第28話 カガミの中の君

 夜の公園には、冷たく、乾いた風が吹いていた。

 いつの間にか、季節はもう冬になっていて、陽南からの告白を受けたあの暑い夏とは打って変わり、吹きつける風はまるで身体を刺すようだった。

 誰もいない公園の遊具の隅では、小さなブランコだけが揺れている。その片方には、陽南が座っていた。

 街灯の下で、彼女の白い肌が薄く照らされている。その輪郭は、告白をされたときに感じた印象的な美しさと、何一つ変わらない。

「やっと来た!呼び出しといて遅くない?寒いんだけど」

 陽南は、少し怒ったようにそう言って、またいつものように微笑む。

「ごめん、遅くなった」

 俺はそう答えて、ブランコの近くにあるベンチへと移動する。

 陽南はブランコから飛び上がって着地すると、軽快なステップを踏みながらベンチの方に移動し、俺の隣に腰を下ろした。

「陽南、今度こそちゃんと話そう。全部、正直に聞かせてくれ」

「えー、なにそれ。なんか改まってて怖いんだけど。でも、いいよ。翔太郎がそうしてほしいなら」

 その笑顔には、特段の迷いも、緊張もなかった。ただ、まっすぐで、いつもと何も変わらない。

 陽南が、俺を受け入れてくれたあのとき、彼女は確かに“太陽”だった。

 俺の閉じかけた心に、光が差し込んできた。でも今ではその光が強すぎて、教室の影も、自分の足元さえも見えなくなっている。

 これは、俺自身の責任でもある。だから共犯者として、この状況に、ひとつの区切りをつけなければならない。


「陽南、お前はクラスのみんなからの自分への信仰を利用して、クラスを支配してる。自分でもわかってるんだろ? お前の言葉ひとつで、みんなが動く。お前は悪意を持って、それを楽しんでるんじゃないのか?......そのきっかけは、俺のためだったかもしれない。だとしたら、もうやめてほしいんだ。もうこれ以上、あんな教室にしないでもらいたいんだ」

 陽南は首を傾げ、少し笑うように、あっさりとした声で答えた。

「あー、なるほど、そういう話か。違うよ。悪意なんてないよ?私はただ、周りに合わせてただけ。みんながそれを望んでたから、応えただけ。だからもう、私がどうこう出来る問題じゃないかな」

 その言葉の軽さに、こちらは言葉を失った。それはまるで、何の重みもない空洞のような響きだった。

「それにさ、私は別に信仰なんて求めてないよ?みんなが勝手にそうなっただけだし。私からそうして欲しいなんて、言ったことあった?」

 確かに陽南の口から、自分を崇めて欲しいなんて言葉を聞いたことはない。

 でも、それを自覚して、それを利用していたのは、やはり陽南自身の意志だったんじゃないのか。

「だとしたら、それに応えた結果、どうなるかぐらいはわかってたんだろ?」

「えー、そんなことまで深く考えたことはないかな。だって、わかるだけなんだもん。実は私、エスパーなんだよ?」

「……は?」

 思わず変な声が出た。エスパーってなんだ。 何を言ってるんだ、こいつは。

「私ね、人が自分に何を望んでいるか、わかるの。私にとっては、それが普通なの。だから、善意とか悪意とか、そういうのってあんまり関係ないんだよね。ただ、相手がほしい私になるだけ」

 その言葉に、ゾッとする。

「人の心が読めるとでも言いたいのか?そんなこと、出来るわけない」

「うーん、心が読めるとか、そういうことでもないんだよね。ただ、相手の望んでることが“わかる”の。それ以外に説明しようがないんだけど」

 陽南が言っていることが、仮に本当だとしたら、それはつまり、こいつは何も考えず、ただ本能的に相手の望む形になり続けているだけの存在だということだ。

 まるで“鏡”のように、ただ反射するだけで、自分を持たず、相手の理想を投影するものとして。

「じゃあ、俺への好意はなんだったんだ?全部、都合が良かっただけで、ただの演技だったってことかよ」

 陽南は少し驚いたように目を見開いた。

「ううん、翔太郎はね、特別なの。出会ったときから、翔太郎が私に何を望んでいるのか、全然わからなかった。こんなこと、初めてだったんだよ?だから興味が湧いたの」

「どういうことだよ?」

「なんだろうね。翔太郎は、どこか“私と同じ”って気がしてた。だから、私は翔太郎の望むものが、わからないんじゃないかって。だったら、私は何をあげればいいのかなって、いつも考えてた。でもさ、これも“好き”ってことなんじゃないの?」

 俺が、陽南の何と同じだっていうんだ。俺ですら、相手を好きになることの意味くらいはわかる。

「……それは好意じゃないよ。ただの好奇心だ。それに、誰かの求めに合わせるだけじゃ、自分の意思がない。俺はお前みたいに、そこまで割り切れる人間にはなれないよ。人の気持ちまで、計算なんかしたくない」

 陽南は、俺のその返答にため息をついた。

「だから計算とかじゃなくて、ほんとにわかるんだよ……あ、そうだ!治樹くんが死んじゃったときだ!あのときは、翔太郎がほしがる言葉が少しだけ見えてたの。だって正直、私が翔太郎に言ったこと、嬉しかったでしょ?」

 陽南が無垢な感じで嬉しそうに話すその言葉に、頭の奥がカッと熱くなり、怒りが湧いてくる。こいつは治樹の死を、こんなにも無感情で、こんなにも軽く思っていたのかと。

「じゃあ、優花のことはどうなんだ?お前はあれほど感情的に、優花のことを憎んでいたじゃないか」

 陽南は腕を組み、考えるような素振りをする。

「優花のことは、私もよくわからないんだよね。優花は、いつも私をイライラさせるの。こんなことも、初めてかもしれないね」

 優花のことを語るときでさえも、こいつは笑顔で、その言葉はどこまでも軽かった。

「というわけで、翔太郎には隠し事したくなかったから、ここまで本当の私を話したんだよ?私としては、まだまだ好きでいてもらいたいんだけど、ダメかな?」

 頭の中が異様に熱い。これ以上はもう耐えられそうにない。

「なんで、そんなこと言えるんだ?お前はいったい、何がしたいんだよ」

「何がって……私は人から嫌われたくないの。だから、周りが望む私になる。それだけだよ」


 もうだめだった。俺の中で、何かが切れた。


 陽南が、ほんの少しだけ微笑んだその目が、あのときの“女王様”と重なった。中学時代、笑顔を浮かべながら俺を傷つけたあいつと。

 治樹の死も、優花の苦しみも、クラスの空気も、全部、こいつのこの中身のない笑顔に、包み込まれていたんだ。


「俺は、お前みたいなやつが、一番嫌いなんだよ!」


 俺は怒鳴るように、声を大にしてそう言った。

 たぶんこの言葉すらも、陽南にとっては、ただ拒絶されたという情報でしかないだろう。


 でも俺は、もう嘘をつかない。

 俺は本当に、こいつのことが、嫌いだ。

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