第3章 夏が始まる
第11話 平静と意外
「……もうさ、いい加減やめね?」
俺がそう呟くと、治樹は人差し指を立てたまま、「しっ!」と制した。真剣な表情で、窓の向こうに意識を集中させている。
俺は相変わらず、治樹主催の放課後のぞき倶楽部に付き合わされている。
「ほら見ろ、今日の陽南、首にタオル巻いてんじゃん?絶対、気合入ってるって」
「知らん。もう、俺は抜けていいか?そろそろバレる気もするし、これ以上巻き込まれるのは勘弁だよ」
嫌な予感がした。そして、大概そういう予感は当たる。
「あのさ、君たち、何を覗いているのかな?」
背後から落ち着いた女性の声がした。
驚きのあまり、身体に一瞬、電気が走ったような感覚になる。
恐る恐る振り返ると、後ろには優花がいた。腕を軽く組んで、じっとこちらを見ている。
「このところ、よくここからウチの部活、見てたよね?......翔太郎、ちょっと話があるんだけど」
「待てよ!なんで俺!?ほら、治樹!こいつが」
俺が言い訳するより早く、治樹は「翔太郎くんが主犯です!」と吐き捨て、すごい勢いで逃げ出していった。
「……は? ありえね!おい、逃げんな!」
茫然とする俺を前に、優花はゆっくりと近づいてきて、ふっと笑う。
「あのー、これひょっとして、ダンス部の皆さん……既にご存知ですか?」
「とりあえず、今のところ気づいてるのは私だけだと思うよ。でも私がこれ喋ったら、みんな引くだろうなあ。だから、代わりにと言ってはなんだけど、ちょっと私の“お願い”を聞いてもらっても、いいかな?」
こう言われてしまうと、断れない。それに、優花の言い方が妙に優しくて、余計に恐怖を感じた。
その週の日曜日の朝、俺は、駅の改札前の柱に寄りかかっていた。
港からほど近いこの駅の周辺には、ショッピングモールをはじめとする娯楽施設が点々と配置されていて、週末になると、カップルや家族連れでごった返す。このあたりじゃ一番賑やかな街で、俺の家からも電車で一本。買い物や遊びに行くなら、だいたいここが定番だ。
待ち合わせの時間より少し早く着いてしまい、暇つぶしのためにスマホをいじっていると、少し遅れて優花がやってきた。
白のブラウスに淡いブルーのスカート。その軽やかな服が、初夏の風にふわりと揺れている。
「待った?」
「あ、えーと、ついさっき来たとこ」
「相変わらず、嘘が下手だね。遅れてごめんね」
「いや、大丈夫。てか、その服、いつもと雰囲気違うな。似合ってるじゃん」
優花はどこか照れたように、小さく笑った。その笑顔を見て、俺も少しだけ肩の力が抜ける。
「じゃあ行こっか。水族館ね」
優花が、放課後のぞき倶楽部の活動を黙っている代わりに提示した交換条件は、今日一日、優花の息抜きに付き合うこと。しかも、費用は全てこちら持ちで。
社会的信用が地に落ちることを考えると、安い出費かもしれないが、高校生の小遣い内での貯蓄額を考えると、痛すぎる出費だ。
水族館は、駅からは少し歩いたところにある。
中に入ると、薄暗くて、かなり涼しかった。歩いていたときにじわじわと出ていた汗が、一気に引くほどだ。
青く光る水槽の中を、クラゲや、派手な色をした魚たちが、優雅に漂っている。
「こういうの見ると落ち着くよね。時間が、ゆっくりになる感じ」
優花は水槽の方をじっと見つめ、なかなか動こうとしない。
「……そういうところは、変わってないよな」
「ん?なにが?」
「いや昔から、遊んでるとき、お前はなんかをじーっと見ては、よく固まってたじゃん」
「言い方に語弊があるよ、それ。人を変な動物みたいに言わないでよ」
優花は少しだけ目を細めて、また水槽に目を戻した。その横顔が、どこか昔より少しだけ大人びて見えた。
館内を見てまわる間、俺たちはたくさんの話をした。最近の学校生活のこと、勉強のこと、部活のこと。言葉を交わすたびに、ちょっとずつ、あのとき途切れた距離が縮まっていく気がした。
水族館を出ると、時間は既に昼どきになっていたので、そのまま近くのカフェに入った。
冷たい飲み物を飲みながら、優花がぽつりと話し出す。
