三十三 炯々と
見下ろすと、すぐに視線がぶつかった。鋭利にひかる大きな目だった。
ここへなにを、しに来たというのか。十ほどに見える
「おい、おまえ」
ふたたび呼ばれ、
「どうした。なんの用だ」
すると童は眉根を寄せた。肩をすくめ、あきれた調子で言う。
「なんの用って、なんだよそれ」
やはり、背格好にしては、低くしわがれた声をしている。喉が潰れているらしい。なんともない喉が痛む気がして、瓊音は唾を飲み込んだ。
「なんの用で、来たのでも、あぶない。すこし離れていてほしい」
「なんだおまえ。なにかっこつけてんだ」
「かっこつけているつもりではない。そこの井戸に、
瓊音は井戸を指差した。童は、さらにひどく顔をしかめた。
「わかってるよ。おまえ鎮めに来たんだろ」
童は背を反らし、天を仰ぐ。削げた頬に雨粒が躍る。くるり、身体の向きを変え、ぺたぺたと井筒に駆け寄っていく。
瓊音はすぐにそれを追った。童に続いて屋根の下へ入る。濡らされていない石の床に、小さな足跡が染みるのを見る。そのとき、童が声を上げた。
「障気さん、こんにちは」
のんきそうな声で叫び、井筒に手をかけ中をのぞく。ぎょっとして、瓊音は駆け寄った。
「なんだ、これ、つまんない。なんも見えないつまんない」
童はずいと身を乗り出し、障気に向かって文句を垂れる。瓊音はいったん落ち着こうと、大きく息を吸って吐いた。太刀を振り、袖で水を拭って納める。
「つまんないな、つまんないなぁ、障気が溜まってるのって、もっとおもしろいと思ったのにさ。こんな、まっくらなだけじゃんか」
ふかくのぞきこみすぎて、足が床から浮いている。瓊音は童に歩み寄り、うしろからそっと抱き上げた。落としそうに軽かった。
「なにをしている」
「なにをしている?」
ゆっくり床に立たせると、童は口をとがらせた。
「わかるだろ、障気見てたんだよ」
「見なくてよい。これから鎮める。近くにいてはあぶないから、おまえはもうもどりなさい」
「どこに?」
即座に、首をかしげて問われる。瓊音は一瞬、言葉に詰まった。
「それは、家……など」
「ふうん?」
つまらなさそうな童の前に、瓊音はしゃがみこんでたずねた。
「名は、なんという。家はないのか」
「ない」
童は潰れた声でこたえ、胡散臭そうに顔をしかめた。頼りない肩をひょいとすくめる。
「家とかないし、なまえもない。住んでるところはあるけどさ」
そして、頬をひくりとさせた。
「おまえは、なまえもあるんだろ。なんかお育ちよさそうだしな」
「わたしは瓊音と呼ばれている」
「しょうもな」
間髪入れずに酷評し、童はかぼそい腕を組む。「瓊音」は、
「では、その住んでいるところは──」
「言わない」
童は瓊音をさえぎった。
「言わないし、もどらないよ。だからここに来てるんだ。おまえ、鎮めなくていい。おれが鎮めちゃうからさ」
平らな口調に、息が詰まった。
やはり。贄になりに来たのだ。きっと命じられたのでもなく。
なぜ、と瓊音は問うていた。うっすら──ほとんどわかっているのに。すると童は鼻白んだようすで、瓊音からすいと顔をそらした。ふと
衣から突き出た手足には、いくつもの傷が走っている。痕になっているものも、瘡蓋になっているものも、血が固まっているだけのものも。そして痣も浮いている。身体に絡む鎖だと、思う。
「折檻も、されているのか」
「見てわかるだろ。みんなされてる、かわりはいくらでもいるからな。やっと逃げてこられたんだ。ああつまんない。もう行こう」
潰された声でそう言って、童は瓊音に背を向けた。浮き上がりそうな足どりで、井筒に走り寄っていく。瓊音はとっさに手を伸ばした。
「待て」
細すぎる腕を掴んでいた。力を入れれば折りそうで、ゆるめればすり抜けそうだった。胸の底からぐらぐらしていた。どうして、こんなことになるのだ。
「待てじゃないよ。待たないよ」
童は片頬を引きつらせる。笑っている、つもりなのだと、瓊音はようやく気がついた。どうしていつも、こうも遅い。
「──おまえは、そのようなことせずとも、よい」
「はあ? なに言ってんだおまえ。なんでそんなこと言われなきゃならない」
「障気は、いまからわたしが鎮める。おまえはわたしと来ればよい」
「やだね」
口からこぼれ出した言葉を、童は即刻撥ね付けた。ずいと距離を詰めてくると、その大きな目で瓊音を見上げた。炯々と、かがやいていた。つい気圧されてしまうほどに。
「わたしと、来ればっておまえ、おまえもひと買いのやろうと一緒か。それでおれのことこき使うのか。こき使って、折檻して笑って、死んだら鳥に食わすのか」
「そのような、ことはできない──」
ふうん、と、童はふたたび、鼻歌めいた返事をする。
「じゃあ障気だけ鎮めれば。おれはおまえなんかいらない」
信じられないほどの力で、童は瓊音を拒絶する。思いきり手を振り払い、そして瓊音を睨め上げる。ほんのかすかに目じりが動いた。
「というかさ、なんで鎮めてるの。そんなことする必要あるの」
みこさまって。
みんな言ってる。
「だけどそんなのいらないだろ。そんなのべつにいなくたって、いらないやつをほりこめばいいだろ、いっぱい。そしたら障気鎮まるだろ」
童の声は、屋根の下。
ふわふわ、ぐわんと反響する。
「ぜんぶ、つまんないんだよ。おおかみさまとかいうのだって、ちっともつまんないやつだよ。ちょっとくらいおれたちが死んでたって、助けるつもりぜんぜんないんだ。
童は瓊音がふれた腕をよごれを落とすように払った。そしてふわりと背中を向けた。
「おまえなんかいらないよ」
それを聞いたとき、見えた。井戸のふちからこぼれだす闇。とろとろと濁りひかるかたまり。
油断した。近すぎたのだ。濡れるとしても離すべきだった。瓊音はとっさに童を引き寄せ、その身体を抱き込み唱えた。
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