもなく、いてくれたことに感謝の一言だよ、と言われ、それでもねねは小さくなる。

 サクラは「自分が夜波を引き入れて肝試しに付き合っていた」と言っているので感謝とは、ちょっと違う気がする。

 でも、自分たちがいてよかったと、ねね自身は少し思っていた。

 あのままだと生徒会メンバーは全滅していたかもしれないし、危機一髪という言葉は、ここに使われるかもしれない。

「先生にも伝えたけど、本当にありがとう」

 悠大は、そう言って腕につけていた時計を見て、

「じゃあ、もうすぐ休み時間終わるから。またね」

 トレイを持って行ってしまった。

「あたしたちも教室もどろっか、ねねちん、こうちゃん」

「……こうちゃんっ!?」

「広大だから、こうちゃんじゃん、いこ、ねねちん」

 立ち上がった真琴は何を言ってんだというようにスタスタと歩いて行ってしまう。

「ああ……諦めた方がいいよ、結城くん。あまちゃん、ああいうこと決めちゃうと、ずっと続くから」

 同情の言葉をかけて、広大に向けて苦笑いを見せる。

「う、うう、ニックネームなんて、うう」

 肩を叩いて立ち上がらせ、食器を片付けさせて教室に戻る。

 その道すがら、

「あの、夜波、さん」

「ん?」

 少しの段差があったが、ねねは広大の声に振り向いた。

「今日、事故があって、なんか、終わってない、気がするんだ」

 それは、ねねに対して不安を煽る言葉だったが、広大は顔を上げてねねを見る。

「『裏田さん』は、もっと違うことじゃないかなって」

「違う?」

 広大は手で胸元のシャツを握り締めながら言う。

「放課後、朝日さん含めて『裏田さん』のおさらいをしたいんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る