5-3-4/4 34 五味学習塾
「まあ喜歩くん、落ち着いてくれ。辛いだろうが、それを抑える理性を持っているのが人間というものだ。ああそうだ、クローンとして生み出されたモンスターが、自己とは何か求めて人間たちに逆襲するアニメ映画もあったよな。喜歩くんの今の心情はそのモンスターに近いのかも――」
「モンスターって言わないでください!!」
思わず声を荒げてしまった。
「あ、これはすまない。言葉の綾ではあるんだが配慮に欠けていた。誠に申し訳ない」
五味はぺこりと頭を下げる。
「あ、あ……。こちらこそごめんなさい。多分その映画も分かります。少しだけ、RNT02とも名前似てますね……」
「ほう、そうかい。かなり古い作品だが良く知ってるね」
五味は頭を上げ、喜歩に感心の表情を向けた。
「それはともかく、今の喜歩くんは素直に謝ることもできる理性的な人間だよ。ひとまず今日はその事実を持ち帰ってくれないか?」
先ほどの失言の埋め合わせのつもりもあったのだろうが、むしろ喜歩の自己嫌悪を増長させる言葉でもあった。
舞と輪奈を悲しませたまま、謝りもせず飛び出してきたのだ。そして今でも素直に謝る気にもなれない。これはやはり心に怪物を飼っているが故だろうかと唇を噛む。
「あの……、五味先生は漫画とかアニメとかが好きなんですか?」
「ははは、おっしゃる通りだよ。私が医者になったのなんて、ほとんどアニメの影響だよ! ……だからRNT02のことも受け入れられてしまったのかな」
五味は心から嬉しそうに笑みを浮かべる。
「……てっきり、もっと高尚な動機があるものだと思ってました。医者を目指す人って」
「とんでもない! もちろん高尚な動機を持つ人もいるけど、そればかりじゃない。私の学生時代の同僚の中には、医者になって見返したい、金が欲しい、後は女の子にモテたいという人もいたかな」
喜歩は呆れて、暫く何も言えなくなった。
「……伝田さんはどうなの?」
どうにか喉から言葉を引きずり上げ、伝田へと顔を向ける。
「人の体の中を見てみたいからかな」
喜歩へのスメリングは終えていたようであるが、伝田の目は座っていた。
恐らく伝田の志望は小児科などでは無い。外科医、あるいは法医が向いていると確信した。
喜歩は一度咳払いをして五味に向き直る。
「失礼を承知で言いますけど、五味先生がRNT02を組み立てたと聞いて、てっきりもっと感動的なお話を聞かせてくれるんじゃないかと思ってました。実際そんなことは全く無かったです」
「ほう、なかなか気持ちの良いことを言ってくれるじゃないか! この短時間で私のことが良く見えている」
五味の言葉に皮肉めいた響きはない。
「今日お話を聞いて、お医者さんの言葉よりも、漫画とかの方が僕にとって必要なのかもって思いました」
喜歩は社会においてあまりにも例外的過ぎる存在だ。故に参考にすべきデータも無いに等しい。
しかしながら先人たちは、創作という手段を用いて喜歩のような状況を考えて来たのだという気づきがあった。
「それならそれで私は協力できそうだな! この家には私の人生をかけて集めた蔵書がある」
五味は得意げに床下を指差す。
「……もしかして地下があるんですか?」
「ああそうだとも。地下なら床が抜ける心配もないだろう?」
地下という言葉が示す通り、底知れない数の参考文献が眠っていそうである。
喜歩の胸のつかえを取るヒントがあると期待しても良さそうだ。
「あの、またこのお家にお邪魔させてもらってもいいですか? 今すぐ塾生になるとは言えないのですが……」
「もちろんいいとも! この仕事も私の余生の道楽でやってるようなもんだからね。お金のことは気にしなくていい。 私が役立てることならいくらでも手を貸すさ」
「ありがとうございます」
対面した時に感じた貫禄はとうに失われていたが、五味に対する敬服の念はむしろ大きくなっていた。
「そうだ喜歩くん」
五味は悪戯っぽくにやっと笑う。
「なんですか?」
「ここに来る目的が玲ちゃん目当てでもいいぞ」
「ちょっ!」
五味に敬服を抱いてしまうのは不適切な気がした。もっと親しみを持って接した方が良さそうだ。
「どうだい玲ちゃんは?」
やはり人好きのする五味の笑顔を、今度は伝田に向ける。
「私は喜歩くんと一緒なら嬉しいかな。もっと体見たいし……」
伝田は少し恥ずかしそうに微笑んでいた。
言葉だけ追えば、伝田の発言は本当に恥ずかしいものである。全く心臓に悪い。
しかし彼女は本当に人の心臓を悪くしかねない思想の持ち主なのだ。
それを知ってなお喜歩の抱いた正の感情が大きいのは、伝田の容姿の良さによるものである。
人を見た目で判断してはならない。それはエステティシャンであるはずの母からも教えられてきたことであるが、やはり可愛い子と一緒にいられることには嬉しさを感じてしまう。
今日喜歩が抱えて来た課題は、何よりも自己肯定感を取り戻すことであった。
理由がなんであれ、可愛い子が自分と一緒に居たいと言ってくれるのなら、これほど自信に繋がるものはない。
喜歩は所詮、思春期の少年だった。
「伝田さんが可愛くて良かった」
課題を達成したという油断のためか。とんでもない言葉が飛び出していた。
すると伝田の顔が真っ赤に染まり、眼鏡が白く曇り出す。案外普通の感情も持ち合わせているのかもしれない。
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