鋳型の無い海辺

Case:1

「あら、音葉さん。いらっしゃい」

 二〇二四年。

 十月三日。

 午後三時四分。

 静岡、焼津。

 喫茶『ふくまねき』。

 仙台を離れて、十一日。太平洋側を適当に見て回り、静岡まで戻ってきた。南下を続けているのに理由は無く、強いて挙げれば冬から遠ざかりたいから、程度のものなのだが、ふと映子の珈琲を思い出して、飲みたくなったのだ。恩もあることだし。

 彼女の助言がなければ、私は唯鈴と出会うことはなく、旅の目的────考えて答えを探すという目的を、得ることができなかっただろう。その礼も兼ねているのだが、珈琲を飲みにきたというのも本当だ。

「ブレンドを一つ」

「はい、ブレンドですね」

 依然と同じ、隅のカウンター席に座って注文する。

 店内には、数組の客。近所に住んでいるらしき主婦や、隠居生活を楽しんでいる老夫婦ばかりだ。平日の午後三時なのだから、当然か。

「二週間………は、経ってないですね。なにか、収穫は得られました?」

 豆を挽きながら、映子が私のキャリーバッグに目をやる。

「はい。映子さんのお陰で」

 音楽を続けるのか、辞めるのか。

 どういう形で、目的で。

 執着とその根底、将来を考えるという目的を、旅に与えることができた。映子と、そして唯鈴の言葉が、無意味だったこれまでの放浪に、理由を与えてくれたのだ。

「………あいつらのことは、無意味じゃないか」

 東京で出会った、三人の不良娘。彼女達との邂逅は、きっと無意味ではなかったのだろう。

 あの時までは、私にとって夜は、ただ流れていくだけだった。雑踏と同じ、電車と同じ、ヘッドライトと同じ、目の前を流れて通り過ぎていくだけの、風景の一部でしかなかったのだ。ふらふらと各地を見て回ったが、私に声をかけてくる人間など一夜の快楽を求める男くらいなもので、花火を共に見上げるような、そんな関係はなかった。………阿比留に関しては、私が買った側だが。

 三人と出会っていなければ、あの妙なOL作家の取材にも応じず、映子との会話の中で出多の言葉を思い出すこともなく、仙台にも戻らずに、一人旅は今も無意味なものだったかもしれない。

 袖振り合うも他生の縁。一期一会思想は好みではない、とは零の言葉だったか。非常に同意できるところで、だからこそ彼女は私に興味を持って、最後まで粗雑な演奏に耳を傾けてくれたのだろう。だが、好みではないが、生死を考える上で、これ以上に適した言葉は他に見つからない。

 可能な限り、出会った誰かと関わって、それらを咀嚼して、嚥下して、考える。何時か答えが見つかるまで。

「って言っても、まずはどっかで、派遣のバイトしなきゃですけどね。ちょっと豪遊しすぎたんで」

 仙台を離れてから、お高い寿司屋や懐石料理店にばかり入っていたので、少々懐が寂しくなってしまった。これまでの貯えがあるので、質素な暮らしを心がければ一月は問題無く生活できるだろうが、旅を続けるには心許ない。

「それなら」

 珈琲が注がれたカップを私の前に置いて、映子が微笑む。

「急ぐ旅でないのでしたら、しばらくうちで働いてみませんか?」




「おめぇの所為じゃねぇ。事故だったんだ」

 店の外のベンチに座った二人の男の片割れが、もう一人の肩を揺する。どちらもこの近所に住んでいる、店の常連客だ。初老の男は田代、もう一人は魚住という。

「でも、俺がタカのこと、もっとちゃんと見てやってれば………すぐ近くに立ってたんですよ。あいつが海に落ちるとこ、俺、見てることしか出来なくて………」

「いい加減、自分だけ責めるのやめろ。乗ってた全員に責任があんだ」

 十月十三日。

 午前十一時七分。

 昨日今日と、『ふくまねき』は休業中。土日に喫茶店が営業しないというのは大分痛手ではあるのだが、映子には体を休める時間が必要だと判断し、常連客や近所の住民、私が揃って温泉旅行を勧めたのだ。ついでに観光もして疲労を回復してもらいたいところだが、彼女のことなので、おそらく温泉に浸かったらすぐに帰ってくるのだろう。

 千鶴のことは任せて、とは言ったが、やはりまだ二才にもなっていない娘を放ってはおけまい。私もいつまでこの場所にいるか分からないし、やはり経営接客と子育てを一人で担うのは、限界なのではないだろうか。