「実は最近ね、翔太郎が、ちょっと遠くに感じてたんだ」
「……そっか。でもそれは、俺もなんとなく思ってたよ」
優花は、「意外だ」とでもいいたげな表情で、少し驚いているようだった。
「でも今日、会って話してみて、少し安心した。やっぱり、ちゃんと話してみないとわかんないことって、あるよね」
「俺も、話せてよかったよ。優花のダンスとか見ててさ、なんか、すげえ頑張ってんだなって思ったし。そういう話も、全然出来てなかった」
「ふふ。素直なの、珍しいじゃん。らしくないね」
「うるせ」
そう言いながら、二人で笑い合った空気が、とても心地よかった。
このまま、この二人なら、今のクラスの空気も乗り越えられるんじゃないか。
──そう思いかけたときだった。
「あれ、優花じゃない?世良くんもいるじゃん!」
入り口の方から、唐突に、聞き慣れた声が聞こえた。
視線を移すと、中村がこちらに向けて手を振っていた。その隣には、内野がいる。
「千尋、やっぱりこれ、空気読めてないって。どう見ても、そういうことだよ?」
内野は少し焦りながら、小声で中村をたしなめる。ただし、内容はしっかりとこちらに聞こえている。どういうことだと言いたいのか。
「えー、最初に声かけようかって言ってたのは、ヒナじゃん」
中村も、小声のつもりで言っているのだろうが、丸聞こえだ。
そのやりとりに、優花は微笑みながらも、若干顔が引きつっているようにも見える。
「いいよ、大丈夫。よかったら、千尋も陽南も、一緒にどう?ここ四人がけだから」
優花のその一言に、内野がちらりと中村の方を見る。
「いいの?じゃあせっかくだし、一緒にランチしよ。終わったらすぐ退散するからさ」
中村が両手を合わせながら、席に座り、それに内野も続く。
とりあえず、優花がいいならとも思ったので、俺もそれ以上は何も言わなかった。
「あ、そうだ。さっきヒナとも話してたんだけど、今度の夏休みにさ、みんなでキャンプ行かない?ウチのお兄ちゃん、夏の間は海沿いのキャンプ場でバイトしてるんだけど、そこのオーナーに言えば、かなり安く使わせてくれるらしいんだよね」
運ばれてきた料理をつつきながら、中村が唐突に言い出した。
「え、キャンプ?」
優花がグラスと首を同時に傾けながら驚いている。
「うん、初期メンでさ。ヒナと優花と私、世良くんと、石川くんと岸本くん。全員で行けたら楽しそうじゃない?」
「絶対楽しくなるよね、それ!私、連絡用の新しいメッセージグループ、作ってもいいかな?」
内野が、急に前のめりになり始めた。先程とは打って変わってテンションも高い。
「ほんとにやるの?」
俺と優花は、ほぼ同時にそう呟いていた。
その場の空気に逆らうのは難しくて、気づけば俺たちも、「楽しそうだね」なんて、言わされていた。
その夜、俺がキャンプのことを治樹に伝えると、メッセージがすぐに帰ってきた。
『絶対行く!そこで、いよいよ告白するわ!』
俺はスマホを見つめながら、思わず固まる。
『マジか、頑張れ。でも、ちゃんとタイミングは考えろよ』
それだけ返すので、精一杯だった。
そのメッセージを返した直後、今度は優花から電話がきた。
「今日はありがとね。なんか途中で変なことになっちゃったけど、私は楽しかったよ」
優花の、その変わらない優しそうな声に、一安心する。
「こちらこそ、楽しかったよ。しかし、キャンプの話は唐突だったな。さっき治樹に伝えたけど、ノリノリだったよ。実は、お前だから言うけどさ、治樹がそこで内野に告白するらしいんだよ。これ内緒な?」
少し唐突に伝えすぎたのか、優花はしばらく沈黙する。
「そういうことね。えー、なんか巻き込まれてるじゃん。正直、あんまり気が進まないんだけど」
「いや、わかるよ。変なことにならないといいけどな」
そのまま通話を続け、頃合いをみて電話を切ったあと、布団に横になって窓の外を見つめた。
高校生になって初めての夏が、どこか妙な方角へ転がり始めている。そんな、一抹の不安だけが胸に残っていた。
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