Case:5

「何しに来た」

 九月二十二日。

 午後九時三十五分。

 宮城、仙台。

 実家の居間。

「話を聞きに」

 畳の上に直接座る私と、ちゃぶ台の前で座布団に座り、日本酒を開ける二人。昔はこんな趣味ではなかったはずなのだが、たったの三年で変わったものだ。中身も多少は大人になっていてくれることを願おう。

「まず一つ目。帰ってくるのはこれが最後。二度と関わらない。二人にとって私はもう娘じゃないだろうし、私にとっても親じゃない。話が終わったら、縁を切って出ていく」

 勝手だな、とお猪口を傾ける男。お前にだけは言われたくない。

「単刀直入に。二人は音楽辞めたのに、なんでまだ生きていられるの?」

 呆れが六割、怒りが三割、感謝が一割。育ててもらったという一点でのみ、私はこの二人に激しい憎悪を抱かずにいられる。この、ただの毒親を。

「二人とも、音楽に執着して、でも上には届かなくて、私に全部を押し付けた。でも才能の無さも受け継いでたから、私もやっぱムリで、諦めた。あれだけ執着してたのに、二人とも音楽を辞めて………生きる理由を手放した。なのに、なんでまだ生きてられるの?死のうとか考えなかったの?」

 執着を、生きる理由を手放して失った人間が、その後も生き続けることが出来る、その要因。私にはそれが理解出来なくて、想像もつかなくて、悩みの種になっている。

 私が音の女神に愛されていないと知った後、二人は諦観を手に入れて、執着を手放した。生きる理由を失ってなお、生き続けることが出来るのは、死なずにいられるのは、何故か。

「何分からんこと訊いてんだ。好きなモンやらなくなったからって、なんでそれで死ぬなんて話になる」

 眉間に皺を寄せた男が、心底理解に苦しむというような口調で、そう言った。

「真面目に答えて」

「真面目に答えてんだよ」

 違う。考えていないから、そんな台詞が口を衝いて出てくるのだ。

「だって、二人は音楽に執着してたから、私をああやって育てたんじゃん。私をこんなにしたんじゃん。なのに、私でもムリだって分かった途端に全部放り投げて、旅行好きの中年夫婦になってて………それでなんも感じてないとか、言わんよね」

 この二人は本来、親になってはいけない人間だ。それまでの経歴など関係無く、そういう性の人間は、案外多く存在する。毒親となる素質を持って産まれた者が。

 だとしても、だ。呆れが六割だったとしても、この二人と私の関係がすでに親子ではなくなっていたとしても、半場 音葉を産んで育てたのはこいつらで。執着心が発端であったとして、何一つ思うことなく過去を日常で補完することなど、出来るとは思えない。いや、何も感じていないなどと、思いたくない。

「感じてるよ。失望したって」

 女のその一言で、何かが切れた。変化の無いその一言が、私の中にある一割の感情を、綺麗に消し去っていったのだ。

「アンタには小さい頃から、この人と一緒に知ってる限りの全部を注いだのに、結局無駄だった。行きたかった場所に行かせられるはずだったのに、アンタに才能が無い所為で」

「だったら音楽教室とか、ちゃんとしたレッスン受けられるトコとか、そんなんいくらでもあんじゃん。自分達だけの力で育てる?才能無くて叶わなかった二人なんだから、真面に音楽なんて教えられるわけないって分かんないの?知ってる限りの全部って、たかが知れてるじゃん。その所為で悩んでんのに、また全部私が悪いみたいな言い方して、ちゃんと答えてもくれない」

 答えを得られるかもしれない、と考えて、実家に戻ってきた。だが、どうやら無駄足だったようだ。

 この二人はもう、私を過去にした。生きる理由も執着も、過去に置き去りにしてしまえば取るに足らない経験で、記憶でしかない。きっと、この二人には、死ぬ理由がそもそも無いのだ。私がどれ程それを理由に夜道の端を転がっていようと、ガードレールに腰を下ろして行き交う人々に視線を送っていたとしても、あらゆる行動の理由には、ならないのだろう。