「これ、水です。まだ暑い日続いてるんで、水分補給しないと」

「おお、音葉ちゃんか。悪いな、気を遣わせちまって」

 いえ、と水の入ったコップを二人に手渡す。十月もそろそろ半ばだというのに、この気温の高さは何だ。最早残暑などではない。夏だ。真夏だ。日本の十月は夏、夏決まりである。

「今の、聞いてたのかい」

 田代が、気まずそうな表情で私の顔を見る。

「すみません。盗み聞きするつもりは、なかったんですけど」

 魚住は、一度実家に戻ると決めた次の朝に、焼津駅まで送ってくれた漁師の男だ。早朝に呼び出されても嫌な顔一つせずに応じていたが、成程、その理由が分かった。

「映子さんの旦那さん、知り合いの船から海に落ちたって。魚住さんのことだったんですね」

 焼津は、遠洋漁業などが盛んな港町だ。確か、ほんだしに使用される鰹節の生産工場があるはずである。鰹の水揚げ量は日本有数で、鮪も獲れるのだとか。あまり詳しくはないが、とにかく漁業で賑わう町である、ということだ。

「知り合い、か。映子さん、そう言ってたのか」

 そうですね、と返す。魚住の目には、水色と紫と、僅かな紅が混ざっているように見えた。紅色はきっと、自分に対しての感情だろう。

「幼馴染だったんだ。二つ違いで、高校まで一緒で。昔はよく学校サボって、ゲーセン行ったりしてた。この店、あいつの爺さんが作ったんだよ。俺もあいつも、家業を継いでさ。そんで、週末は飲んだりしてた」

 映子の死んだ夫、鷹敏たかとしという名だったか。魚住と鷹敏は、知り合い程度ではなく、幼少期から付き合いがあったらしい。

「映子さんと籍入れるちょっと前に、店名変えたんだよ。幸せを運んでくれたからって、今の名前にした。『ふくまねき』って名前は、タカと映子さんの、約束みたいなものなんだ」

 鷹敏の祖父は八年前、彼が二十三の夏に他界したらしい。そして、ちょうどその頃に映子と出会ったのだという。四年程の交際期間中は以前の店名で営業していたが、四年前、入籍する直前になって、現在の名前へと変えたと。

 自分の旦那を殺した相手を、旦那の友達ですなんて言わんよな………と、魚住が顔を伏せる。

「服でも腕でも、掴めてやれてたらって。落ちる瞬間の顔、今でもまだ憶えてる」

「救命胴衣、着て無かったんですか?」

 数年前から着用が義務付けられるようになった、と聞いたことがある。以前、派遣先のおっちゃんが、フルハーネス型安全帯の着用が義務になって面倒だ、とぼやいていたことがあるのだが、確かそれと同じ時期だったはずだ。義務になったのは、私が旅を始める前だったか。

 あの時のおっちゃんと同じようなことを、魚住が口にする。

「着用は義務ってなってるけどさ。鳶の安全帯と同じで、着けないやつも多いんだよ。特に、俺達みたいな小さな船に乗ってると。慣れとか、動き辛いとか、引っ掛かるとかで」

 全員に責任があるとは、こういう意味か。

 乗員が救命胴衣を着ていれば。鷹敏に着せていれば、死ななかった。だから全員の責任だ、と。

 私も安全帯を着けないことが多いので、責めるつもりはない。だが、映子からしてみれば、そんなつまらないことで夫が命を落としたなど、受け入れ難い事実だろう。

「皆、すぐ引き上げようとしたんだ。浮き輪だって投げたし。でも………波でさ、あいつ、スクリューの方に流されちまって」

「おいバカ、やめろお前。音葉ちゃんに聞かす話じゃねぇ」

 ただ溺れ死んだのだ、とばかり思っていたのだが………考えてみれば、船から落ちただけであれば、すぐに引き上げられて、笑い話で済んだだろう。

「………スクリューに巻き込まれた、ってことですか」

「全身巻き込まれて、そのまま。遺体なんて呼べるもん、なんも拾ってやれなかった。俺の所為で」

 それからは救命胴衣を着用するようになった、というのだから皮肉なものだ。

 背後で小さく、扉を叩く音がする。店の中から、千鶴が私を呼んでいるのだ。

「千鶴ちゃん、どうかした?」

「おやつ」

「ああ、ごめんごめん。そうだね、おやつの時間だ」

 田代と魚住に会釈をしてから千鶴を抱き上げ、ああそうか、と理解する。

 生きる理由の、代替品。映子は、千鶴がいなければ、或いは夫の後を追っていたかもしれない、と語った。彼女にとって夫は生きる理由で、千鶴はある意味で、言葉は悪いが、その代替だったのだ。

