4話 焚き火の影に揺れる誓い

――あの日、手にしていたのはパンだった。

いま、手に残っているのは、血の匂いと、焼け焦げた記憶だけだ。


胸の奥で、まだ燻っている。

助けられなかった命。自分の手で奪ってしまった命。

そして――何もできずに立ち尽くしていた自分自身。


焚き火がぱちりと音を立て、闇の中にかすかな明かりを灯している。


「……おかわり、いる?」


ミナの声に振り返る。

器を差し出す手が、ほんのわずかに震えていた。

それでも彼女は笑っていた。――炎の光に照らされた、小さな、けれど強い笑みだった。


けれど、今は少しだけ――信じたいと思った。

ミナの笑顔も、その手の震えも、強さの証なんだと。

俺たちの旅も、まだ終わっていないってことを。


ミナの強さも、カイルの過去も、俺はまだ全部わかっていない。

だけど、俺には俺のやり方で、向き合わなきゃならない。


向こうでカイルが腰を下ろす。

俺は少し身を起こし、視線を彼に向けた。


「カイル。……あの村、なんだったんだ? 俺たちは助けたつもりだった。でも、あれは……違った気がする」


焚き火のはぜる音が、夜の静寂を割る。

カイルの顔が炎に照らされて、硬く影を落とす。


「――共鳴災害だ」


胸の奥でその言葉が響いた。“また”共鳴……。


「共鳴って、つまり……感情が現実に影響する現象、だったよな?」


「その通りだ。特定の条件下で、強い記憶や感情が物質や環境に干渉し、形を成す。あの獣も、誰かの感情が変質した結果だ」


ミナが焚き火を見つめながら、ぽつりとつぶやく。


「……誰かの心、だったんだ」


「……つまり、怒りとか悲しみが“芯”になって、それに反応する物質が……」


「“コア素粒子”だ。感情のアンプみたいなものだな。反応が一定以上になると、具現化する」


「それって……自然に起こるもんなのか?」


「違う。あの規模では、ほぼ確実に意図的な誘発だ。何者かが引き金を引いた」


俺は拳を握った。

“誰かが、村を燃やした。人を、感情ごと壊した”


「……誰だよ。何のためにそんなことを」


「わかっているのは、“その意志”が明確だったことだ。感情を利用する術を持った者がいる」


言葉の意味を噛みしめる間もなく、思考の奥がざらりとした不快感に覆われる。


「それと、“共鳴レベル”って言ってたよな。どういう意味だ?」


「現象の深度と拡張性を数値化したものだ。レベルが高いほど、対象の精神や人格にまで影響が及ぶ。……最悪の場合、その人間の自我が壊される」


焚き火のゆらめきの中、ミナの瞳が一瞬だけ揺れた。


「……カイル。お前は、それを知ってて黙ってたのか?」


彼はしばらく黙っていた。炎の奥を見つめながら、静かに口を開く。


「……俺は、自由圏同盟軍――AFS軍の兵士だった。信念の力を制御して兵器化する訓練を受けていた」


言葉を止めずにいてくれ。そう思って、俺は目を逸らさなかった。


「だが、信じた理念が裏目に出た。信念が強すぎて、共鳴災害を招いた。俺自身の想いが、制御を超えて暴走したんだ」


彼の声が少しだけ掠れていた。


「その後、俺は“理想軍”に移った。感情を均すことで災厄を根絶する――そんな理念を掲げる組織だった。だが……」


ミナが言う。「感情を……捨てようとしたの?」


「……俺は命令で、“震源”になった子どもを処理した。まだ十にも満たない、小さな命だった。それが唯一の解決だと、信じ込んでいた。


でも――あの瞳は、今も焼き付いて離れない。俺を、裁いているように見えた」


沈黙。

燃える木片が、ぱちりと音を立てて弾けた。


俺は唇をかみ、炎を見つめる。


「正しかったのか、なんて……後になってもわからない。でも、黙ってるだけじゃ、何も守れない」


声が思わず漏れた。


「俺は――別の答えを探したい。誰かの心が災いを生むなら、それを“消す”んじゃなく、“抱えてでも救える方法”を探したいんだ」


カイルが俺を見た。その目に、わずかな驚きと痛みがにじんでいた。


ミナが口を開く。


「私も……力を使いたい。


誰かのために動ける力が欲しい。


もう、無力でいることを許さない――だから、迷わず使いたい」


その目に宿った光は、炎よりも強く見えた。


カイルはしばらく黙っていたが、やがて静かにうなずいた。


「……なら、君に適合する武装がある。ライザという技術者に接触するつもりだ」


焚き火の灯りが揺れる中、ミナが武装の話を切り出したとき、俺は思わず言葉を詰まらせた。


「ミナ……お前がそういう選択をするのは分かる。でも、俺は正直、反対だ」


彼女は驚いたように俺を見つめた。


「なんで?」


「お前は、俺にとってかけがえのない人だ。守りたい存在だ。だから――武装なんて、危険すぎる。お前が傷つく姿なんて、俺は見たくない」


ミナの目が揺れた。だが、その瞳はやがて決意の炎で燃え上がった。


「レイ、私は守られるだけの存在じゃない。

あの日、私に――あの焼け焦げた記憶を背負わせた世界を、私はもう黙って見ていられない。


無力だった自分を呪い続けるのは、もうやめた。

力を持たずに、誰かを守ることなんてできないと知ったから。


もし私が武装を選ばなければ、私の大切なものは守れない。

あなたも、カイルも、そして――自分自身すらも。


怖いよ。傷つくことも、失うことも。

でも、逃げていては何も変わらない。


強さって、ただ力を持つことじゃない。

恐怖と向き合い、それでも立ち上がる覚悟のことだよ。


私が武装するのは、ただの自己防衛じゃない。

それは――私の愛するすべてを守るための、刃であり盾なんだ。


あなたが私を守りたいと思うなら、まずはこの覚悟を、受け入れて」


焚き火の光が、彼女の瞳を照らす。まなざしが、炎よりも強く燃えていた。


「私はもう、誰かの庇護の下に生きる子どもじゃない。

共に戦う、戦士だよ」


俺の胸に、その言葉は鋭く突き刺さった。

言い訳や甘えを一切排した、真実の叫びだった。


俺は心を決めた。


「武装を……認める。お前が望むなら、俺も支える」


焚き火の光が、そっと俺たちを照らしていた。

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