瓊音のつまごひ

相宮祐紀

(一) 神言の夜

一   座して





 呑み込まれそうな静けさだった。贄は、舞台に座していた。

 篝火かがりびと夜の木々に囲われ、円をかたどる石舞台。その上に、ただ座して。真白の袴に染み込んでくる、石の気配を受け入れていた。真白の小袿こうちきの上をちらつく、炎の色を受け入れていた。

 石舞台に刻まれたひびは、まるで果てない深淵だった。広がる苔と黒ずみは、さながらうごめく細蟹ささがにだった。贄の手足をとらえる枷と、そこから続く長い鎖は、赤茶に錆びつきひんやりとして────

 贄の役目をまっとうする。そのときまで、あとすこし。あとすこしで、あれは出てくるはず。そろそろ出るはず、待っていれば。木立の向こうのまっくらな、ひどく静かな茂みの中から。ここでどれほど待っているかは、よくわからなくなってしまった。枷がしっかりついているので、みずから近づくこともできない。枷なしでも逃げることはないのに……。

 いろいろと、ぼんやりと思いつつ、実緒みおはただ座っていた。ただ座って、待っていた。贄として、あれを鎮めるときを。その身を、いのちを捧げるときを。

 おまえが贄になるのだと、父はきのう、実緒に告げた。母は、そのとなりにいて、実緒の顔をじっと見ていた。だれもがそれでよいと思って、実緒もそれがよいと思った。

 これまで生きた十七年は、とてもしあわせな年月としつきだった。いつくしまれて、まもられていた。今日このときまで生かされていた。でもそんなのは、もうおしまいだ。すこし長すぎたのかもしれない。重たいなにかが込み上げるのを、ほんのりと笑んでやり過ごす。そのとき、風が吹いた。強く。

 篝火がなびきばちんと弾け、木の葉がゆれてざあっと騒ぐ。じっとりと濃密な、土のにおいが立ち上る。風とともにあたりを撫でて、回って、やがて滞る。粘りのある、無音が満ちる。

 実緒は、すいと前を見やった。ちょうどそのとき、こぼれてきた。木々のあいまからこぼれてきた。とろりとして、ゆるりとして、闇にとけない消えない闇が。かたちがひとときもさだまらず、向こう側が透けそうで透けず、ほんのりと、ひかりを放つ。大きな、大きなくらいかたまり。

 あれが、障気しょうき。ひとの寄らないところに集まる。集まるとやがて動き始める。そのさまは、さながら大水。いまが、ちょうどそのときなのだ。

 においも気配も、音もないもの。伸びながら、広がりながら、地面を這って近づいてくる。ああ、どんなにこわかっただろう。あんなに気丈に守ってくれた。きっとおなじところへはいかない。

 いつの間にやら石舞台は、すっかり障気に囲まれていた。黒くてぶあつい雲の上に、浮かんでいるような気分になった。けれど雲にしては、重そう。ゆっくりとよじのぼってきて、石舞台を抱き込んでいく。

 もうすぐ、もうすぐ終わるのだ。もうすこしだ。もうすこし。ひととふれあえば障気は鎮まる。ふれあったひともそこでおしまい。実緒は静かに、まぶたを閉ざす。指の先まで熱く痺れる。

 そのとき、どこからかなにかの音が。ひとの声が、聞こえた気がして。すこしだけ、目をひらいてしまう。

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