「負け犬みてぇに家出てって、戻ってきたかと思ったら、親にずいぶんな口利くようになったな」

「もう親子じゃないって、さっき言った」

「なら今すぐ出てけ。他人を家に上げる程、不用心じゃねぇ」

「終わったら出てくとも言った。人の話くらい聞けっての」

 話を聞く。答えを問う。理由を探す。そんな目的はもう、私の中から、消えていた。少なくとも、この何の変哲もないありきたりな借家では、不似合いなものだったのだから。

「あのな。俺らの中じゃもう、お前のことなんてケリついてんだよ。最初ハナから娘なんていなかった、無能なガキは忘れて、新しい趣味見つけて人生に彩り添えようってな。水差すんじゃねぇよ」

「責任感じるタイプじゃないのは知ってるけど、恥知らずにも程があるでしょ」

「恥知らずはアンタでしょ。高校辞めて家飛び出して、かと思ったらまだギターなんて持ってて。おまけに何、その見た目。誰に似たのか、分かったもんじゃない」

「恥知らずに育てられたから、恥知らずに育ったんだよ。子は親に似るって、マジなんだね。私はあんたら程じゃないけどさ」

 もういい、と立ち上がって玄関に向かう。この二人に話を聞こうというのが、そもそもの間違いだったのだ。

「クズに会ったら答え分かるかなとか、考えた私がバカだった。一生そうやって、醜態晒してろ」

 醜態晒してんのはお前だろ、と男が鼻で笑う。言葉を返すような気分にすら、もうなれなかった。

 この二人は。こいつらは性根が腐っているのだと。私が考える時間を割いてまで胸中を解き明かす価値などない、ただの屑のような他人なのだと、そう言い聞かせる。

 かつて実家だった借家の玄関から、外に出た。

 呆れ六割、怒り三割。残りの一割は、すでに余白だ。そのはずなのに、消えたはずの一割の残滓が、去ろうとした借家に視線を戻してしまって。

「忘れたって、なんだよ。ちょっとくらい、子供わたしのこと見ろよ」

 零は、なんとなくで東京に来たと言った。家から、親から離れたかったのだろう。

 紅祢もきっと似たようなものだ。親から離れれば、何かが変わると考えたのだろう。

 阿比留は、親から逃げて夜に居た。虐待されて、それでも普通を夢に見て、体を売っている。きっと、今も。

 あの三人は、何時か親との折り合いを付けられるようになるのだろうか。

 阿比留は無理だろうな、と息を吐く。大して時間を共有していない三人の不良娘が頭から離れない理由が、なんとなく、理解できたような気がした。似ていたのだ。私と彼女達は、流れるヘッドライトに影すら奪われて夜を彷徨う、行き場を失って生死を頭の中で飼育する、そんな同じ人種だった。

 東八番丁通り。一日前に唯鈴と入ったスパイスキングの隣。駐車場と名称も不明な横道を挟んだ向かいのセブンの前に、公衆電話を見つける。

 わざわざ仙台まで戻ってきた、その意味があるとするなら。それはきっと、偶然でしかなかったとしても、彼女と出会ったことなのだろう。なぜかそう感じて、電話ボックスの中に入って小銭を入れて、メモに書かれた番号を押した。

『はい、勝濱ですが。どちら様でしょう?』

 数回のコール音ののちに、国内外で主に中年層からの人気を集める、女性音楽家が出る。

「あ、私です。音葉」

『ああ音葉ちゃん。ずいぶん早く連絡くれたじゃん』

 別れの挨拶をしてから、まだ半日と経っていない。彼女はあの後夫と合流して、両親と話して、きっとつい先程まで四人で食事でもしていたのだろう。なんでもない、普通の時間を過ごしていたのだろう。だが、この半日にも届かない私の数時間は、十四年にも────或いは二十年にも、等しいものだった。

「ちょっと、訊きたいことあって。今大丈夫ですか?」

 今日は日曜、現在時刻は午後十時十一分。電話をかけるには遅すぎる時間だ。しかし唯鈴は大丈夫と即答して、訊ねたいこととは何かと、歌っている時のような、優しくも芯の通った言葉をかけてくれた。

