第27話 気づき

「よく似合っている」


「……ありがとうございます」


 屈託なく褒めるヴァルトの言葉に、思わずリヴィアは照れてしまった。


「その服もイザベラか? いつもの服も悪くないが、こうした明るい色合いは気分まで明るくなるな。よく似合っているよ」


「もう、褒めすぎです!」


 とはいえ、誰かに褒められて嬉しくない女性などいない。

 かつて宮廷で向けられたような上辺だけのおべっかとは違い、ヴァルトの言葉は真っ直ぐで――むしろ恥ずかしくなるほどだった。


 そんな彼が、自然な流れでリヴィアに声をかける。


「夕食は食べたか? まだなら一緒にどうだ」


 そう言われて、リヴィアはふと自分の空腹に気づいた。昼からあちこち歩き回っていたせいで、すっかりお腹が空いている。


 ほどなくしてヴァルトが買ってきたのは、ナッツやドライフルーツの詰め合わせ、そして一口大に切られた肉や野菜のグリルだった。


「これなら手も汚れない。――ほら、これに刺して食べろ」


 小さな串を手渡され、リヴィアはそれを受け取る。ヴァルトは先に串に肉を刺し、無造作に口へ運んだ。

 その手際の良さに、リヴィアは思わず見とれてしまう。


「どうした? 食べないのか?」


「いえ……その、前から疑問だったのですが――領主様は、毒見をされないんですか? 私の料理も、普通に召し上がってましたよね」


 この領地を治める侯爵であるヴァルト。

 その立場を狙う者は少なくないはずだ。どんなに屈強でも、毒を盛られればひとたまりもない。


「さすがに公式の場では毒見くらいはする。だが、ここは俺の領地だ。領民を信じられないような領主では務まらん」


 そして、少し笑って続ける。


「君は、わかりやすかったからな。憎しみを隠そうともしなかったし、媚びるそぶりも一切なかった。――そんな人間が、こそこそ毒を盛るとは思えなかった」


 まるで全部見透かされていたようで、リヴィアは恥ずかしさと反省が胸に広がる。


「毒なんて入ってないさ。……冷めないうちに食べろ。美味いぞ」


 促されるままに、串に刺した焼き野菜を口に運ぶ。

 炙られた甘さが口いっぱいに広がり、リヴィアは思わず目を細めた。


 馬鹿なことを言ってしまったな――そう思いつつも、彼女の頬には自然と笑みが浮かんでいた。


 *


「この後、リヴィアは何か予定があるのか? よかったら、一緒に広場へ行かないか?」


 食事を終えた頃、夜風が頬を撫で始めたのを感じながら、ヴァルトがそう声をかけてきた。


「……もしかして、教会のミサに参加する予定だったか? 祭りの日以外にもミサはある。だが、広場の踊りは今日しか見られないぞ」


 優しい口調でそう諭され、リヴィアは少しだけ迷った。


「でも、巡回は……大丈夫なんですか?」


「ああ、今の時間はベルトランが回ってくれている。何かあればすぐに知らせが来る」


 そう言われてしまえば、断る理由などなかった。


 広場へ向かうと、そこには明かりに照らされた笑顔と、手を取り合って踊る若者たちの活気があふれていた。

 子どもたちの姿はすでになく、大人たちの時間が始まっているようだった。


「……楽しそうですね」


 思わず漏れた言葉に、ヴァルトが立ち上がり、そっと手を差し伸べてきた。


「リヴィア。一緒に踊ろう」


「でも……踊りはあまり得意じゃなくて……」


 恥じらうリヴィアに、ヴァルトはわずかに口角を上げて笑った。


「上手い下手は関係ないさ。腹ごなしだよ」


 そんな無邪気な笑顔を向けられて、思わずその手を取ってしまう。


 ふたりは広場の中心へと進み、周囲の輪に加わった。

 リズムに合わせて手を取り、足を踏み鳴らし、くるりと回る。

 格式ばった舞踏会とはまるで違う。

 この場所にいる人々は、皆、心から楽しんでいた。


 笑った。こんなに大きな声で笑ったのはいつ以来だろう。

 口を押さえるのも忘れて、ただただ笑って踊る。

 きっと乳母が見ていたら卒倒するに違いない。


 それでもいい。今はただ、この時間が愛おしい。


 どれくらい踊っただろう。パートナーを次々に変えながら、気づけば夢中になっていた。

 面白い人はたくさんいた。リヴィアを笑わせようと冗談を言ってくれる人、奇妙な動きでわざと笑わせようとする人。

 そのたびに笑いが込み上げてきて、踊ることすら忘れて笑ってしまった。


 あんなに「自分には関係ない」と、来るつもりさえなかったのに。

 一番楽しんでいたのは、きっとリヴィア自身だった。


 ――来年も、再来年も。

 そんな願いを心の中で、こっそりと呟いた。


 けれど、調子に乗りすぎていたのかもしれない。

 疲れた足で階段に向かったその瞬間、つんのめるように足を取られて、リヴィアは転んでしまった。


「リヴィア、大丈夫か?」


 すぐに駆け寄ってきたのはヴァルトだった。

 手を取って助け起こされるが、左足に体重をかけた瞬間、鋭い痛みが走った。


「挫いたな」


 リヴィアの顔色を見て、ヴァルトは背を向け、しゃがみ込んだ。


「乗れるか?」


「……いえ。そんな、領主様におぶさるなんて……」


 顔から火が出るほど恥ずかしい。いい歳をした自分がおんぶだなんて、そんな――。


「酷くなる前にイザベラに診てもらわなくては」


「で、でも……」


 逡巡するリヴィアに返事はなく、ただ背中がじっとそこにあった。


 意を決して、リヴィアはヴァルトの背に身を預けた。

 彼の体温が、静かに背中越しに伝わってくる。


「しっかり捕まっていろ」


 首に腕を回すと、ヴァルトは軽々とリヴィアを抱え上げ、そのまま迷いなく歩き出す。

 街の灯が遠のいていく。足音と心臓の音だけが、静かに夜を満たしていた。


 その背中の温もりに包まれながら、リヴィアはそっと目を閉じた。


 


 ――あぁ、いつの間にか私は。

  私は彼のことが、好きなんだ。


 ヴァルトのことは、ずっと領主として尊敬していた。

 それは嘘じゃない。真面目すぎるほど真面目で、誰にでも公平に手を差し伸べるその正義感に、何度も心を打たれてきた。


 ときどき子どもみたいな顔を見せて、威張ったところもなくて――。

 そんな彼のすべてが、今は愛おしくてたまらない。


 いつからだったのか。

 きっと、あの賊から命懸けで庇ってくれたあのときから。

 その背中が、どれだけ大きく見えたことか。


 ――でも。


 自分は、流刑となった元王女。

 彼は監視役であり、領主であり、自分にとって遠い存在。


 それだけじゃない。

 あの人は、あの口で、かつて自分を『醜い』と切り捨てた。


 そんな相手への想いなど、どれほど愚かで、報われないことか――。


 今の穏やかで優しい関係を壊すわけにはいかない。

 この気持ちは、胸の奥深くにしまい込んでしまおう。


 揺れる背中に身を委ねながら、リヴィアは静かに、そう決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る