Case:3
東京に戻って来たのは、十二時十五分のこと。二度電車を乗り継ぎ、笹塚に着いたのは、それからさらに三十一分後だった。
八月十六日、金曜日。
笹塚駅。
天気は曇りのち雨。
「笹塚って、あんまり東京って感じしないわね。地方都市みたいな景色だわ」
新幹線に揺られている間も、昨日の車内と同じく会話はなかったのだが、駅から出てすぐに、母がそう漏らした。私も二か月前に同じような感想を抱いたものだが、しかし、それをいうなら名古屋も大して変わらない。というより、どこもそうだろう。
「東京でも名古屋でも、多分大阪とかでも、都心部以外は大体こんなでしょ」
そもそも、元実家のある南荒子ですら、名古屋と呼んで良いものかと首を傾げる景観なのだ。地方都市と違う点を挙げるとすれば、数駅の距離に都心があることくらいか。
それで、と母が私に向き直る。
「質問があるんだけど」
「なに?」
「転出届はある。住民票の移動も、まぁ、親権者の私がいれば問題はないと思う。で、聞きたいのは、世帯主を誰にするのかって部分」
当然、私になるだろう。しかしそう答えると、母はスマホを取り出し、「昨日の夜、少し調べてみたんだけど」と前置きをした。
「あんた、ルームシェアって言ってたけど、ちゃんとしたシェアハウスに住んでるの?」
「いや、違うけど」
ルームシェア、と言えばハイカラな響きに聞こえるが、実態としては居候だ。今の部屋は紅祢が自分名義で借りている部屋で、私はそこに住まわせてもらっているだけ。母への説明でルームシェアという言葉を使ったのは、イメージし易いだろうと考えてのことだ。
「管理人さんの許可とかは?」
「もらってない、と思う」
少なくとも、私が知っている範囲では、紅祢がそういう手続きをしている姿を見た記憶はない。
「生計は別?」
家賃や光熱費などをどうしているか、という質問だろう。
「二人で出してる。半々で」
そう、と母はスマホを操作する。
これは場違いな感想、というか感情かもしれないが。
先程母は、「昨日の夜に少し調べた」と言った。産んだことを後悔していると言いつつも、今もこうして、文句の一つもなく、問題解決に協力してくれている。
遅まきながら、罪悪感を覚えた。親子の関係を終わらせるためについて来てもらったというのに、母が母親としての行動を取ってくれていることに対して。そしてそれを、悪くないと感じている自分の身勝手さに対して。
「つまり、実態としては、ルームシェアより同棲に近いわけね」
「あー、そうかも。未成年が成人の相手の家に転がり込んだ、みたいなのと、状況としては似てる」
別に、付き合っているわけではないが。
「未成年の場合は特に、親子の縁を切るって、法的にはほぼ無理なのよ」
そういうものか。いや、考えてみれば当然だ。誰かの養子になる、という選択肢も無くはないが、残念なことに相手がいない。店長に相談しようか、とも一瞬考えるが、やはりこちらの家庭内問題に他人を巻き込み過ぎるのはよろしくないだろう。
母の言いたいことに、なんとなく察しをつける。親権者についてだろう。
「少なくとも現状は、法的には縁は切れないって考えるしかない。だから、昨日も言ったけど、これで最後っていう言葉を守りなさい」
それを誓えるなら、親権者として、書類にサインするくらいはしてあげるわ────と、母。私が端的に「分かってる」とだけ答えると、母は話の主題へと戻る。
「で、世帯主の件なんだけど。多分、同居人さんに頼んだ方が楽なのよね。そもそもシェアハウスじゃないなら、世帯主が複数っていうのも、管理人さんとかに知られると面倒だろうし」
確かに、本来あそこは一人暮らし用の物件で、同居や同棲どころか、宅飲みですら許可されていないはずなのだ。許可を求めたところで、「契約時にダメって言ったよね」で終わりだろう。今まで苦情も何も来ていないのは、単純に運が良かったのと、隣人や階下の住民が気にしない性格だったというだけのこと。世帯主を紅祢にしたところで、私がそこに住んでいるという公的な書類ができあがってしまうことは避けられないが、シェアハウス以外で複数世帯主にするよりはまだ良い、のかもしれない。
しかし、世帯主を紅祢にするということは、納税だなんだの社会的義務を彼女に負わせる、ということだ。付き合っているわけでもないのに、そこまで甘えてしまって良いものだろうか。いや、当然そういう面倒な行政のあれこれも、二人で折半するが。
「それで、お相手の方、今家にいる?」
どうだろう。紅祢のシフトを全て把握しているわけではない上、こちらからの連絡手段を持たないので、直接確認するしかない。というか、お相手の方という言い方はやめてほしい。そういう関係ではないのだから。
「家、すぐそこだから。見てくる」
駅から離れて、アパートへ向かう。これで紅祢が家にいなければ、私も世帯主になるしかないだろう。どちらにしても、正直あまり違いはないのだ。社会通念上の問題、というだけで、私も紅祢も、そういうものにはあまり関心がない。関心があれば、酒も煙草もやっていないだろう。住民票の移動さえ終えてしまえば、アパートの管理人の許可も、勢いと泣き落としでもらえるかもしれない。
