3話 裂けた空と、黒い観測者

ズガァンッ!!


獣の突進を、なにかが引き裂いた。

赤黒い飛沫。

前脚が、空中でちぎれた。

火花が散った。

金属の軋む音が、耳を貫く。


目の前に――黒い影が立っていた。

重たい銃を片手に構え、沈黙のまま獣と向き合う。

全身を覆うスーツ、無機質なゴーグル。そのレンズが、一瞬だけこちらを見た。


「……感情反応が不安定だった。戦闘継続は危険と判断した」


声は、凍った鉄のように冷たい。

人間の声なのに、どこか――欠けている。


言葉が出なかった。

でも――助けられた。命を。

その事実が、胸を締めつけた。



くやしさと、悔しさと、戸惑いがごちゃまぜになって押し寄せる。

でも――刀は、まだ手にある。

炎も……消えていなかった。


「……立て。自分でやるんだ。君の反応データが欲しい」


「立てるさ……今度こそ、俺が決める」

(……はずなのに、心臓バクバクいってる。正直、足が震えてる

ミナにバレてねえよな……頼れるフリぐらい、ちゃんとやれ、俺)


黒い男は、何も言わず、背後をカバーする。

音もなく、そこに“いる”。


ミナが、黙って手を握ってくれた。

その温度で、また立てた。


炎が再び刀を包む。

今度は、揺るがない。


地を蹴った――

草が裂け、風が戻る。

空が、わずかに明るくなった。


刀が走る。

一閃。


ズバンッ!!


獣の肩口から、脇腹まで。

熱を帯びた空気が、一瞬で焼き切られる。


獣が呻き、揺らぎ、そして――崩れた。

音もなく、影がほどけていく。


その喉から、かすかな音が漏れた。

まるで――礼を言うように。


静寂。

風が止まった。

時間が、固まったように思えた。


だが、背筋が凍ったのは――隣に立つ、その男の存在だった。

助けられたのに、安心できない。

命を救われたはずなのに――息が詰まる。


理解できない。

でも、本能が“拒絶”していた。


「ミナ、下がれ」

刀を構え直し、低く言う。

ミナが、小さく身を寄せてくる。


「……この人……すごく冷たい。心が凍るみたい……」


「彼女は、感応体質か」


ようやく男が口を開いた。

その声は、乾いた砂のようだった。


「推定共鳴レベル、β-3以上。観測対象としては充分だ」


「……なんだと?」


「――カイル。そう呼ばれている」


淡々とした応答。

まるで、自分が人間ではないと自覚しているかのように。


「目的は観測だ。君たちの“共鳴反応”に興味がある」


刀の柄を強く握る。


「……お前、さっき助けてくれたのか?」


(……助けられた。でも、それが悔しい。俺、何もできなかったじゃねぇか)


「正確には、“想い”が戦闘を維持不能なレベルに低下したため、補助を行っただけだ」


「は……?」


「信念が不安定な者に、共鳴は維持できない。さきほどの君には、それが欠けていた。判断は妥当だ」


抑揚のない声。

だが、それが逆に心に突き刺さる。


(……くそ……何も言い返せない……)


自分でも分かっていた。

迷った。斬れなかった。だから、助けられた。

情けなかった。


でも――刀はまだ、手にある。

炎は、まだ、そこにいる。


ミナが、そっと囁く。

「……あの人、敵じゃないかもしれない。でも……きっと味方でもない。ねぇ……たぶん、私たちだけじゃ生きていけないよ……」


「……わかってる、けどな……たぶん」

(でも……腹の底じゃ、まだ信じきれてねえ)


カイル――そう名乗った男は、しばらく黙ってこちらを見ていた。

「観測を継続する。君たちが、どう変化していくのか」


「勝手にすれば……」

(くそ、なんで全部見透かされてんだ……)


そして男は、再びゆっくりと歩き出した。

音もなく。影のように。


俺たちも歩き出す。

焦げた地面に、二人の足音だけが残った。


遠くで、空が軋んだ。

世界は、まだ――壊れかけのままだった。


でも、自分の中には、ひとつだけ確かなものがあった。

(……俺は、迷った。でも、立ち直ったフリぐらいは……できる)


刀の炎が、小さく揺れていた。

それは――まだ、灯っている“希望”だった。

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