 に変わった。それも十分、生きる理由と呼ぶに相応しい。

 なら、に変わった時。死への願望は、私の中に生じるのだろうか。




    鋳型の無い海辺




「音葉もいろいろあったんだな。この半年くらいで」

 二〇二五年。

 一月五日。

 午後六時十一分。

 映子が経営する喫茶店『ふくまねき』で音葉と再会し、珈琲を飲みながら彼女の話を聞いた。東京を離れてからの、約半年間の旅路の話を。

 偶然、といっていいのだろうか。音葉も私達のように、生死についての答えを探して、旅をするようになったようだ。

「住み込みバイトのことは、本当はちょっと迷っんだけどさ。千鶴ちゃんのこととかあるし、恩もあるし。あと私、結構子供好きっぽいから、それで」

 その千鶴はというと、現在進行形で、キッチンの中で食事をしている。子供の世話も店の営業も、どちらも疎かにすることはできない。ならば食事を店内で食べさせてしまえばいい、という逆転の発想だ。

 因みに、音葉にはすぐに懐いたらしい千鶴だが、私は避けられてしまった。泉に対しては、まあ相手をしてやらんでもない、といった雰囲気だ。不良には靡かないぞという強い信念を感じる。きっと将来は大物になるだろう。

「下田で映子さんが言ってたバイトって、やっぱ音葉のことだったんだな」

 カップを持ち上げ音葉を見る。すると彼女は、「ああ成程」と何かに納得した。

「なんで零がここに、って思ってたけど。下田で知り合った二人組って、零と紅祢のことか」

 アニメや漫画などでは、出会ってすぐに自己紹介をすることが多いが、現実では初対面の相手にそんなことはしない。あるとしても、せいぜいビジネスシーンくらいだろう。当然、知り合いの名を出すこともない。

「それで、紅祢は?てかそっちの子、誰?」

 紅祢の死を知っているのは、私を除けば、泉と母、店長。可能性がありそうなのは、心美と阿比留くらいだろうか。自殺の大半は報道されないため、七月に東京を離れた音葉は、当然知らない。

「紅祢は………いや、ここでする話じゃないか。こいつはいづみ。あ、平仮名でいづみね」

 まだ正月休み中とはいえ、二時間以上話し込んでも気が咎めない程度の客の入り。しかし、店内でする話ではない。

 私の隣で「どうもー」と手を振る泉。それを尻目にスマホを取り出し、マップを開く。

「あれ、スマホ買ったんだ」

「無いと不便だから」

「ってことは、住民票の更新とか、やったんだ」

「まぁ、ね」

 この付近にネットカフェやホテルはない。近場にキャンプができそうな場所はあるが、銭湯は………都合よく、少し南へ行った場所に一つあった。しばらく滞在するつもりなので、非常にありがたい。

「とりま、今日はこんくらいで。明日また来るよ」

「来んのかよ。いやいいけどさ。暇なん?」

 世間的に見れば、私達は暇を持て余した人間に見えるだろう。しかし、とても重要なことなのだ。

 音葉は三か月の間この土地に滞在しているらしいが、私達と同じように、生死の答えを求めて旅をしている最中であることに変わりはない。だから、話をしたいのだ。生きている理由とか、死んでいない理由とか、そういった話を。

 店を出て、銭湯に向かう道すがら。隣を歩く泉が、肘で小突いてきた。

「え、なに」

「今回は自分の体質が原因じゃなかった~………って、思ってるでしょ」

 『ふくまねき』に音葉がいた時は、また引き寄せ体質が発動したのだと考えたものだが、実際には偶然が重なっただけだった。

 しかし泉は口元に手を当てて笑いながら、「いや零が原因だよ絶対」と言った。

「なんでよ」

「零の体質、伝染するんじゃない?」

「ええー………」

 妖怪って、伝染るのか。体質が。知らなかった。んなわけあるか。

 その後、銭湯に入った私達は、海岸沿いの広場にテントを張って、寒さに凍えながら眠りに就いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る