第13話 ただ、友達でいたいだけ
その晩、しらとり食堂の厨房には、いつになく重い空気が漂っていた。
「なんで……どうしてあんなことしたの!?」
夕食の支度をしていた母に、沙耶はテーブル越しに詰め寄った。
父は黙って包丁を置き、眉間に深い皺を刻んで沙耶を見た。
「沙耶、あの子がどういう家の子か、お前はわかってないんだよ」
「わかってる! でも美月は、ちゃんと普通に生きようとしてる!」
「それは本人の努力の話であってな。周りがどう見るかは別だ」
「……そうやって、何も知らないくせに決めつけて!」
母が息を荒げる。
「決めつけなんかじゃないの。あの子がいるだけで、うちに何かあったらどうするの!? 商売なんて、信用で成り立ってるのよ!」
「……じゃあ、私はどうなるの?」
「え?」
「私は、“その子”と友達なんだよ。じゃあ、私も“関わっちゃいけない人間”になるの? もう友達やめろって言うの?」
父も母も、返す言葉を失ったように口をつぐんだ。
沈黙。
その静けさが、余計に沙耶の胸を刺した。
「私は……あの子のこと、大事に思ってる。それだけで、ダメなの?」
震える声で言い放つと、椅子がガタンと音を立てた。
沙耶は鞄をつかみ、何も言わずに玄関を開けて飛び出した。
「沙耶ッ!」
母の声が背後から聞こえたが、もう立ち止まれなかった。
夜の商店街は、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
吹き抜ける風が肌寒くて、制服のスカートがわずかに揺れる。
(行くところ、なんてないよ……)
それでも、脳裏に浮かんだのは、まっすぐに自分を見つめてくれたあの目。
偏見や噂に傷ついても、真正面から受け止めていた、美月のまなざし。
(美月のところに……行ってもいいかな)
沙耶は足を止め、神崎組の屋敷の前に立っていた。
重厚な門構えと、張り詰めたような静けさ。
思わず身がすくむような圧迫感がある。
でも、その中にいる美月だけは、別だった。
緊張しながらインターホンを押すと、しばらくして渋い男の声が応じた。
「……はい。神崎です」
「ご、ごめんなさい。沙耶です。……美月さんに、会いたくて……」
開いた門の向こうに現れたのは、若い男だった。
早瀬陽斗。美月の舎弟という青年だ。
「沙耶さんですね。お嬢にお伝えします。……どうぞ、中へ」
案内された玄関の奥には、思った以上に普通の“家”の空気が流れていた。
奥の廊下から、パタパタとスリッパの足音が近づいてくる。
「沙耶……?」
美月が、驚いた顔で現れた。
目が合った瞬間、沙耶の表情が崩れる。
「美月……ごめん……私、家出してきちゃった……」
「……うん、大丈夫。来てくれて、うれしい」
その夜、神崎組の2階にある美月の部屋には、布団が二組並んだ。
明かりを落とした室内で、二人は隣り合って布団に入り、天井を見上げたまま話していた。
「ごめん、勝手に来ちゃって……」
「謝ることなんてないよ。……私、すごくうれしかった」
「うちの親さ、ほんとは優しいんだよ。でも、“ヤクザ”って言葉がつくだけで、全部怖くなるみたい」
「うん。私も、最初は自分が“組の孫”って知られるのが嫌だった。怖がられるし、遠ざけられるし……。でも、もう逃げないって決めたんだ」
「美月……すごいな」
「沙耶も、家飛び出すなんて、すごいよ」
「うるさいな……。でもさ、私、やっぱり友達でいたいんだよ。あんたと。組とか血とか、どうでもいい。ただ、一緒に笑いたいだけなんだ」
静かな沈黙が、部屋を包んだ。
その後、二人の間に小さな笑い声が生まれた。
「明日、学校で噂になったりするかな?」
「うん、するだろうね。……でも、二人なら、大丈夫だよ」
そう言って、美月はそっと手を伸ばし、沙耶の手を握った。
──それは、“家族”とは別の、けれど確かな絆の始まりだった。
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