三   果ては


 ────もゆら


 やわくまろい音のつらなり。聞くと同時に腕を掴まれ、ふわっと身体が持ち上がる。降り立ったのは、石の上。目の前にきよい真白が広がり、若者に支えられているとさとる。障気しょうきを踏みかけていたので、かばわれたらしかった。

 そして実緒みおは気がついた。さきほど立っていたところからいま足をつけたところまで、石の道がひらけている。石舞台を埋めていたはずの障気が、ふたつに分かたれているのだ。もしやと思いうしろを見れば、道はまだ続いていた。石舞台の上から下りて、篝火かがりびと木立のあいまを通り、まっすぐ里のほうへ向かって。障気を踏まずに進める道だ。

「あ、あの……」 

「お離れください」

 若者は言い放ち、実緒の身体を突き放す。さほど強い力ではなく、軽くよろけただけだった。

「木立のあたりまで一度。お離れください」

 ひんやりと、落ち着いている。やさしさはなく、けれど厭うようでもなく。若者はただ、背中を向ける。ただすきとおった、ひかりを羽織って。

「お離れを」

 有無を言わせぬ力があった。実緒はすぐさま駆けだした。

 石舞台のきざはしを下り、袴の裾を踏みつけて、湿った土の上に転がる。起き上がり、白い小袿こうちきの袖に、こびりついた泥を見る。今度は袖に引っかかり、転びかけて脱ぎ捨てる。小袿はしゃらり背を滑り、実緒はふたたび駆けだした。袴を上げて、地面を蹴って、でも。いちど、と言わなかったか。うしろで、若者の声がする。


 かけまくもかしこき

 ぬなともゆらのおほみかみ

 よろづのさはりのやほあひに

 とがまがごとのあらじものをと

 もゆらもゆらになしたまひ

 かきうちみながらたひらけくやすらけく

 まもりたまひさきはへたまへと

 かしこみかしこみもまをす


 なにかの詞章を、唱えていた。あたりに響くというよりも、染み込み広がる気のする声だ。実緒は、知らず足を止めていた。木立はいまだ遠かった。若者のほうを振り返る。

 そこに若者の背中は見えず、通った道もなくなっていた。そのかわりに、壁があった。一面に広がっていた障気が、石舞台を囲んで集まり、木よりも高くそびえていたのだ。そして、ひかりかがやいている。ひかりに、包み込まれている。

 実緒は思わず目を細め、障気を包むひかりを見つめる。若者がまとっていたのとおなじだ。それがさらに強まっている。だから、あんまりまばゆくて、それでも目をひかれてしまう。やわらかく、鮮烈なひかり。すきとおっている気がするけれど、向こう側は見通せない。囲われているはずのあのひとは、影もかたちも隠されている。

 きれい。夜もふかい山奥なのに、朝が訪ねてきたみたい。走り寄りながら手を伸ばす。ふれかけるその刹那、四散。

 まばゆいひかりはひび割れて、こなごなに砕け散っていた。実緒の視界を埋め尽くし、けれどもふれずに取り巻いていた。砂粒ほどに細かなかけらが、ちらちらと、きらきらと、ちらちらきらきらと激しくまたたき、煌々かがやく竜巻となり、天上へ吸い込まれていく。そのただなかにいる実緒には、ひかりよりほか、なにも見えない。

 でも、このままがいい。

 ぼんやり思ったときだった。渦巻くひかりがふたつに分かたれ、眼前になにか現れた。ひとの手と、真白の広袖。実緒はとっさにあとずさり、逃げられず手首を掴まれる。痛いほど冷えた強い力で、つかまって引き寄せられる。

 抗おうとして顔がうわむく。ひかりの竜巻の果ては。見えない、と思ったつぎの瞬間、実緒は地面に転がっていた。

 仰向けに地へ倒れた実緒を、夜の空が見下ろしていた。木々の枝に丸く切り抜かれ、真っ黒に見える空だった。ひかりが、名残が降ってくる。

 焦燥に駆られるほどに、小さな、小さなかけらだった。実緒の横たわる地面に向かい、ふわり、ふわりと降りてきた。降りて、落ちて。音もなかった。すうっととけて消えてしまった。いつの間にやら降りやんでいた。

 かわりのように、だんだんと、目が闇に慣れてくる。仰向けで見上げる枝葉も空も、真っ黒ではなかったらしい。濃いも淡いも併せ持ち、おだやかな星屑を抱いている。それが、よく見えている。

 なぜ、と小さく問う声が、静寂をふるわせて。実緒は首を動かした。頭のそばに若者が立ち、じっとこちらを見下ろしていた。もうひかりを背負っていない。影になってしまっており、表情はよくわからなかった。きちんとした結い髪がさらりと、その肩を滑り落ちるのを見た。

「お離れくださいと申し上げたはずです」

 若者が言って、風が吹いた。炎の色に染められて、狩衣かりぎぬの袖がゆらめいた。実緒は黙って若者を眺めた。

 その手には太刀が握られている。なぞりたいようになめらかに、ゆるやかに反った白いやいば。濡らし伝う澄んだひかりが、切っ先から滴っている。そのひかりもやがて薄らぎ、なにもなかったみたいに消えた。

「障気が……」

 かすれた声がこぼれでる。すると若者は太刀を納め、かすかにうなずいてから言った。

「はい。鎮まりました」

 ぴちゃん、と、せつないような水音がした。

 実緒は、ゆっくりとまばたきをする。

「なれど、すべて済むまではあやういのです。あなたは障気にさわりたいのですか。それは」

 若者が言いさして、雨垂れ。頬にひとしずく落ちてきた。湿ったにおいが立ち込めてくる。寝転んだままの実緒のそばに、若者がすっとかがみこんだ。

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