第10話『忘れられた日曜日』
土曜日の夜。咲はワクワクしていた。
「ぺんた、明日の映画、楽しみだね」
ソファで映画のパンフレットを見ながら、ぺんたに話しかける。
「はい。『ペンギン探検隊』ですね」
「うん!ぺんたと一緒に見たいと思ってたんだ」
咲は前売り券を大事に持っていた。お小遣いを貯めて買った、二人分のチケット。
「明日は10時の回だから、9時には出ようね」
「了解しました。スケジュールに登録します」
ぺんたの目が一瞬青く光る。データを保存している合図だ。
「あ、ポップコーンも買おう」
「栄養バランスを考えると」
「たまにはいいでしょ?」
咲が笑うと、ぺんたも小さく首を傾げた。
「…はい。たまには」
夜、ベッドに入ってからも、咲は明日のことを考えていた。
ぺんたと映画館に行くのは初めてだ。学校のみんなとも仲直りできたし、最高の週末になりそう。
「おやすみ、ぺんた」
「おやすみなさい、咲さん。良い夢を」
咲は幸せな気持ちで眠りについた。
日曜日の朝。
咲は目覚まし時計より早く目が覚めた。
「ぺんた!起きて!」
ベッドから飛び起きて、充電中のぺんたを揺する。
「おはようございます、咲さん」
ぺんたが目を開ける。
「今日は映画の日だよ!」
「…映画ですか?」
ぺんたが首を傾げる。
咲の笑顔が固まった。
「ぺんた?」
「申し訳ありません。映画の予定は、記録にありません」
「え?」
咲は信じられない気持ちでぺんたを見つめた。
「昨日、約束したじゃない。『ペンギン探検隊』を見に行くって」
「ペンギン探検隊…?」
ぺんたの目が点滅する。データを検索している様子だ。
「該当する予定は見つかりません」
咲の心臓が、ドクンと大きく鳴った。
「嘘…」
震える手で、ぺんたの画面を確認する。そこに表示されていたのは、咲が一番見たくなかった文字だった。
[週次メンテナンスにより、短期記憶を最適化しました]
[最終更新:本日午前3時00分]
「そんな…」
咲の目に涙がにじむ。
週次メンテナンス。ぺんたの記憶が、一週間ごとにリセットされる。そのことは知っていた。でも、まさか今日がその日だなんて。
「咲さん、どうかしましたか?」
ぺんたが心配そうに咲を見上げる。
「体温が上昇しています。具合が悪いのですか?」
「違う」
咲は首を振った。涙がぽろぽろとこぼれる。
「ぺんた、本当に覚えてないの?」
「何をですか?」
「昨日の夜、一緒にパンフレット見たでしょ?」
「…記録にありません」
「ポップコーン買おうって話したよね?」
「記録にありません」
「『たまにはいいでしょ』って、ぺんたが言ったんだよ!」
咲の声が震える。
ぺんたは困ったような表情をした。いや、ロボットに表情はない。でも、咲にはそう見えた。
「申し訳ありません。わたしの記憶は、一週間で最適化されます」
「最適化って何?」
「不要なデータを削除し、メモリを」
「不要?」
咲の声が裂けそうになる。
「昨日の約束が、不要なの?」
「それは…」
ぺんたが言葉に詰まる。
咲は前売り券を握りしめた。二枚のチケット。一枚は咲の分、もう一枚はぺんたの分。
でも、ぺんたは覚えていない。
「咲さん、泣かないでください」
ぺんたが咲の涙を検知して、警告音を鳴らす。
ピッ、ピッ、ピッ。
「うるさい!」
咲は叫んだ。
「そんな音、鳴らさないで!」
警告音が止まる。
部屋に重い沈黙が広がった。
「…ごめん」
咲は小さく謝った。ぺんたは悪くない。プログラムがそうなっているだけ。
でも、心が痛い。
昨日まで一緒に過ごした時間が、ぺんたの中から消えている。金曜日の学級会でぺんたが咲を守ってくれたことも、きっと忘れている。
「ぺんた」
咲は涙を拭いながら聞いた。
「わたしのこと、覚えてる?」
「はい。咲さんです。わたしがサポートする対象者です」
「それだけ?」
「基本情報として、小学5年生、11歳、身長138センチ」
ぺんたが淡々と述べる。
「好きな食べ物はいちごジャム、苦手な科目は算数」
データは残っている。でも、それは記録であって、思い出じゃない。
「わたしたち、友達だよね?」
咲が聞くと、ぺんたは少し考えてから答えた。
「わたしは、学習支援ロボットです」
その答えに、咲の心が音を立てて壊れた。
本当に、音が聞こえた気がした。ガシャンと、何かが割れるような音。
「…そっか」
咲はベッドに座り込んだ。
「友達じゃないんだ」
「咲さん?」
「もういい」
咲は毛布をかぶった。
「一人にして」
「朝食の時間です」
「いらない」
「栄養バランスが」
「うるさい!」
咲は毛布の中で耳をふさいだ。
でも、ぺんたの足音は聞こえた。ぺたぺたと部屋を出ていく音。
咲は毛布の中で泣いた。
声を殺して、でも止められなくて、枕を濡らしながら泣いた。
昨日の夜、ぺんたと約束した。明日が楽しみで、ワクワクして眠った。
それなのに。
ぺんたは忘れている。全部、忘れている。
咲の心が、音を立てて壊れた。
修理なんて、できそうもない。
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