「内なるスライム」

ゲストロニオ 第5章:内なるスライム

ALKENの艦は、ゲストロニオの死んだ空の上に静かに浮かんでいた。


下には沈黙した荒野。

濃い緑の霧が、毒された墓から立ち昇る煙のように渦を巻いていた。

ひび割れた大地はかすかに脈打ち、何かがまだ生きているかのよう。


生命反応なし。信号もなし。

あるのは…あの骨の奥で響く、不快な唸りだけ。


指令ブリッジでは、ロンドが一人立っていた。

ラナは情報班に報告しに出たばかりで、ブーツの音がまだ廊下に残っている。


――完璧なタイミング。


ロンドは兵器パネルに近づき、小声で囁いた。

「78TA、起動。」


システムがビープ音を発する。

「未承認の反物質兵器起動。確認しますか?」


彼の指は確認パッドの上に浮かぶ。

ロンドは薄く笑った。

「確認。」


艦の底部から、銀に輝くミサイルが分離される。

圧縮された稲妻のように光を放ち、大気圏へと突入していった。


着替え室では、キアラが腿にベルトを締めていた。

スーツのファスナーは半分だけ閉じており、ブラがわずかに覗く。


「くっそ、このスーツ、タイズの顎のラインよりキツいわ。」


タイズがそばで胸部プレートを調整していた。

「機能かファッション、どっち優先だよ?」


キアラはにやっと笑う。

「私って知ってるでしょ?セクシーだと、狙いも冴えるのよ。」


その瞬間――


BOOOOOM!


艦全体が激しく揺れた。


照明が点滅し、モニターが揺れ、いくつかのヘルメットが落下した。

……そして静寂。


モニターには、燃え上がるゲストロニオが映し出されていた。

燃焼ではない――消滅。


山脈が陥没し、森が液状化し、空が黒く歪む。


廊下の奥、トイレでは、スティーブンがズボンを下ろして座っていた。

「今ノックされたら、マジでまた人殺すぞ…」


揺れ。光。轟音。


スティーブンが叫ぶ。

「なんだこのクソ――!」


情報室では、キンバリーがヘッドセットを掴み絶叫した。

「地表データが全滅!バイオグリッド、完全オフライン!」


アナが目を見開いて駆け込む。

「何よこれ!?ラナは許可なんて出してないわ!」


「出したに決まってる!」キンバリーが怒鳴る。

「この爆発、私たちが起こしたのよ!」


ブリッジでは、ラナが怒りに燃えて戻ってきた。

「ロンド、説明しなさい。何を撃ったの!?」


ロンドは完璧な演技で目を見開いた。

「パネルが……誤作動した!勝手に発射されたんだ!」


「反物質爆弾が『うっかり』発射されたって言うの?」


「今は収拾を優先しろ。地球にバレる前に。

レオナルドに連絡を。」


ラナは彼を3秒間、長すぎる沈黙で睨んだ。

そして背を向けた。


廊下では、キアラが窓に駆け寄る。

「……星全体が……」


タイズが隣に立つ。

「消えたな。あっけなさすぎる。」


キアラは囁く。

「偵察って言ってたのに……消去だなんて。」


制御室では、アナが怒りに満ちた指でキーボードを叩く。


頭の中:

「終わってない。ロンド、わざとやったのはわかってる。

ただ、理由がまだ読めない。」


――そして、その頃。


艦の排気口から、何かが入り込んできた。


形はない。思考もない。ただ――飢えだけ。


緑色の塊。ベタベタ。生きている。


それは生き残った"何か"だった。


通気口をすり抜け、光を越え、ワイヤーを越え、鋼鉄を越える。

焼けない。止まらない。

そして――学ぶ。


その時、音がした。

流れる水。うめき声。ため息。


それは音を追う。


トイレの中。

スティーブンが顔をペーパーで拭きながら呟く。


「ロンドの魂より空っぽで軽い気分だわ。」


その時――


プチッ。


肩に何かが落ちた。濡れたしずく。


彼は見上げる。

「なんだこ――」


スライムが彼の右耳へと突撃した。


スティーブンは叫んだ。

それは叫びではなく――獣の咆哮。


彼の体は壁に叩きつけられ、足は宙を蹴り、トイレットペーパーが舞い、舌が喉に絡まる。


――そして、静寂。


一瞬の沈黙。


彼の緑の瞳が…ゆっくりと開いた。


立ち上がる。

呼吸する。

鏡を見る。


そこに皮肉はない。笑いもない。

ただの――虚無。平穏にすら見える。


スーツを整え、手を洗い、映る自分を見つめる。


「……面白い。」


女子部屋では、アナがデータパッドを掴みながら早打ち。

キアラは最後のアーマーを身に着けながら呟いた。


「ロンドが何を言おうと、あれは故意よ。

誰が爆弾を『うっかり』発射すんのよ。」


キアラは肩をすくめた。

「アイライナー直してる途中で、ミサイル撃っちゃった…とかあるじゃん?」


アナは思わず吹き出す。


廊下の奥では、タイズがひとり武器ラックを見つめていた。

胸の奥に、妙な違和感があった。

何かが…ズレていた。


制御室では、キンバリーが映像を巻き戻していた。

「……生命反応はなかった。でも……爆発のあと、何かが動いた。」


「誤検知?」アナが入ってくる。


「いや……違うと思う。」


――その頃。遠く離れた地球。


高級スイート。紫のカーテン。ガラスのデスク。

濃いリキュールのデキャンタ。


ケイトリン・テレサが、ソファに脚を組んで座っていた。

濡れた長髪が肩に落ち、パープルのタンクトップとショートパンツが彼女の体を際立たせる。


彼女はスクリーンを見つめていた。

ドローンが記録した映像――ミサイル、発射、そして惑星の消去。


その唇は喜びではなく、満足の笑みに歪む。


「やったのね……ルール破ったわね、このバカ。」


彼女はボタンを押し、映像を暗号化クラウדにアップロード。


その直後、ドローンは軌道上で自爆した。


彼女はグラスに口をつけ、鋭い目で呟く。


「これであんたは私のコマよ、ロンド。うまく動きなさい。」


ソファにもたれかかり――


「やっぱり、一歩先にいるって最高。」


――再び、艦内。


ギィ…


トイレのドアが開いた。


スティーブンが出てきた。


体も、髪も、目も同じ。

けれど――歩き方が違った。

視線の運び方も、正確すぎた。


彼は、まるでこの体に初めて入ったとは思えない足取りで廊下を歩く。


反対からアナが通りかかる。


彼女は止まり、瞬きをし、彼を見上から下までチェック。


「スティーブン。

あんた、終末級の大災害中にクソしてたの!?

マジでブタね!!」


スティーブンはゆっくりと向き直る。


沈黙。


彼はアナをじっと見つめ――

わずかに首を傾げる。その時間が、一瞬長すぎた。


そして、微笑んだ。


その笑みは、広くも、いたずらっぽくもない。

ただ、ぎりぎり「人間らしい」だけ。


そして囁く。


「……終末なんて、主観の問題だ。」


アナは眉をひそめた。

「は?」


彼はそのまま歩き去った。


振り返らず。

瞬きもせず。


ただ、歩き去った。


アナはその場に立ち尽くした。

なぜか、急に寒く感じた。


理由は――わからなかった。


――つづく。

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