第17話 神様のとなり

 翌日の教室内も、まるでお祭り騒ぎのようだった。

 俺は机に荷物を置くなり、いきなり後ろから肩を叩かれた。

「ういっす、世良!内野との話、今日こそ聞かせてくれよ」

 男子も女子も関係なく、俺の周りにはどんどんクラスのやつらが集まってくる。

「ヒナちゃんと、どこまでいった?」「ヒナ様から告白されたとき、どうだった?」「マジで人生勝ち組じゃん」

 昨日と同じく、俺には心なく聞こえるような言葉が、次々と飛んでくる。

「いや、別に」

 俺は、曖昧に笑うしかなかった。

 喉の下まで、「今は、そんな話をすべきじゃない!」って言葉が出かかる。でも、それを飲み込む理由があった。

 この空気だ。教室全体が、俺たちを祝福の対象として扱うことに必死だった。まるで昨日のあの悲劇を忘れるかのように。

 ふと、誰かが言った。

「それにしてもお前、内野と付き合えたくせに、全然嬉しそうじゃないな。カッコつけてんのか?」

 冗談混じりのその一言に、何かがプツンと切れそうになった。

 ふざけるな。 俺がどんな気持ちでいると思う。それにお前らは、治樹のことを、もう忘れたのか。

 喉の奥が、どんどんと熱くなってきた。

 机を両手で思い切り叩きそうになった、そのときだった。


「ねえ、みんな!」

 教壇の前に立っていた内野が、涙をにじませながら口を開いた。

「今はもっと、大事なことがあるよ!治樹くんのこと、忘れないで!」

 声が震えていた。でも、そこには強い感情があった。

 クラスが、一瞬で静まり返る。

「翔太郎は、治樹くんの一番の親友だったんだよ?いま、一番辛いのは、翔太郎なんだよ?みんな、なんでそれをわかってあげられないの?」

 俺の心臓が、一瞬止まった気がした。

「これは、神様が、私たちのクラスに与えた試練なんだと思う。このことは、誰かのせいじゃない。でも、同じことを絶対に繰り返しちゃいけない」

 内野の声が、教室全体を包み込んでいく。

 まるで、誰かの苦しみを知っているかのように出てくる言葉。それは誰にも否定できない正しさがあった。

「だから、みんなでお互いの気持ちを理解し合って、支え合おうよ。今こそ、クラスが一つになるときなんじゃないのかな?」

 静寂の中で、ぽつりと声が漏れる。

「ごめん……ヒナちゃん、私、間違ってた」「俺も、マジで反省した」「すげえ、やっぱ……女神様だ」

 その瞬間、俺はふっと肩の力が抜けるような感覚に襲われた。

 俺が内野を選んだのは、間違いじゃなかったんだと、そのときに初めて思えた。



 俺は、気持ちが冷めないままに、内野を屋上に呼び出した。

 少し強い風が吹いていて、彼女の髪が揺れている。

「なにか、あった?」

 内野の問いに、俺は答えることもできず、しばらく黙っていた。だけど、もう限界だった。

「……俺が……俺が!治樹を殺したようなもんなんだ!」

 自分が思っている以上に、声が震えていた。

「治樹が、内野のこと、好きだったの、知ってたのに。……それでも、お前の告白を断れなかった。俺、ほんとに最低だよ」

 内野は目を伏せたまま、静かに言った。

「それは……私にも責任があるよ。私も、治樹くんの気持ちに応えられなかった。……私も、翔太郎の共犯者だよ」

 それは、誰にも言えなかった罪を、分かち合ってくれるような言葉だった。

 俺は、嗚咽まじりに言葉を吐き出す。

「どうして……俺は」

 そのときだった。内野が、そっと俺を抱きしめた。

「つらい……つらいよね。だからこそ、私はあなたを救ってあげたい。翔太郎の傷を、私が癒してあげたい」

 彼女の体温が、少しずつ、俺の中の空白を満たしていく。無意識に、目から涙が溢れ、自分の頬をつたっていた。

「翔太郎のために、私、頑張るから。あなたを傷つけるようなクラスには、絶対しないから。……だから、翔太郎も、もっと私に心を開いて?もう一度、陽南って呼んで」

 俺は、肩を震わせながら頷いた。

「……ありがとう、陽南」



 翌朝のホームルーム前、陽南が、静かに教壇の前に立った。

「みんな、ちょっと、いいですか?」

 教室がざわつき、自然と静まる。

「昨日は、感情的になっちゃって、ごめん。でも、私は、人の痛みがわかるクラスが好き。……だからみんな、もっといいクラスになれるように、私に協力してくれないかな?」

 言い終えると、教室に少しずつ拍手が起こる。

 ちょうど教室に入って来た田辺は、満足げに「さすが内野。素晴らしい心がけだ」と頷いている。

「ヒナって、本当に大人だね」「こういう子がクラスに一人いるだけで、雰囲気が変わるよね」

 陽南の周りにいる女子たちが、次々につぶやいている。

 俺は、陽南の横顔を見つめていた。今度は、目が離せなかった。

 ——もう、これが正しいってことで、いいんだ。

 俺は、陽南に飲まれても、いい。そう思うことが出来た。



 昼下がりの教室で、俺は窓の外を見ながら思う。

 今の俺を救ってくれるのは、陽南だ。間違いなく。

 でもそれが、俺だけのためなのか、みんなの陽南であるためなのかは、わからない。

 それでもいいと思えた。陽南が、崩れかけた空気を繋ぎとめてくれているなら。

 誰かを失う痛みを、これ以上誰も味わわなくて済むなら——

「このまま、陽南に任せていれば……きっと、大丈夫だ」

 俺は、そう願うように、目を閉じた。

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