「勝濱さんは、その………今はそんなことないと思うんですけど、例えば昔だったら。音楽辞めたら、死んだりとか、考えたのかなって」

 彼女のような、才能も実力もある人間でも、私と同じように悩んだ日はあったのか。私のような人間を多く見てきたと語った、そんな彼女にも。

 電話口の向こうで、唯鈴は『そうだねぇ』と、一呼吸を置いた。

『そういう時期もあったよ。自分達の音楽が通用するのかとか、寝れなくなったり。それこそ、これが無くなったら死ぬ、ってね』

 才能があろうと、実力を認められていようと、周囲から向けられる視線や期待が大きくなればなる程、死の影が近付く。そういうものなのだろう。特に唯鈴は、東京藝術大学音楽科に進学するというエリート街道を歩んでいたわけで。その道を離れてでもバンド活動に専念するという決断は、ゼミの人間や、両親にだって、首を傾げられて引き留められたことだろう。

 理解を得られない。通用する保証もない。胃が痛んで、死にたくなる。SUNAHAMAのSuZuですら、そうなのだ。

『でもさ。案外きっと、辞めても死んでなかったと思う』

 と、唯鈴が私の思考に割って入る。

『そういう決断をした人を見てきたって話したけど、アタシは………そうだな。生きる理由、だっけ。アタシにとっては、多分一つじゃなかったんだろうね』

 音楽に対して不誠実とか、真摯ではないとか、そういう意味ではないと、唯鈴は変わらぬ声色で語る。本気でやっているし、本気で楽しんで活動をしているのだと。ただ、それだけが自分の全てではなくて、だから或いは音楽の道で成功することが出来なかったとしても、生死を計りにかけて終幕を選ぶことなど、なかっただろうという。

 死ぬ程泣いただろうけどさ、と、唯鈴は苦笑交じりに付け加える。

「生きる理由って、そんないくつもあるものなんですか」

『んー、大体そうなんじゃない?もちろん、これしかない!って人を否定してるわけじゃないよ。ただ、毎日色んなことがあって、色んなこと考えて、そうして生きてるうちに、大事なものとか大事にしたいことが増えてく、っていうかな』

「考えただけで、生きる理由が増えるんですか」

『増えるよー、ワカメみたいに。アタシもほら、色々考えてたらなんか結婚してて、産まれるのはまだ先だけど、子供もできた。これだって、アタシの生きる理由の一つだよ』

 人生経験が足りないから、一つの事柄に執着する。そう言っているのだろうか。

 いや、違う気がする。今はまだ言語化出来ないが、一つの、真理のようなものを、彼女は語って諭してくれたように思う。

 簡単なことだ。要するに、もっと考えろと、そういう話をしているわけで。

「ありがとうございます。なんか、ちょっとだけ、分かったような気がします」

『ちょっとでも助けになったなら良かった』

「最初から、勝濱さんに訊けばよかったです」

 故郷に戻ったのは失敗だった。そう考えていたが、唯鈴との邂逅一つで、頭の中の霧が晴れた。あの二人と対面していた十数分は無駄でしかなかったが、昔憧れた音楽家とのそれは、きっと、に必要なものだったと、そう感じる。

 挨拶をしてから受話器を置いて、電話ボックスを出る。何をするのかはもう、決まっていた。

 行動自体は、これまでと変わらない。だが、これからは以前とは違う。

 何故音楽を続けているのか。

 この先も続けるのか。

 続けるのであれば、どういう形で、そして何を目的とするのか。

 それを考えるために、答えを得るために。

 執着と根底と、そしてこの先を、考え続けるのだ。

 半日前とは違って、軽い足取りで駅へと向かう。ニューデイズでおにぎりと缶ビールを買ってから原ノ町駅までの切符を購入し、改札を抜けて、十時四十分発原ノ町行きの電車に乗る。

 三年前は、居場所がなくなったから、この街を離れた。

 今日は、居場所とこれからを探すために、この街を離れる。

 夜の街は、煌びやかで、それでいて毒虫を飼っている虫篭のようで。まだ夏の余韻が残る湿度と温度を纏いながら、無表情のまま、私を見送っていた。

 二〇二四年。

 九月二十二日。

 午後十時五十三分。

 私は一人、故郷を離れた。




    滲んだ飛行機雲とガードレール端の二人

                    /終

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