第4話 名前を呼ぶ手前

 内野がクラスの中心にいるのは、もう誰の目にも明らかだった。

 登校してきたクラスメイトたちは、皆が自然と彼女に挨拶し、会話が始まればその輪が大きくなる。

 彼女が笑えば、周囲も釣られて笑う。彼女が質問すれば、それがその場の話題になる。

 内野の空間みたいなものが、確実に形成されはじめていた。


「ほんと可愛いよね。陽南のこと嫌いになる人なんて絶対いないよ。マジ憧れる」

「それだよね。なんか、私も頑張らなきゃって思うもん」

 内野が教室から出たあと、中村が何気なく放った賞賛の言葉に、優花も笑いながら同調している。

「ていうか男から見ても、ああいう子はマジで癒されるって」

 石川がその話に割り込んでそう言うと、治樹もそれに続けて「わかるー」と被せてきた。

 俺も流れで頷きながら、適当に合わせる。

「えー、じゃあさ、放課後みんなで、陽南を囲む会やる?」

「それ、いいじゃん!超やりたい!」

 中村がふざけた調子で提案すると、何故か治樹が身を乗り出してそれに賛同した。

 いよいよ、みんなが内野の話ばかりするようになってきた。

 俺はただ、ぼんやりとその様子を見ていた。



 休み時間中の教室で、治樹が俺にちょっかいをかけてきて、ちょっとしたふざけ合いになった。

 そのとき、バランスを崩した俺の脚が、誰かの机に強くぶつかった。

「あっ、わるい!大丈夫?」

 その席にいたのは、適当に伸ばしたであろう髪のせいで顔もはっきりと見えない、小柄な男子だった。

「あ、うん。……大丈夫」

 声も細く、言葉が空気中に、ゆっくり消えていくような感じだった。

 机を直しながら顔をよく見るが、見たところで、名前は思い出せない。

 ただ、その男子が手に持っている本には見覚えがあった。

「その本、『異世界転生ファーム』だっけ? 今度アニメ化するってネットで見た。なんかマニアックなイメージだけど、面白いの?」

「……面白いと思うよ。でも、無理して話しかけなくていいよ。僕はここじゃ存在消してるし、本を読んでるだけで充分だから」

 話題を振っても、こいつはこちらをチラリとも見ずに、ただ淡々と言葉を返してくるだけだった。

「あ、そう。えーと……ごめん。名前なんだっけ?」

「……橋本はしもと。だけど、別に覚えなくても大丈夫だから」

 その言い方には、怒りも自虐もなく、無関心さだけがあった。

 こういうやつは苦手だ。そう思いはするが、こういうやつが存在することも理解できる。

 それ以上は言葉をかけず、自分の席に戻る。

 

 席に着こうとしたとき、ちょうど近くにいた優花がノートを整理していたので、俺はなんとなく声をかけた。

「そういえばさ。橋本っているじゃん。ほら、あの暗そうなやつ。さっき初めて話したんだけど、正直、さっきまで存在忘れててさ。あいつと話したことある?」

「ううん、ない。というか私も、いま言われて思い出した感じ」

「だよな。ちょっと失礼だけど、存在感なさすぎじゃね?」

「私はあの人、ちょっと苦手かも。なんか……近寄りづらいし」

「あー、まあ……そうだな」

 口ではそう言いながら、実際には少しだけ、あの空気のなさに興味を抱いていた自分がいた。

 誰とも交わらずに自分の世界に閉じこもる存在。そうなりたいとは思わないが、それで何も傷つかず、本気で孤独を愛しているのだとすれば、少し羨ましい気もする。



 放課後、教室には残ったメンバーが自然と集まっていた。

 内野を中心に、優花に治樹、あとは石川に中村、そして俺。

 提案自体は中村の冗談だと思っていたが、どうやら本気で、内野を囲む会をやる気だったらしい。

「駅前のあのパン屋、値上がりしたよなー」

「えー、知らなかった」

「今朝、俺が買ったメロンパン、1個200円に上がってたし!」

「えー、高っ!」

 どうでもいい話が軽快に飛び交い、笑い声が絶えない。

 特に内野は終始にこやかで、話題が切れそうになるたびに、自然と誰かに話を振る。

 まるで、バラエティ番組の名物MCのように、その場を自在に回しているように見えた。

「陽南って、なんでこっちの言いたいこと、そんないい感じに察してくれるの?」

「えー?だって、私はエスパーだから。もっと褒めてくれてもいいよ」

 中村がいつものように内野を褒めれば、内野は冗談を言いながら、笑って肩をすくめる。

 空気は一層、内野に好意的になっていく。


 そして、なぜか知らないが、内野はやたらと俺に話を振ってくる。

「世良くんはさ、普段どんな音楽聴くの?」

「え、あー……最近は、ヒップホップ系かな」

「へぇー、意外。もっと落ち着いたの聴いてそうなのに。世良くん、真面目かと思ったけど、実は結構ヤンキー?」

「いや、最近はそういう悪い感じの曲ばっかりでもなくて」

「あ、翔太郎はカッコつけてるけど、たぶんアイドルソングとか結構好きだよ。前にプレイリスト見たことあるし」

 俺が答えてる最中に、なぜか横から、優花が被せ気味で話に割って入ってきた。

 他のメンバーが、一瞬ポカンとする。

 というか、隠しているのに、なぜそれを知っているのか。

「え、そうなの?」

「うん、ちょっと前に覗いちゃった」

 内野の問いに、いたずらっぽい笑顔でそう返しながらも、優花の言葉にはどこか落ち着きのない雰囲気があった。

「おいやめろ。何覗いてんだよ」

 でもそれより俺は、なんで今、わざわざそれを言ったんだろうという疑問の方が気になったが、よくわからないので深く考えないことにした。

「なんだよー、お前ら仲良しかよ」

「ていうか、ガチで付き合ってたっけ?」

 石川と中村がニヤニヤしながら冷やかしてくる。

「そうだよ。前から言ってんじゃん!」

「だから、違うから!」

 治樹も当然のようにそれに乗っかってくる。

 俺は焦りながらも、笑ってごまかす。

 優花は、少しため息をつくような顔で、後ろを向いている。


「……へぇ、ウケる」

 内野はそう呟くと、目を細めながら自分のスマホをいじり始めた。

 そして一瞬だけ、氷のように冷たい目で、優花をチラリと見た気がした。

 その内野の表情にゾクッとして、息を呑む。

 これまでのいい子ムーブに対して、真逆ともいえるドライな反応。こんな反応をしたのは初めて見た。

 治樹も石川も中村も、俺や優花に気を取られていて、その内野の表情の変化には、気がついていない様子だった。

 俺は背筋に冷たいものを感じつつ、空気を壊さないように、適当に場を濁しつつ笑っていた。

 やはり前に俺が思った通り、これが彼女の本当の顔なのだろうか。


 それでも、この場にいる俺はたぶん、クラス内ではそれなりのポジションを得たんだと思う。

 でも、なんだろう、やはりどこか窮屈だ。

 橋本みたいに完全に蚊帳の外にいるのもいやだけど、俺はそもそも、いったい、どうなりたいのだろう。

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