母にはアパートの下で待っていてもらい、六階まで上がって、いつものバイト終わりの夜のように、部屋の扉を合鍵で開ける。休みでいてくれればいいのだが。こうなるのであれば、事前に「家にいてくれ」と頼んでおくのだった。
「あれ、おかえり!早くない?」
部屋に入ると、クーラーの冷風が汗ばんだ肌に心地良く吹き付けてくる。しかし、座ってスマホを弄っていた紅祢が抱き付いてきたことで、一気に酷暑を思い出す羽目になった。
「いてくれて良かった。バイト休みだっけ」
「そだよー」
「実は、ちょい相談あんだけど」
母を待たせているため、手短に要件を伝える。すると紅祢はあっさりと「いいよ!」とサムズアップして、着替え始めた。
「マジでいいの?結構なリスクだと思うけど」
「いいって全然。それより、お母さん上がってもらったら?メイク急ぐけど、二十分くらいはかかるし」
「紅祢が嫌じゃないなら」
「嫌じゃないよー」
同居人の親を家に上げるというのは、なかなか青少年が嫌がる選択のはずなのだが、こいつの心境を知りたい。まぁ、連れてくるけど。
母を連れて部屋に戻ると、準備中の紅祢が手を止めて、軽く会釈をした。
「初めまして、紅祢です。メイクしながらですみません」
「気にしないで」
メイクに戻る紅祢と、部屋を見回す母。母は「家具、全然ないのね」と殺風景な室内模様を指摘し、ついでにベッドすらないことに苦笑した。
「マットレス一枚って、ちゃんと生活できてるの?」
「紅祢の寝相以外は問題無し。紅祢の寝相以外は」
「えー。わたし、そんなに寝相悪いかなぁ」
殺すぞ、この女。
紅祢が準備を終えるまでの間、母と手続きの話をする。私が世帯主になるわけではないため、保証人の件は問題ないだろうということ。先程話した通り、何かあった際には親権者としての最低限の役割は真っ当するが、それ以外では完全に縁を切るということ。口座の開設に親が必要になる場合があるため、今日中に銀行へ赴くこと。SIM契約に親の書類等が必要になった場合、書類だけを郵送で送ってくること。その場合に備えて、母の電話番号をメモしておいたが、諸々の手続きを終えた後に必ず処分するように、とも釘を刺された。当然、言われずともそのつもりだ。
「そういえば、転出届のさ、引っ越し日。なんで昨日にしたの?」
私が実家を出たのは二か月前なのだが。
母曰く、どうやら転居に関する手続きは転居後十四日以内に済ませなければならず、それを過ぎていると面倒な手続きが増えるため、書類上ではそういうことにするのだ………ということだった。母も昔、大学進学を機に実家を離れた際にこれを知らず、役所の職員に「書類上だけでも二週間以内ってことにしましょう」と助言をいただいた、らしい。お役所仕事で嫌味ったらしく高圧的、そんな職員ばかりが話題になるが、普通に話が通じる人の方が圧倒的に多いのだとか。どこの世界でも、どんな問題でも、少数派は声が大きく聞こえる、ということだ。
「それにしても」
母が紅祢に視線を向けたまま、わずかに私の耳元に口を近付けるる。
「確かに、あんた好みの顔ね。可愛いじゃない」
「いや、そういう関係じゃないけど………。てか、母さんも好きだろ、紅祢みたいなの。アイドルっ子の写真集とか買ってるし」
「なんで知ってるの」
小さい頃、リビングで韓流女アイドルの写真集を見ていたのを忘れたのだろうか。私の性的志向は生来のものだが、顔の好みは母の影響なのだ。
「零が面食いなのも、お母さんの影響?」
多少小声で話そうと、ここはワンルームだ。紅祢にもしっかりと会話は聞こえていたらしい。
「面食いじゃない人間とかいないでしょ。好みが違うだけで」
父も若い頃はかなりのイケメンで、それはそれは大層言い寄られていたらしい。出会った頃の二人の写真を見ても、顔面偏差値高いなー、と娘ながらに感想を抱いたものだ。父の話はするなと言われているため、口には出さないが。
念のため、母を呼びに行く前に紅祢にもそれとなく伝えておいたことで、彼女が私の父について質問することもない。せっかくそれなりに上手く母とコミュニケーションが取れているのだ、ここで機嫌を損ねることもないだろう。
そういえば、紅祢を世帯主にする際に、本人が役所に赴く必要はあるのだろうか。なんとなく、いなくても問題なさそうな気がするのだが………いや、やはりそこは行政機関、手続きには世帯主本人も必要なのだろう。無駄に往復することもない。
「よっし、終わり。急いだから、あんま可愛くないけど………」
「そう?可愛いと思うわ」
「えへ、ほんとですかー?」
ええ、顔がいいわ、と母が頷く。そしてなぜか私の背中をばしんと叩いた。
「え、痛い、なに」
「なにじゃないでしょ。ラブコメ主人公にでもなったの、あんた」
ああそういうことか、と察して、紅祢に「可愛いぜ」と言ってみる。
「ふふん、もっと言っていいよ」
実際、元の顔が良いだけに、最低限のメイクだけでも………いや、最低限のメイクだからこそ、素材の良さが引き立っている。浴衣姿の時も思ったが、こいつはもっと、自分の可愛さを周囲にアピールしても許されるだろう。
「それじゃあ、行きましょうか」
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